安藤忠雄氏の関係者50人のインタビューをもとに、幾度となく旧弊を打ち破ってきた安藤氏の言葉を紹介しよう。
最初に紹介するのは、クライアントにGOサインを出させるための“殺し文句”集だ。
安藤氏の関係者50人にインタビューして分かったのだが、安藤氏は相手によって説得の仕方を巧みに変えている。殺し文句というと誰にも通じる定番のフレーズがあるようだが、安藤氏の場合はそうではない。「心に刺さった」という言葉が人によって全く違うのだ。
岩田弘三(いわた・こうぞう)
ロック・フィールド代表取締役会長兼社長。1940年神戸市生まれ。65年神戸市の南京町に「レストランフック」を開業、72年ロック・フィールドを設立し社長に就任。「RF1」や「神戸コロッケ」など6つの惣菜ブランドを展開する。14年から会長、16年から社長兼任となり現在に至る(写真:日経アーキテクチュア)
例えば、ロック・フィールドの岩田弘三社長の胸に刻まれているのは、今から40年も前のこの言葉だ。
「あんたの店だけ良ければいいのか」
これは岩田氏が1977年に惣菜専門ブランドの「ガストロノミ」を立ち上げて、新築したばかりだった神戸市のローズガーデンに出店した際、安藤氏に言われた言葉だ。ローズガーデンは、安藤氏の商業建築の出世作として知られる。
1986年に撮影したローズガーデン。完成は1977年。レンガ積み仕上げの壁は異人館通りの景観上のポイントとなった。安藤氏というとコンクリート打ち放しが思い浮かぶが、初期の商業建築にはレンガ積み仕上げのものも多い(写真:三島 叡)
岩田社長はこう振り返る。「ガストロノミの初めての店舗で、私の思い入れも大きい。2面が接する道路側に大きな看板を出したいと安藤さんに言ったところ反論された。建築は、出店者の希望だけでなく、安藤さん自身の思いや街のルールがあって成り立っていると言う。『自分だけ目立てばよいのか』という安藤さんの言葉は強く心に刻まれた」
その言葉が残り続けた岩田社長は、およそ10年後、静岡県磐田市に「静岡ファクトリー」をつくる際、設計を頼むなら安藤氏しかいないと考えて依頼し、91年に第1期が完成した。雑居型の商業ビル(ローズガーデン)の設計者と店子の1人とのちょっとしたやりとりが、十数年後に本格的な工場建築へと発展したわけだ。
「豊さと便利さは違う」
さらにこの工場は、やはり安藤氏の設計によって「循環・ネットワークによる環境づくり」をテーマに掲げた第2期工事(2000年完成)へと発展する。敷地内に風力発電機を置き、ビオトープを設けた。安藤氏の提案で、クリーンエネルギーで工場の水を浄化し、その水をビオトープに流していく仕組みとした。メダカが泳ぐビオトープの水ならば、「安心して自然に戻せる」ことを誰もが体感できる。
この工場の建設過程でも、岩田社長の胸に刺さった言葉がある。
「豊さと便利さは違う」
岩田社長は言う。「安藤さんの建築は必ずしも便利というわけではないが、そのなかに豊かさを感じる。例えば、静岡ファクトリーの食堂は下階から階段でアプローチする。この階段の幅が広く、勾配がゆったりとしていて、食堂に向かう期待感を高めてくれる」
静岡ファクトリーは「安藤忠雄が設計した工場」として知られ、見学者も多い。「私たちの認知度向上に果たした役割は大きい。今では、風車や保育室のある会社、『安藤建築の工場』として地域の人に存在感を認めてもらっている。求人にも効果を発揮している」と岩田社長は話す。
「ここで飲んだコーヒーを忘れない」
人によって、胸に刺さる殺し文句が違う──。ほかの2人の場合を紹介しよう。
堀安規良(ほり・あきら)
北菓楼代表取締役社長。1953年北海道砂川市生まれ。菓子店「北菓楼」の代表取締役。「北菓楼札幌本館」(2016年)のデザインを安藤氏に依頼し、それ以来の付き合い(写真:北菓楼)
2016年に安藤氏のデザインで札幌本館を開業した北菓楼。堀安規良社長の心を動かしたのはこんな言葉だ。
「堀さん、コーヒーはどこでも飲めるんだ。ここで飲んだコーヒーを一生忘れないような場所にしよう」
開拓おかきやバウムクーヘンで知られる北菓楼。札幌市内初となる路面店は、既存の北海道立文書館別館の外壁の一部を残して、店舗に建て替えたものだ。その2階にはゆったりとしたカフェコーナーがある。
既存の公立図書館の外壁を保存した(写真:日経アーキテクチュア)
安藤氏の言葉は、堀社長が大坂の安藤事務所に依頼に行ったときのものだ。安藤氏は、「図書館だった建物の中にもう1つ図書館をつくってはどうか」と提案。続けて安藤氏が口にした「ここで飲んだコーヒーを一生忘れないような場所に」という言葉に心を動かされた堀社長は、すっかり安藤氏と意気投合。2層分の高さのある東西の壁を本棚で埋め尽くしたカフェが生まれた。
2階のカフェ。東西は書棚の壁。上部には、直径100㎜の細い柱でクロスボールト状の白い天井を浮かせた(写真:日経アーキテクチュア)
書棚には安藤忠雄コーナーもある(写真:日経アーキテクチュア)
「司馬遼太郎といえば本やね」
上村洋行(うえむら・ようこう)
司馬遼太郎記念館館長。1943年、大阪府東大阪市生まれ。同志社大学法学部法律学科卒業後、67年に産経新聞社編集局入社。95年京都総局長、96年大阪本社編集局次長。96年司馬遼太郎記念財団を設立し、同常務理事に就任。2001年から同館長を兼務。2014年公益財団に移行、理事長に就任
本といえば、記念館を建てるかどうかを迷っていた上村洋行・司馬遼太郎記念館館長の背中を押したのは、安藤氏のこんな言葉だった。
「(司馬遼太郎といえば)本やね」
1996年、上村館長の姉の夫にあたる司馬遼太郎が他界した。「周りから『記念館を建てたらどうか』と言われても、『いやいや』と笑って断っていた。司馬遼太郎は自己顕示欲の少ない人だったから、原稿や写真などを展示するというイメージがなかったからだ」と上村館長は振り返る。
司馬遼太郎の自宅は、書庫だけでなく玄関から書斎、廊下の両脇まで約6万点の蔵書が収納されている。「自分が生きている間はこの状態を維持できても、いつか蔵書が散逸される可能性があるのではないか。そうなると、本当に司馬遼太郎という存在が消えてしまいそうな気がした」(上村館長)
蔵書を散逸させない建物をつくりたい。ぼんやりと頭にイメージを描きながら向かったのが、安藤事務所だった。まだ蔵書の説明もしていないのに、会うと安藤氏はいきなり前述の言葉を口にした。「本やね」
それを聞いた上村館長は、「その瞬間に、この人に設計を頼むのが一番いいと思った」と言う。
司馬遼太郎記念館の展示室。司馬氏の蔵書と同じ本を約2万点集めて並べた(写真:吉田 誠)
2001年に開館した記念館に入ると、外観からは予想できない高さ11mの吹き抜け空間が広がる。壁面には司馬氏の蔵書約2万冊がぎっしりと並び、訪れる人を圧倒する。薄暗い書棚に、白いステンドグラスから樹木の緑を通した光が差し込む。
「白いステンドグラス」を提案するときにも、安藤氏は胸に残る言葉を口にした。このステンドグラスは、通常のものと違って個々のガラスに色の違いはないが、大きさや材質が皆異なる。
「ガラスは日本に住む人々を表していて、1億の人が全て違うようにガラスも1枚1枚が全て違う。そこから差し込む日の光は、司馬さんの希望の光だ」
当事者でなくともグッとくる言葉の数々。なぜ安藤氏の口からはそうしたフレーズがよどみなく出てくるのか。次回からは、いくつかの方向性に分類して安藤氏の言葉を研究してみよう。
安藤忠雄氏の関連トークイベント
(1)安藤忠雄展関連企画 講演会「安藤番編集者、大いに語る!BRUTUS×日経アーキテクチュア」
- 2017年11月17日(金)午後5時~午後6時30分(開場は午後4時30分)
- 講師:西田善太(BRUTUS編集長)、宮沢洋(日経アーキテクチュア編集長)
- 場所:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2)・3階講堂
- 定員:260人
- 参加費:無料(当日先着順)
- 主催:安藤忠雄建築展実行委員会
(2)安藤忠雄展ギャラリートーク「安藤忠雄×磯達雄×宮沢洋」
- 2017年11月24日(金)午後3時~午後3時30分
- 講師:安藤忠雄、磯達雄(建築ジャーナリスト)、宮沢洋(日経アーキテクチュア編集長)
- 会場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2)・安藤忠雄展会場(企画展示室IE)内の「直島」の展示周辺
※展示室に入るには当日の観覧券が必要
- 定員:見える範囲
- 内容:大阪・安藤忠雄事務所(大淀のアトリエ)の改造の歴史について、安藤氏本人に聞く(変更の可能性あり)
- 主催:安藤忠雄建築展実行委員会
建築専門誌「日経アーキテクチュア」は11月20日に、書籍『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』を発刊する。安藤氏について詳しく知りたくなった方はぜひご予約ください。
編者:日経アーキテクチュア
出版:日経BP社
価格:2916円(税込み)
厳選した「50の建築」と、独自取材による「50の証言」を通じて、安藤忠雄氏の約50年に及ぶ活動と人物像を浮き彫りにする。大きな反響を呼んだ日経アーキテクチュア誌・安藤忠雄特集でのロングインタビューも収録。数ある関連書籍のなかでも「決定版」といえる1冊。
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