民主党、南部地主の党から移民労働者の党へ
南北戦争に敗れた民主党は、解党的危機を迎えた。保護貿易により南部の綿花産業は衰退し、「地主を守る政党」という看板では選挙資金も集まらなくなったのだ。
しかし民主党は死ななかった。「移民労働者の政党」という新しい看板を掲げたからだ。
南北戦争後の米国は、英国製品を国内市場から排除して急速な工業化を進めた。19世紀末には英国を抜いて世界最大の工業国となり、同時に世界最大の労働市場が出現した。貧しい行商人の息子に生まれ、巨大財閥のオーナーにのし上がったデヴィッド・ロックフェラーの物語は、努力次第で夢をつかめる「アメリカン・ドリーム」として語られ、階級制度や政情不安の中で生きる欧州諸国の貧しい若者たちを魅了した。
19世紀半ば以降、アイルランド人、イタリア人、東欧・ロシアのユダヤ人が大量に米国へと流入した。中国ではアヘン戦争の混乱で生まれた経済難民が、太平洋を渡って米国西海岸へ移住した。大陸横断鉄道は、中国人とアイルランド人の労働力で建設された。
英語を話すプロテスタント(ワスプ)の米国人--「草の根保守」に対し、これらの人々は「新移民」と呼ばれた。西部開拓の時代はすでに終わりつつあり、欧州からの新移民は東海岸、中国人は西海岸のカリフォルニアに居を構えた。これが民主党の新たな票田となったのである。
民主党は自らの支持基盤を拡大するため、移民の受け入れと米国市民権の付与を積極的に推し進めた。新移民の大量流入は、本来の米国人である「草の根保守」を不安にさせた。かつては民主党支持だった中西部の農民たちは、国を閉ざすことを求めるようになり、共和党支持に鞍替えしていった。移民排斥を掲げる極右のKKKが勢力を拡大し、黒人のほかユダヤ人やイタリア人、もちろんアジア人も排斥の対象となった。
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