今回、国境の連載を始めるにあたって、その一つの核はティフアナにしようと決めていた。
米国という巨大市場を背にしたティフアナは人とモノが流れる入り口。NAFTAやマキラドーラなど自由貿易の恩恵を受けて発展しており、豊かになりつつあるメキシコの象徴だ。一方で、ドラッグカルテルの縄張り争いや蔓延するドラッグ、終わらない貧困や米国に渡ろうとする不法移民の存在など国境を接するがゆえの問題も数多く抱えている。国境の町の光と影、そしてフェンスの両側にある現実――。ティフアナには、そのコントラストが最も鮮明に現れていると思ったからだ。
そして、実際に調べ始めると、ティフアナに変わった団体があることを知る。“Deported Veterans Support House”。通称、「Bunker(バンカー)」と呼ばれる施設である。
メキシコ・ティフアナにある“掩体壕”
米軍に所属する軍人の中には「市民権(Citizenship)」ではなく「永住権(Permanent resident status:いわゆるグリーンカード保有者)」を持った外国人も多く、その中には軍に所属中に罪を犯して国外退去処分を受けた人間もいる。服役後、永住権を剥奪され、本来の国籍の国に追放されるのだ。
だが、彼らの多くは米国に生活の基盤があり、放り出されて困窮する場合が少なくない。そういった外国籍(主にメキシコ人)の退役軍人に寝泊まりする場所を一時的に提供したり、電話やメール、仕事の斡旋や各種手続きを手伝ったり、ティフアナの路頭に迷った退役軍人のあらゆる面倒を見ている組織である。
ティフアナのダウンタウンを取り囲むように存在するいくつもの丘。その一つの住宅地にバンカーは本拠を置く。ホームレスやドラッグ中毒者も散見されるが、ブロックを積み重ねたような2階建ての長屋が続くごく普通の住宅地だ。その入り口には星条旗と米海兵隊の旗があり、1階には執務机と仮眠を取るためのソファやシャワー、2階には簡易ベッドが3つと小さなキッチンが一つある。2階の壁には軍隊に入隊した時に撮影された写真のだろうか、若き兵士たちの写真が飾られている。

7月後半のある日、バンカーを訪ねると、スキンヘッドの男が笑顔で取材班を迎え入れた。この組織を設立したヘクター・バラハス・ヴァレラである。
腹こそ出ているが、スキンヘッドにマッチョな上半身はテキサスあたりにいかにもいそうな風貌だ。7歳の時に親と一緒に米国に移住したため身も心も米国人だが、2010年になじみのない故国に送り返された。同じような境遇に陥った人間の中には絶望して命を絶ったり、ドラッグに溺れたりする人間も少なくない。ヘクターはそういった境遇の退役軍人を集め、支援の手を差し伸べている。
「軍隊ではバンカー(掩体壕)というのは安全地帯といった意味だ。誰かがそう名付けたのさ。長い戦いの中では休息の場所が必要だ。これは長い戦いだからね」
米国では不法移民の親に連れてこられた子供たち、通称「ドリーマー」の扱いが社会問題になっている。ティフアナの退役軍人が持っていたのは合法的な永住権で、自身の犯罪で国外退去処分になったという面では自業自得だ。だが、彼らも幼少期に親とともに移住した移民2世。ドリーマーが強制送還された時に味わうであろう艱難辛苦を一足先に体験した存在だとも言える。
光と影が交錯するティフアナ。今から紡ぐのは、つまらない過ちで人生を棒に振った愚か者の、そして国境と国籍に翻弄された男たちの悲喜劇である。

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