膨大な遺伝子解析データとゲノム編集技術の連携が革新を生む

 この状況が一変する可能性が出てきた。原動力はゲノムサイエンスの進展だ。

 世界各地で様々な生物のゲノム解析が急ピッチで進められ、生物の体内にある酵素などの蛋白質の塩基配列が徐々に明らかにされつつある。仮に化学反応の仲立ちをする新しい酵素の遺伝子が見つかった場合、その遺伝子を微生物のゲノムに導入することで、複雑な化学反応を進めて化成品を生産する新しい微生物を作り出せる可能性がある。微生物の作製を容易にする技術として「ゲノム編集」も登場した。

 ゲノムサイエンスの急速な進展を振り返ってみよう。生物のゲノムの塩基配列情報を高速で読み取るDNAシーケンサーの技術革新は急速に進み、特に次世代シーケンサー(NGS)と呼ばれる高性能の装置が登場した2000年代後半から解析済みのデータ量は急増している。

 かつて人間一人のゲノムを解析するのに国際研究チームが10年の歳月と30億ドルをかけていたところが、NGSを使えばほんの数日、千ドル以下のコストで解析できてしまう。NGSの技術革新は続いており、数年後には人間一人のゲノム解析が百ドル以下で済むようになると言われている。

 そしてゲノム編集である。人間の場合は30億塩基配列、大腸菌でも460万塩基配列からなるゲノムの特定の場所をピンポイントで切断したり、別の塩基配列に置き換えたりできる。

 30億塩基というと、広辞苑にして約200冊分の文字量に相当する。この中から特定の場所を間違いなく探し当て、そこにあるゲノムを切断する技術が確立したことで、これまで何度も実験を繰り返し、成功は運任せだった生物の遺伝子の組み換えがほぼ確実に実施できるようになった。

 テキストエディターで文章を切り貼りするように、誰でも簡単にゲノムを切り貼りできるようになったため、「ゲノムエディティング(編集)」と名付けられた。とりわけ2012年に登場した第三世代のゲノム編集技術であるCRISPER/Cas9は、特定の場所を探し当てるために使う「部品」がガイドRNAと呼ばれる核酸でできていて、塩基配列の設計が非常に簡単にできるようになった。

 第一、第二世代のゲノム編集技術ではこの部品は蛋白質でできていて、作製するのに第一世代では億円単位、第二世代でも百万円程度のコストがかかっていたが、CRISPER/Cas9では受託企業に依頼すればほんの数千円で部品を作製してくれる。

 これだけ安いコストでほぼ確実に遺伝子操作ができるようになると、これまで遺伝子操作をやったことがない研究者でも気軽に自分のアイデアを試してみることができる。しかも複数の遺伝子を同時に操作することも可能であり、様々な生物に適用できる。

 こうしたことから、ゲノム解析の成果とゲノム編集の技術の活用に期待が集まっている。例えば微生物から化成品を生産する。藻類に遺伝子を導入して、オイルの生産性を飛躍的に高める。微生物や動植物、昆虫を利用した蛋白質の生産性を高め、医薬品の価格を引き下げる。

 そんな未来を視野に入れて、経済産業省は2016年度に「スマートセルインダストリー」と称するプロジェクトを始めた。当面、5年間で86億円を投じ、生物によるものづくりの基盤技術を確立する。プロジェクトではCRISPR/Cas9とは異なる新しい国産ゲノム編集技術の開発も目指している。CRISPR/Cas9は海外企業が特許を持ち、商業利用に対し高額の特許料を要求されるかもしれないからだ。

 スマートセルインダストリーのプロジェクトが思惑通りに成功すれば、医薬品や化粧品、化成品など様々な物質が生物により生産され、一大バイオエコノミー産業が実現する可能性もある。