7回裏、相手投手が替わった。サグアロスの控え選手もブルペンでキャッチボールを始めたり、素振りをしたり、賢明にアピールし始める。季一郎もスイングの軌道を確かめるようにバットを振り込んでいる。交替して入った投手は左腕。試合は一方的な展開になっており、出番のない季一郎にもチャンスがあるかもしれない。
もっとも、控え選手はひとりも出ることなく試合は終了した。選手の成績はスカウトの重要な参考情報。試合展開がよければ打率や防御率などの指標が改善する可能性があるため、勝っているときほど温情で交替させるという選択肢は取らない。
「今日は出たかったですね。悔しいです」
そう言って季一郎は唇をかんだが、上位のリーグを目指す世界はそれほど甘くない。
アメリカンドリームを体現するペコスリーグ
最終的に季一郎が所属するサグアロスはリーグ1位の成績を収めたが、プレーオフで敗退したため2016年以来の優勝はお預けとなった。そのままチームは解散、選手はそれぞれの地元に帰っていった。季一郎もロサンゼルス経由で8月半ばに日本に帰国、生活費を稼ぐため幕張のアウトレットモールで働き始めた。休日はボーイズリーグの監督を務める父親を手伝いながら体を動かしている。
日本に戻った当初は野球をやめて就職することも考えたが、妻の後押しもあり、トライアウトのチャンスがあれば来年も挑戦するつもりだという。来年は30歳になる。
スポーツ選手やアイドル歌手はかつては一握りの存在だった。だが、様々な業界が“民主化”したことで、プロフェッショナルとアマチュアの垣根は限りなく下がっている。数人のファンがいればアイドルを名乗れるように、プロ野球の裾野が広がったことでプロになるチャンスが増えたということだ。甲子園経験はもとより、硬式野球の経験すらわずかな季一郎がプロになるなど過去の尺度ではあり得なかった。
ペコスリーグは上位リーグへの昇格という幻想で野球をあきらめきれない若者を引きつけている。実際に上のリーグに引き抜かれる選手はいるので幻想というのは言い過ぎだが、わずかな機会を喧伝して夢を見させるのがアメリカンドリームだとすれば、国境のペコスリーグはまさにアメリカンドリームを体現した存在である。
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