退役軍人に忍び寄るドラッグカルテル

 ティフアナにいる退役軍人の中でカルテルと結びつく人間が出るのも、生活の立ち上げに苦慮するのと無縁ではない。逆に言えば、カルテルはそこにつけ込み元軍人に近づいてくる。退役軍人は銃の扱いに慣れており、人間の殺し方も知っている。軍隊の規律や組織についても詳しい。ライバルのカルテルと戦う上で退役軍人のスキルは極めて有用だ。ゆえに、カネのない退役軍人を積極的にスカウトする。

 「初めはとてもフレンドリーにやってくる。『海軍にいたらしいね。この銃に何かが詰まったんだけど、これを直せないか?』と。それで銃をバラして直してやると、『オレたちと働かないか』と言ってくる。リクルートされるんだよ」

 「断ったら?」

 「殺される。こちらが何をしでかすか分からないから。数千ドルの仕事をオファーしたのになぜこいつは断った? 他のカルテルに取り込まれているから断ったんじゃないか? こいつは武器も扱えるし、オレたちの顔も知っている。こいつはオレたちの脅威になるんじゃないか? っていう具合に。おかげで何度か引っ越ししなければならなかった」

 そうアレハンドロは打ち明ける。実際に、アフガニスタンやイラクで戦っていた米兵やタリバンの兵士がカルテルにスカウトされているとアレハンドロは言う。

アレハンドロはドラッグカルテルに勧誘された経験がある
アレハンドロはドラッグカルテルに勧誘された経験がある

 生活の基盤が米国にあるので当然といえば当然だが、強制送還された彼らはまず米国に戻ろうと考える。他の不法移民と同じく密入国で、だ。事実、少し前まで米国への密入国はそれほど難しくなかった。

 アレハンドロの場合、2006年にメキシコに送られた後、ティフアナに会いに来た妻と一緒に米国に戻った。強制送還されたとはいうものの、彼には有効期限がまだ残っているカリフォルニア州の免許証があった。妻がそれを持ってティフアナに来たのだ。

 その晩、ふたりでタコスを食べ、ナイトクラブでダンスを踊り、真夜中の2時に国境を越える車列に並んだ。そして彼の番になった時に担当官はステータスを聞いてきた。アレハンドロは「米国市民だ」と嘘をつき、カリフォルニア州の免許証と海軍にいた時の書類を見せた。担当官の目の色が変わったのは彼も海軍出だったからだ。

 「OK。でも、2008年になったら君たちはパスポートが必要になるよ」

 それ以上、何も聞かれることはなかった。2000年代半ばの話だ。

 不法移民として戻ったところで、仕事はいくらでもあった。アレハンドロはトラックドライバーとしての職を得た。南カリフォルニアのホームデポやウォルマートに観葉植物を届ける仕事である。

 面接の際には、やはり「米国市民」と嘘をつき、海軍時代の書類を見せた。生後まもなく米国の里親に養子に出されたこともあり、英語はペラペラ。現在であれば、米国の就労資格があるかどうかはE-Verify(就労ステータスのチェックシステム)で明らかにされるだろうが、海軍の所属歴まで見せれば誰もメキシコ人とは思わないだろう。

 いやひょっとすると、薄々分かっていたのかもしれない。不法移民は雇用主にとって貴重な労働力だ。しかも、時あたかも金融危機前の好況期。米経済がフルスロットルで加速している中で、重労働のトラックドライバーを集めるのは簡単ではない。ニューヨーク市と同様に、カリフォルニア州の大都市は不法移民に寛容なサンクチュアリシティ(聖域都市)。犯罪や事故でも起こさない限り、在留資格の有無を警官に求められることはない。

 だが、アレハンドロは確定申告の際に不法滞在がICE(移民・関税執行局)にバレた。ある日、仕事から帰ってくつろいでいる時に電話がかかってきた。

 「アレハンドロ・ゴメスさんですか?」

 

 「そうですけど、何か?」

 そう答えたところ、相手は電話を切った。翌日ガレージを出ようとすると、ショットガンやマシンガンで武装した人間に取り囲まれた。逮捕は2010年5月10日。強制送還は5月18日。あっという間の出来事だった。

 「あの時に自分が罪を犯していたということに気づいた」

 その後、妻と別れたという話は既にした。

 密入国がバレた後の対応はアレハンドロのようにすぐに国外退去処分になる場合や、長期間、刑務所に送られる場合など様々だ。先の弁護士によれば、前科の重さなど個別の事情によるようだ。

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