全6097文字

メキシコ人の心の闇

 ノーベル文学賞を受賞したメキシコの国民的詩人で、外交官だったオクタビオ・パス。彼は1950年に出した『孤独の迷宮』で、愛想笑いで武装し、祭りの時以外には胸襟を開かないメキシコの国民性を鋭く描いた。その背景には、支配と服従というメキシコに横たわる暗い歴史がある。

 マヤ文明やアステカ文明で知られるように、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」するまで、メキシコでは高度な文明が花開いていた。ユカタン半島では3〜9世紀にかけてマヤ文明が発展、20進法の数表記や精密な暦法、絵文字、ピラミッド状の建築物など独自の進化を遂げた。メキシコ中央高原でも12世紀以降、アステカ人が太陽神を信仰する王国を構築、繁栄を謳歌している。

 だが、それも16世紀初頭に終わりを迎える。スペイン人の征服者コルテスの侵攻によってアステカ王国は滅亡、それをきっかけにスペインによるメキシコ支配が始まったからだ。

 スペイン人による統治は過酷を極めた。鉱山開発に伴う労役や疫病によって先住民の人口は激減した。一説には2500万人いた人口が16世紀の終わりには100万人にまで減ったという。同時に、スペイン人支配は白人男性と先住民女性の混血、メスティーソを産み落とした。メスティーソを含めた混血の比率はメキシコ人の8割を越える。

 この複雑な出自がメキシコ人の精神性に深く影響を与えているとパスは言う。

 メキシコには「チンガール」という独特なスペイン語がある。一義的には「犯す」という意味で、スペイン人の征服者による先住民女性への暴行という歴史が反映された言葉だ。メキシコ社会人類学高等研究所所長の平井伸治によれば、能動的で攻撃的で閉鎖的な男性が、受動的で無防備で開放的な女性を暴行するという二元化されたレトリックで理解される。

 「メキシコ人にとって、人生はチンガールするか、されるかのどちらか」

 そうパスが書くように、メキシコ人の精神的屈辱と劣等感を表現したものである。

 自分たちのルーツに対する微妙な感情は死に対するスタンスにも表れている。

 スペイン人にチンガールされた先住民女性の子孫ゆえに、メキシコ人は生を100%肯定的に捉えることができない。死に対しても淡泊なところがあり、死を恐れるのではなく、死と真正面から向き合い、シニカルな笑いに変える。露天にカラフルな骸骨が並び、「死者の日」に骸骨のお菓子を食べるのは、パスが指摘する精神性のためだろう。

 もちろん、最近の経済成長によってメキシコ人は自国に対する自信を深めている。パスの分析は一世代以上も前のことで、メキシコ人の精神性は変化しつつあるのかもしれない。だが、自分たちが殺した相手の死体をもてあそぶドラッグカルテルの常軌を逸した残虐性を見ていると、パスの指摘は今の時代にも生きているように感じる。