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 だが、サグアロスのロースター(登録選手)を見てもそれらしい名前はない。埒があかないので彼のマネジャーだというビル・ムーアに連絡を取り、試合開始前の16時に練習場に行くことに。ところが、実際に練習場に行っても誰もいない。ビルに確認すると、練習場が急遽、試合会場に変わったのだという。

 米国人のいい加減さに辟易としつつ、車を飛ばしてツーソン市内の「チェリーフィールド」に向かうと、ユニフォームを着たムーアは70歳を超えたシニアで、選手の「マネジャー」ではなくチームの「監督」だった。そして、ビルが指さした先を見ると、アンツーカーの外側で練習していた日本人がいた。西川季一郎である。

 体格は中肉中背で他の米国人に比べれば小柄。ポジションはセカンドでレギュラーではないが、6月以降、ロースターに登録されている。他の選手が早々に練習を切り上げる中、ひとり残って捕球動作の確認やほかの選手の手伝いに動き回っている姿が印象的だ。

 チームの裁量に任されているが、ペコスリーグにはいちおう「25歳まで」という年齢制限が設けられている。大半は大学を出たばかりの選手で22〜24歳が最も多い。その中で季一郎は28歳とベテランの部類に入る(年齢の情報も間違っていた)。普通に就職すれば、仕事を覚えてバリバリ働き始める頃だろう。そんな男がなぜここにいるのか。その背景には、完全燃焼できなかった男のアメリカンドリームがあった。

サグアロスに所属する西川季一郎。トライアウトを受けてサグアロスの一員になった

 季一郎が野球を始めたのは小学校3年生の時のこと。野球好きの子供であれば誰もが夢見るように、季一郎もプロ野球選手になりたいという夢を持っていた。だが、所属した江戸川リトルは彼が小学6年生の時に全国大会に出場したほどの強豪チーム。彼自身はずっと補欠で、全国大会の出場が決まった後はベンチ入りメンバーからも外れた。今になって振り返れば、これが長く続く補欠人生の始まりだった。

レギュラー経験がなくても「プロ選手」に

 その後、野球の名門、帝京中学・高校に進学した季一郎は高校進学時に公式野球部のセレクションを受けた。だが、春夏合わせて26回の甲子園出場を誇る硬式野球部に入部できるのは才能と実績にあふれた一部の人間だけ。あえなく落選した季一郎は軟式野球部で野球を続けることにした。ちなみに、帝京高校時代の同級生には、後にソフトバンクに入った中村晃がいる。甲子園にも行くには行ったが、あくまでも硬式野球部の応援だ。

 再び悔しさを味わった季一郎は大学でしっかり野球をやろうと東都の強豪、亜細亜大学を目指す。もっとも、2浪して亜細亜大学に入ったものの、よほど才能に恵まれているか、高校野球で目立った実績を残していなければ硬式野球部には入れない。最終的に準硬式野球部には入ったが、大学進学の目的を見失った季一郎はもう一つの夢だった海外留学を決断、そのまま大学を中退してしまう。

 「海外には一度、行ってみたいと思っていました。(自分のキャリアが)いろいろズレてしまったので普通に考えるのをやめたんです。今さらレールに乗る必要はないかな、と」

 その後、バンクーバーの語学学校に進んだ季一郎は地元のカレッジを出てウィニペグに移り、世界的に高い人気を誇るカナダのダウンジャケットブランド、カナダグースの縫製工場で働き始めた。その間、地元の町クラブで野球は続けている。

 ここまでの経歴を見ても分かるように、硬式野球部でレギュラーを張った経験はなく、失礼を承知で言えば草野球に毛の生えたレベルだ。彼と同程度の実力を持った野球好きは日本にごまんといるだろう。だが恐るべきことに、カナダの町クラブでプレーしている時もプロになるという夢を彼はみじんも諦めていなかった。

 そして、季一郎はカナダであるニュース記事を目にする。2017年11月にテキサス州ヒューストンでペコスリーグのトライアウトが開催されるという記事である。

 そのニュースを見た季一郎はヒューストン行きを即断、トライアウトでのプレーが評価されてスプリングキャンプの参加許可を得た。その後、練習生という立場でチームに帯同、ロースターの拡大にともなって支配下登録選手に昇格した。背番号は米大リーグ、シアトル・マリナーズのイチローと同じ「51」。辺境の独立リーグの補欠だが、れっきとしたプロ野球選手である。

 「客観的に見て、僕がプロ野球選手になるのは無理だったと思う。でも、プロになると言い続けていたので、散々馬鹿にされたけど、やれるところまでやってやろうという気持ちでした。実際、今の今までちゃんと野球をやっているのは僕だけだし」

コーチや監督が教えるのではなく自分たちで考えながら練習している姿が印象的

 お互いに自己紹介を済ますと、チェリーフィールドの外野の芝生に座って話を聞く。周囲では他の選手が思い思いに調整している。

 サグアロスには監督やコーチはいるが、技術的な指導をするわけではない。それぞれが仲間にフォームを見てもらったり、アドバイスをもらったりして、自分に足りないスキルを身につけていく。季一郎も試合前に、セカンドのレギュラー、コーリー・デービス・ジュニアと細かく捕球動作を確認していた。

 「みんなライバル同士だと思うけど、意外にみんなで協力し合っている?」

 「来たばかりの頃はあまり教えてくれませんでしたが、日本とは違う練習方法を知りたかったので、自分からいろいろ聞くようにしました。そうすると、みんな教えてくれるようになって」

 「米国の教え方は日本と何が違う?」

 「日本はどっちかというと形から入るじゃないですか。投げ方や打ち方、捕球姿勢というように。アメリカの場合は打つ前のアプローチであったり、実際に打席で打つために具体的にどういうふうに改善するのかという話であったり、より実践的な気がします」

 「米国にはどんな印象を持った?ツーソンはメチャクチャ暑いじゃない」

 「想像以上に暑かったです。砂漠なので。水分補給って大事だなと思いました」