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ある日の国後島(写真:ロイター/アフロ)

 ウラジオストクでの安倍・プーチン会談で、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は日ロ平和条約の締結を促した。これに応える形で安倍晋三首相は、「戦後70年以上残されてきた課題を次世代に先送りせず、私とプーチン大統領との間で終止符を打つ」と発言。また、引き渡し後の歯舞・色丹(はぼまい・しこたん)には米軍基地を置かないことをプーチン大統領に伝えていたと朝日新聞が報じた。この報道が正しければ、北方領土問題で米軍基地との関係に日本の首相がはじめて言及したことになる。

「北方四島は固有の領土」という魔法の言葉

 そもそも「固有の領土」とは何だろうか?

 モンゴル帝国の属領だったロシアが独立を宣言したのは15世紀末、日本では応仁の乱で室町幕府が事実上崩壊した頃である。当時のロシアは「モスクワ大公(たいこう)国」と称し、モスクワの周囲を治めるだけの小国だった。モンゴルの騎馬戦法に学んだコサック騎兵を採用したロシアは、逆にモンゴル帝国を蚕食して領土を拡大し、無数の少数民族を併呑して日本海に到達した。アメリカ合衆国が先住民を「討伐」しながら西部開拓を進めたように、ロシアのコサック騎兵も「東部開拓」を進めた結果、巨大帝国が出現したのだ。

 国力が充実すれば拡大し、衰退すれば縮小する。ロシア人にとって領土とはそのようなものであり、「固有の領土」などという概念はない。

 日本(ヤマト)国家の成立は遅くとも5世紀であり、その領土は九州から朝鮮半島南部、関東平野にまで及んでいたことが、中国の史書に残る「倭王武(雄略天皇)の上奏文」から推測できる。南九州は「隼人(ハヤト)」、東北地方は「蝦夷(エミシ)」と呼ばれる異民族の世界であった。

 日本も「北部開拓」を進めてきた。古くは平安時代のはじめ、坂上田村麻呂の蝦夷遠征に始まり、中世には十三湊(とさみなと)を拠点とする安東氏が蝦夷地開拓を行い、江戸時代には松前藩がこれを引き継いだ。

 蝦夷地と呼ばれた北海道、樺太、千島列島の先住民はロシア人でも日本人でもなく、アイヌやツングース系の諸民族(ギリヤーク、ウィルタ)である。そこに西からロシア人、南から日本人が入植し、ロシアと日本が領土を争うようになったというのが歴史の真実だ。

 北方四島どころか北海道までも「日本固有の領土」なのかどうか疑わしい。琉球王国として中国皇帝から冊封(さくほう)を受けていた沖縄は一体どうなるのか。

 「北方四島は固有の領土」という魔法の言葉、歴史的根拠に乏しいファンタジーが、日本人の合理的判断力を鈍らせていると私は考える。領土問題は純粋に国益を利するかどうかで論じられるべきだ。

 名君として知られるローマ皇帝ハドリアヌスは、イラン人との係争地であった東方の広大な領土を手放すという英断を下した。そこから得られる税収より、ローマ軍の駐屯に要する軍事費のほうが割高になっていたからだ。