そして、バンカーを設立したヘクターの場合は貧困と暴力からの脱出だった。
7歳で米国に来たヘクターが生まれ育ったのはロサンゼルスのコンプトンである。ロスのダウンタウンとロングビーチの間にある町で、高い犯罪率とギャングの抗争でその名をとどろかせているところだ。殺人、強盗、麻薬取引がはびこるコンプトンは地元の住人以外はまず近寄らない場所だが、貧しい移民の家族に住む場所を選ぶ権利などない。必然的に低所得者の集まるコンプトンに流れ着いた。
「軍隊に入ったのはGIジョーに憧れていたから。ただ、あのままコンプトンにいれば、今ごろ死んでいるか、刑務所の中か、本格的なドラッグ中毒になっていた。市民権が約束されているうちに、あの環境を抜け出そうと思ったんだよ」
その後、陸軍に配属されたヘクターはルイスと同じ第82空挺部隊に配属された。およそ6年の軍隊生活ではノースカロライナのフォート・ブラッグやテキサスのフォート・ブリス、ルイジアナのフォート・ポルクなどの基地に赴任した。
「戦場には行っていない。だが、必要とあればどこにでも行き、国のために死ぬ覚悟はできていた」
ところが、2001年に銃撃事件に巻き込まれたことで、彼の人生も暗転する。発砲によるけが人はなく、実際に発砲したのもヘクターではないようだが、ヘクターは罪を認めて3年の刑に処される。その後、刑期を終えた2004年にメキシコに強制送還された。
「事件の詳細については話したくない。書類上は私がやったと書いてある。それがすべてだ」
市民権のため、大学に行く資金作りのため、仕事にありつくため、世界中を飛び回るため――。いつの時代も軍隊に行く理由は人それぞれだ。だが、入隊した後に軍が提供している市民権獲得プログラムの存在を知ると、大半の移民が申し込む。

根っこは米国人だから絶望する
国境のフェンスに名前を残した人の中には、ガンや心臓発作でなくなった人もいれば、薬物に溺れたり、行方知れずになったりした人間もいる。ヘクターはその中で踏みとどまってバンカーを設立したが、絶望して自暴自棄になる人間も少なくない。
彼らが強制送還された理由は極めてシンプルで、永住権を持つ外国人が法に触れることをしたためである。元軍人であろうがなかろうが、システマチックに法を執行するのが国家権力というものだ。もっとも、彼らが異国の地で絶望するのは、書類上、“a citizen of Mexico”と書かれているだけで、彼らが根本的に米国人だからだ。
12年の刑期を終えたルイスは所持金もないままメキシコに追放された。だが、彼の生活の基盤は米国で、メキシコには疎遠になった父親以外に知り合いは誰もいなかった。そんなルイスの救いになったのは母と姉、そしてスペイン語だ。
ティフアナに来た直後、ルイスの母はアパートが見つかるまでの1週間、バンカーに身を寄せたルイスに付き添った。姉も当面の生活費を工面して送ってくれた。今でこそ子供の時のスペイン語を駆使してテレマーケターの仕事に就いているが、それまでの生活費がなければ犯罪に手を染めるか、ドラッグにはまるか、麻薬カルテルに落ちるかのいずれかだっただろう。

ヘロイン2グラムで追放されたアンドリューも同様だ。テキサスの農園の労働者だった彼の父親は農場主に勧められ、1955年に永住権を取得した。子供だったアンドリューもその時にグリーンカードを手に入れている。それ以来、2010年に国外退去処分を受けるまで50年以上、米国人として生活してきた。それだけに、文化や習慣などに適応するのは簡単ではない。
「逮捕されるまで自分がメキシコ人だと認識すらしなかった」
ホアキンはそう語るが、その言葉は強制送還された退役軍人に多かれ少なかれ共通する感覚だ。
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