目の前の大男は国境のフェンスの前に立つと、赤茶けた柵に自分の名前を書き始めた。「Joaquin Aviles(ホアキン・アヴィレス)」。周囲の柵を見ると、同じように白いペンキに名前が描かれている。
「ここに名前があるのは、米国のために尽くし、米国から追い出された男たちだ」
ホアキンはかつて精鋭が集まる米海兵隊に所属していたが、今はフェンスのこちら側、つまりメキシコ側にいる。つまらない犯罪に手を染めたと言えばそれまでだが、米国人として生まれ育った自分がなぜ国外追放の憂き目にあうのか釈然としない思いも抱えている。
名前が書かれたフェンスは“米国人”だった彼らの墓標。自分は今ここにいる――。名前を書き込んでいるのは、それを歴史の中に刻み込むためだ。
すぐ隣では、米国とメキシコで離ればなれになった家族がフェンス越しに話している。ここ、Friendship Parkでは毎週、土曜と日曜の午前10時から午後2時の間、米国サイドのゲートが開く。このわずかな間に、人々はひとときの再会を果たす。
今年2月、米国の規制が強化されたことで、ひと組の持ち時間は30分に、一回のグループは10人までに限定された。トランプ政権が進める国境警備の厳格化はこんなところにも見て取れる。
国境の日差しは強烈だが、爽やかな海風と波の音が心地いい。


太平洋に面した人口140万人の国境都市、メキシコ・ティフアナ。メキシコ有数の工業都市で、北米自由貿易協定(NAFTA)やIMMEX(米国への輸出を前提に、原材料や部品の輸入時に関税や税金が免除される制度。かつてのマキラドーラ)を活用したグローバル企業の工場が数多く集積している。

米国へのドラッグ密輸拠点としても悪名をはせており、古くはフェリックス兄弟が率いたティフアナカルテル、最近もハリスコ・ニュージェネレーションやシナロアカルテルなどのドラッグカルテルが暗躍、ティフアナのシマを巡って抗争を繰り広げている。ドラッグに絡む犯罪は日常茶飯事だ。
また、ドラッグカルテルと表裏一体だが、風俗産業も活発で、国境ゲートに近いソナ・ノルテには高級ストリップクラブと安っぽいラブホテルが隣り合って建っている。ほこりっぽいストリートにはメキシコ全土から集まった女性たちが行き交う男に蠱惑な視線を送る。
あるものは働くために、あるものは親族に会うために、あるものはティフアナの夜を楽しむために、毎日、大勢の人間がティフアナと米国のサン・イシドロの間を行き来する。米運輸省によって入国者数が発表されている通関手続き地は米国とメキシコの国境で27カ所。その中でもサン・イシドロの年3200万人という入国者数は最大だ。

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