1カ月120km以上のウォーキングで前立腺がんの死亡率が低下

 奧井さん自身も、長いこと前立腺がんと運動の研究を続けている。

 前立腺がんと診断された患者102人(平均74.8歳)に、ホルモン治療と併行してウォーキングを指導した。8年間で48人が死亡、うち20人(41.7%)は前立腺がんが原因だったが、「1ヵ月に120km以上のウォーキング」をしている人たちは、死亡率が半分に抑えられたという。

 「雨の日も風の日もやる必要はない。1日6km、月20日を目安に指導しています」(奧井さん)

 1ヵ月のウォーキングが120kmに満たない人たちは51人中32人が死亡し、うち前立腺がんによって亡くなった人たちは20人だった。それに対して月120km以上ウォーキングをしていた人たちは51人中16人が死亡。前立腺がんによって死亡した人は、なんと1人もいなかったのだ(下図)。なお研究の詳しい内容は、12月に大阪で開催される第8回泌尿器抗加齢医学研究会で発表される予定だ。

ウォーキングは前立腺がん患者の死亡リスクを抑える
平均74.8歳の前立腺がん患者に、治療と併行してウォーキングを指導した。1ヵ月120km以上のウォーキングを実行した人たちは死亡リスクが半減。前立腺がんによる死亡はゼロだった。(データ提供:奧井院長)
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筋肉の成長に男性ホルモンが使われる?

 なぜ運動によって前立腺がんの進行が抑えられるのだろう? 奧井さんはテストステロン(主要な男性ホルモン)が筋肉で消費されるからではないか、と考えている。

 前立腺がんはテストステロンをエサにして増殖する性質を持つ。そのため、治療はテストステロンの分泌を抑えることが基本になる。テストステロンの分泌が抑えられることで、気分が沈む、筋肉が減るなど、いわゆる男性更年期障害のような症状が起こることもある。

 彼は、あくまで一つの仮説として提唱する。

 「運動で筋肉が刺激されると大量のテストステロンが分泌され、筋肉に運ばれます。筋肉細胞の男性ホルモン受容体にテストステロンがくっつくと、細胞分裂を促進して筋肉を増やす。この体の働きによって筋肉で使われたテストステロンは消えてなくなる、と考えれば納得できます」(奥井さん)

 つまり、運動によってテストステロンが筋肉で使われ、前立腺がんのエサになる量が減るのではないか、というわけだ。

 運動はやればやるほどいいわけではない。健康な市民ランナーを対象にした奧井さんの研究から、1カ月200km以上走っている男性はテストステロンの数値が低くなってしまうことも確認されている(関連記事「やり過ぎ厳禁! 「適度な運動量」ってどれくらい?」を参照)。「運動によって筋肉でテストステロンが消費される」とすれば、これも納得できる結果だ。前立腺がん患者ならいいかもしれないが、健康な男性にとってテストステロンの低下は弊害の方が大きい。

 さらに、奥井さんは大腸がんに関しても仮説を提案する。「大腸がんの場合も同じく、運動でIGF(インスリン様成長因子)が筋肉で使われることが、がんの進行を抑える大きな要因になっているように思います」と奧井さんは続ける。

 IGFとはインスリンと構造がよく似ていて細胞増殖作用がある物質。これによって大腸がんが増殖するが、前立腺がんのテストステロンのように、運動することで筋肉にIGFが運ばれ、筋肉細胞の分裂によって消費されているのではないかという。

 しかし、これらはまだ解決しないといけない問題が多い。運動とがん抑制というのは、いまだにメカニズムがほとんど分かっていないからだ。「もっと多くのサンプルを集めて、日本全体で考えていくべきテーマだと思います。米国のように、がん生存者が積極的に治療データを後世の研究のために残して、日本のがん治療に役立てるシステムが必要です」と奥井さんは話す。