今年、15回目を迎える「日本イノベーター大賞」。受賞者の素顔を紹介する連載の第3回は、優秀賞の中川政七氏。今年、創業300周年を迎えた老舗麻織物問屋、中川政七商店の13代目だ。全国の工芸品メーカーを再生させて次々にヒット商品を生み出す革新者である。記念の年である今年11月4日に、創業者である中川政七を“襲名”した。

富士通を経て実家を継いだ中川氏は、家業をSPA(製造小売り)業態に変換して再生させた。その経験をもとに工芸に特化したコンサルティングに乗り出し、波佐見焼の老舗マルヒロ(長崎県波佐見町)のコーヒーカップやタダフサ(新潟県三条市)の包丁などのヒット商品を生み出した。

300周年を迎え、工芸の革新者が次に向かう先とは――。

中川 政七(なかがわ・まさしち)
中川政七商店13代社長。1974年生まれ。京都大学卒業後、2000年に富士通入社。02年に中川政七商店に入社し、日本初の工芸品SPAを確立。08年、13代社長に就任。「日本の工芸を元気にする!」を合言葉に業界特化型の経営コンサルティング事業を開始し、次々にヒット工芸品を生む。近著に『経営とデザインの幸せな関係』(日経BP社)。(写真:吉成 大輔、以下同)

中川さんは富士通を経て家業を継いだ異色の経歴を持っています。2002年に中川政七商店に入社した時、工芸を取り巻く状況がどう見えたのか教えてください。

中川:私は親父から「家業を継いでほしい」と言われたことは一度もありません。個人的には、実家に戻ったというより転職したという感覚に近いんです。家業の事業領域も詳しく知らず、ビジョンもありませんでした。これは子供のころからそうなんです。計画性がないというか。

 実家に戻るかどうかを相談した時、親父から「業界的に厳しいからやめておけ」と言われました。工芸を取り巻く環境が厳しいことは分かっていたつもりです。でも、実際に戻ってから危機感は強くなりました。年に2、3社の工芸メーカーが廃業の挨拶に来られる。それが日常でした。これが続けば、うちの家業が継続できませんから、さすがにまずいだろうと。

なぜそんな事態になっていたのでしょう。

中川:「伝統工芸」という言葉に象徴されています。自分では、ある時期から進歩しなくなったものに「伝統」という名前がつくと思っています。例えば自動車産業は100年続いていますが誰も伝統とは呼ばないでしょう。進化し続けているからです。

 伝統という侮辱から抜け出さなければならないと思いました。「古いままが良い」と無責任に言う人がいますが、そういう人に限って商品を買わない。職人は素晴らしいとひとくくりに言う人もいますが、そんなことはない。腕の良い職人もいればそうでない職人もいる。それが現実なんですよね。

伝統から決別するために中川さんが考えたプランは。

中川:「モノを売る」という考え方から「ブランドを作る」という考え方にシフトしないと未来はないと思いました。モノ作りが専門の方々は良いモノを作っていればいいと考えがちですが、それだけでは足りない。工芸品というのはコストがかかるので、同じようなものを別の方法で作られたら負けます。

 ブランドとして成立するためには、商品だけでは足りない。こちらの考えていることを物語としてお客さんにきちんと説明する必要があると考えました。それで小売りを始めたわけです。