様々な分野で活躍する一流人が実践する健康マネジメント術を紹介する本コラム。今月は2018年10月に幕を開ける卓球の新リーグ「Tリーグ」のチェアマン、松下浩二さんにお話を伺っている。自身も小学校3年生で卓球を始め、トップ選手として日本国内のみならず、世界選手権での入賞や4度の五輪出場を果たした。日本初のプロ選手として、ドイツやフランスのリーグでも活躍。引退した現在はTリーグの開幕に向けて忙しい日々を送っている。各所との折衝や打ち合わせなどで、プレッシャーやストレスを感じることも多いはず。最終回では、そんな精神的な負担をどのように解消しているかについて聞いた。
私はTリーグを通じて、トップの卓球選手がラケット1本で生活できる環境を作りたいと思っています。簡単に仕組みを説明しておくと、世界レベルにある選手が出場する「Tリーグ」を頂点に、全国リーグの「T1」、東西ブロックの「T2」、地方エリアの「T3」などとピラミッド構造になっています。年齢に関係なく参加でき、実力があればどんどん上に行けます。ドイツには1部から16部までのリーグがあり、1部と2部が「ブンデスリーガ」と呼ばれて、外国人選手も多く活躍しています。Tリーグはその仕組みを参考にしているんです。
現在のTリーグ事務局や私の重要な仕事の1つは、新リーグのイメージを伝えることです。周囲からは「確かに日本の卓球界は強くなっているけど、経営として成り立つの?」「スポンサーは集まるの?」などという疑問を投げかけられます。私自身は選手としてドイツやフランスの卓球リーグを経験しているので、どんな雰囲気で試合をしているとか、どういう仕組みで成り立っているのか、そしてどんな人たちが関わっているのかということが分かっています。
しかし日本人の多くはイメージを抱くのが難しいのでしょう。当初は「これくらいの集客が見込めます」「これくらいの金額で開催して運営できます」と説明しても、“できない理由”ばかりを持ち出されて、なかなか理解してもらえないことが多かったですね。
その過程では、ストレスやプレッシャーを感じることがあります。もしかしたら、普通の人だと倒れるんじゃないかな、と思うことだってありますね(笑)。ただうまくいかないのであれば、まずは問題解決を第一に考えて、悩まないようにしています。
その点は卓球の試合と一緒ですよね。勝てなければ、やっぱり相手の方が頑張ったな、強かったんだなと、それを受け入れ、納得しないといけません。でも、そこで終わってしまうのではなく、次にどうしたら成功するのか、勝てるのかということを一番に考えて行動する必要があります。
考え方を変えてプレッシャーに打ち勝つ
もともとが負けず嫌いなんです。何か人から言われたり、できそうもないと言われたりすることでも、それを乗り越えようという気持ちになるんです。難しければ難しいほど、それをエネルギーに換えているのかもしれませんね。発想の転換というか、考え方を変えてしまえば、ストレスやプレッシャーには十分に打ち勝てると思うんです。
精神的タフネスは、卓球を通して身に付けたんだと思います。経験値を積んでいけば、人は強くなれます。特に25歳のときにそれまで勤めていた会社を辞めて、プロ選手になると宣言した経験は大きかった。「人生は1度しかないからやりたいことやろう」と吹っ切れたように思います。以来、何かにチャレンジすることに躊躇(ちゅうちょ)がなくなりました。
気分転換のスポーツとしては、ゴルフが好きです。もっとも最近はあまりプレーできていませんが。
また気心の知れた、利害関係のない友達と会うことでストレスを発散しています。愚痴を言いたときもあれば、ふざけたいときだってあります。そんなとき、古くからの友人がすごく助けになっています。友人との会話が心と体の健康とバランスを保つ糧になっていることは確かです。
卓球の新リーグがいよいよ開幕
Tリーグがモデルにしているドイツ卓球リーグのトップ選手の多くは、企業と年間契約を結んでプレーしています。一年一年が真剣勝負で、うまく行くも行かないも、自分次第です。Tリーグはそうしたプロ選手も活躍できる、プロ・アマの混合リーグです。ラケット1本で生活できる仕組みを整えることは、日本の卓球界のためだと考えています。
Tリーグの開幕は10月。男子が24日で、女子が25日です。会場はどちらも両国国技館になります。全ての卓球少年・少女たちに夢を与え、社会に貢献していきます。
(まとめ:松尾直俊=フィットネスライター/インタビュー写真:村田わかな)
松下浩二(まつした こうじ)さん
Tリーグ チェアマン

1967年愛知県出身。小学校3年生のときに卓球を始める。明治大学在学中の87年に全日本選手権ダブルスで初優勝。卒業後、協和発酵キリンに入社し1992年のバルセロナ五輪出場。93年にプロ宣言し、日産自動車と契約。同年の全日本選手権男子シングルで優勝。95年、日本選手権男子シングルで優勝。96年のアトランタ五輪ではシングルでベスト16、ダブルスでベスト8に進出。97年に世界選手権マンチェスター大会ダブルスで3位に。同年に日本人として初めてドイツの卓球リーグ「ブンデスリーガー」に活躍の場を移す。2000~01年シーズンに日本人で初めてフランス卓球リーグの選手となる。01年と02年全日本選手権シングル連続優勝。04年にアテネ五輪で4度目の五輪出場を果たした。09年1月の全日本選手権を最後に現役引退。10年に卓球用品総合メーカー、ヤマト卓球(現ヴィクタス)の社長に就任。17年にTリーグ設立のために社長の座を退き、チェアマンに就任。
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