勝利集会に向かうトランプ氏(写真=ロイター/アフロ)
長編の政治リアリティーショーと考えれば、これ以上ない筋書きだったのではないだろうか。
11月9日午前2時40分。米CNNに短いテロップが流れた。「クリントン候補、電話で負けを認める」。その瞬間、共和党の大統領候補、ドナルド・トランプ氏の会見が予定されていたヒルトンホテルの周辺は異常などよめきにつつまれた。純粋にトランプの当選に歓喜した人間もいれば、トランプ大統領が米国と世界に与えるであろう混沌を前にしたおののきもあったに違いない。
先の読めない展開と終盤のどんでん返しが優れたシナリオの条件だとすれば、今回の大統領選は100点満点がつけられる。
まず、登場人物の設定が素晴らしい。主人公のトランプ氏は不動産王国を作りあげたビリオネア。メキシコ移民をレイプ魔とののしり、元ミス・ユニバースを公の場で“ミス子豚”と呼ぶなど、大統領候補としてはあまりに粗暴だが、エリートが支配する腐りきったワシントン政治とは無縁のアウトサイダーだ。一方、ライバルのヒラリー・クリントン候補は政策に対する知見も高く、政治家としての実行力も申し分ない。ビル・クリントン元大統領のファーストレディーとしてホワイトハウス入りした後、上院議員、国務長官として権力の階段を駆け上ったザ・エスタブリッシュメントである。
何より展開がドラマティックだった。
昨年6月に出馬表明した時点では「メキシコ国境に壁を築く」と荒唐無稽な政策を唱えるだけの泡沫候補に過ぎなかった。だが、歯に衣着せぬ言動やライバルの主流派候補への容赦ない攻撃で、経済的・社会的に劣後感を感じていた白人労働者層からカルト的な支持を獲得。ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事 など並みいる有力者を押さえて支持率トップに躍り出た。
それでも2月に予備選が始まるまで、多くの専門家はトランプ氏がいずれ失速すると高をくくっていた。だが、予備選が始まると、彼の勢いが本物であると気づき始める。
白人労働者層に共感する唯一の政治家
その背景にあったのは米社会、とりわけ低所得の白人が抱えていた澱のような不満だ。
今回の大統領選でトランプ氏は、オハイオ州やノースカロライナ州、ウェストバージニア州など、白人労働者の比率が高い州で勝利を収めた。こういった州の多くは、日本や韓国、中国などとの国際競争に晒され、製造工程の自動化や工場の海外移転などに直面した地域だ。
鉄鋼業の「グラウンドゼロ」と呼ばれるペンシルベニア州アリクィッパは製鋼所の閉鎖で人口の大半が失業した。ここまで極端ではないにしても、製鋼所を抱えたペンシルベニアやオハイオの企業城下町の多くは1980年代以降、製鋼所の閉鎖や人員削減に見舞われた。それは家具で栄えたノースカロライナ州ヒッコリーや炭坑の街、ウェストバージニア州チャールストン周辺も変わらない。
こういった地域ではコミュニティの崩壊も深刻だ。ラストベルトの白人低所得者階級に生まれ、貧困と暴力の中で育ったJ.D.バンスの回顧録、『ヒルビリー・エレジー(田舎者の哀歌)』。ここで描かれているのは、雇用が失われた後も街を離れることができない貧困層が仕事や絆をなくし、暴力やドラッグに走る現実である。事実、ラストベルトやアパラチア山脈周辺は薬物中毒死がほかの地域よりも多い。
メキシコに壁を築くといった発言や不法移民の強制送還 はニューヨークのエリートやワシントンのエスタブリッシュメントには乱暴な声に聞こえる。だが、ラストベルトに暮らす人々にとってはみれば、自分達の苦境を理解し、共感してくれる唯一の政治家。彼らのような人々がトランプに希望を見出していたのだ。
そして2月。それまでトランプ氏に対する攻撃を控えていたライバル候補も、トランプ氏の躍進を前に慌てて攻撃を始めた。だが、乱戦でのケンカとなればトランプ氏の方が一枚上手。マルコ・ルビオ上院議員とのイチモツの大きさ論争やテッド・クルーズ上院議員との夫人を巡る中傷合戦などくだらない応酬のオンパレードだったが、罵詈雑言をパワーに変えたトランプ氏が熾烈な予備選を勝ち抜いた。まさかの指名獲得である。
ブレグジットの“再来”
相前後して、今回のリアリティーショーに花を添える動きが欧州で起きる。ブレグジット、すなわち英国のEU(欧州連合)離脱を決めた国民投票である。EUの肥大化した官僚機構や国家主権の制限に対する怒りなど、様々な背景が解説されたが、突き詰めれば、経済的な豊かさを実感できず、経済成長から取り残されたと感じている人々、特に地方都市の中高年の反乱である。ブレグジットを主導したボリス・ジョンソン氏がトランプ氏と同様のポピュリストだったこともあり、誰もがその姿をトランプ氏に重ねた。
もっとも、ポール・ライアン下院議長をはじめ主流派は、トランプ氏が党の正式な候補になればそれらしく振る舞うのではないかと期待していた。米国でも無党派層が占める割合は増えている。フロリダ州など大統領選で重要な役割を果たす州でヒスパニックの存在感が増しており、彼らに支持を広げなければホワイトハウスに手は届かない。そのためには従来の移民に対する強硬姿勢を和らげる必要がある。
実際、トランプ氏も演説の際にアドリブを控え、プロンプターを読むなどまともな候補になろうとした時期もあった。だが、70年間で培われた性格は数カ月で変わるものではない。党大会の直後、トランプ氏を批判した米兵遺族を脊髄反射的に攻撃してしまう。米国では戦争で死亡した兵士の家族を侮辱することはタブーである。結果的に、トランプ氏への支持を撤回する共和党主流派が相次いだ。8月半ばには選対本部長が辞任するなど、陣営内のごたごたがやまなかった。この時に、支持層を広げるのはやめて、原点である白人労働者階級に絞った選挙戦を展開すると決めたのだろう。
エスタブリッシュメントにしか見えない
それでも、クリントン氏との支持率の差が思ったほど広がらなかったのは、クリントン氏に対する不信感が大きい。
選挙期間中、クリントン氏は国務長官時代の私用メール問題や慈善団体「クリントン財団」による便宜供与疑惑などで強い批判を浴びた。私用メール問題は米連邦捜査局(FBI)の再捜査など二転三転したが、最終的に訴追を求めないという結論にいたった。それでもクリントン氏に対して、「何かを隠している」「嘘つき」という印象を持つ有権者は数多い。
女性の社会進出を阻む「ガラスの天井」を突き破る存在として同氏に期待する向きもあるが、ファーストレディーにとどまらず、上院議員、大統領と権力を目指すクリントン氏の上昇志向を毛嫌いする層は確実に存在する。サンダース氏を支持した若者たちにとってもクリントン氏は、ワシントン政治に染まりきったエスタブリッシュメントにしか見えないだろう。30年間の政治活動で染みついたイメージは数カ月では変わらない。最終的に、クリントン氏はマイノリティ票とサンダース票の両方を取り逃すことになる。
テレビ討論会を前にした9月半ば。両者の支持率の差は1ポイント以内まで縮まったが、その後、前代未聞のオクトーバーサプライズが炸裂する。テレビ番組に共演した女性に対する過去のわいせつ発言ビデオが暴露されたのだ。トランプ氏は「ロッカールームの会話だ」と火消しに努めたが、「スターであれば誰とでもヤレる」という趣旨の発言が大統領選の1カ月前に出た影響の大きさは計り知れない。「もうトランプは終わった」と多くの政治評論家が結論づけたのも当然だ。
その後、選挙直前にFBI(米連邦捜査局)のコミー長官がクリントン氏の私用メール問題を再調査すると発表する別のサプライズが起きたが、それでもトランプ氏が勝利する道はかなり限られていた。
彼が過半数の選挙人を獲得するためには、2012年の大統領選で共和党のミット・ロムニー候補が勝利した24州をすべて押さえた上で、フロリダやノースカロライナなどどちらに転ぶか分からない激戦州や、コロラドやペンシルベニアなど民主党寄りと考えられている州を取る必要があった。ロムニー氏が2012年に取った州も決して安泰ではない。オハイオ州やアイオワ州などはクリントン氏が力を入れ、激戦州となっている。奇跡に奇跡が重ならなければホワイトハウスへの道のりは厳しい――。そう思われていた。
米国の有権者は変化を選択した
それでも勝利したのはなぜか。ひと言で言えば、変化への渇望である。
ロナルド・レーガン元大統領のスピーチライターを務めたペギー・ヌーナン氏は以前、米ウォールストリート・ジャーナルの定期コラムで、今年の大統領選を「絶望」と「不安」の戦いとたとえた。
民主党のクリントン候補は政治経験が豊富で政策的な知見も高いが、政治経済を牛耳る主流派の代弁者で体制の劇的な変化は望めない。他方、共和党のトランプ候補は既存政治とは無縁のアウトサイダーだが、大統領になった後どのような世界を作るのかはふたを開けてみないと分からない。能力は申し分ないが現状維持の候補と、破壊力は満点だが予測不能な候補の二者択一。それを「絶望」と「不安」という言葉で表したのだ。そして、米国の有権者は最終的に変化を選択した。
サイレントマジョリティとして無視されてきた地方の白人の反乱と言い換えることもできる。
オバマ政権の8年間で経済は着実に回復しているが、所得の伸びは遅々としており、中間値を見れば金融危機前の水準を下回る。グローバル化と貿易の拡大で国は豊かになったのかもしれないが、慣れ親しんだ仕事がなくなり、英語を話さない隣人が増えた。オバマ大統領の8年間で同性婚の容認などリベラルな政策が導入され、「多様性」を重視すべしとの掛け声の下でマイノリティばかりが優遇される。彼らの視点から見れば、オバマ大統領の8年で米国は確実に悪化した。将来に対する不安が高まっているにもかかわらず、ワシントンのエリートは党利党略ばかりで物事が何も決まらない――。
その怒りは共和党の主流派にも向いている。
ライアン下院議長をはじめとする主流派は自由貿易や移民の受け入れを支持してきたが、地方に暮らす白人の多くはそれらを望んでいない。主流派が目指すソーシャルセキュリティの削減や富裕層減税も、ブッシュが始めたイラク戦争や積極的な拡張外交も、恐らく彼らの多くは望んでいない。トランプ氏が共和党の分裂を招いたとしばしば指摘されるが、既に共和党は、エスタブリッシュメントや富裕層と、それ以下に分裂していた。トランプ氏はそこに現れ、人々の不満に火をつけただけだ。
「これは白人の反撃だ。国を変えようという白人の反撃であり、黒人大統領に対する反撃である」。CNNでコメンテーターを努めるバン・ジョーンズ氏はこう述べた。トランプ氏が人格的に大統領に向かないと60%の人々が考えていた。その中でトランプ氏が大統領になり、上下院を制したという事実。それはオバマ政権とリベラルに虐げられてきた白人のせい一杯の復讐なのだろう。
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