「経営者に役立つ知恵の宝庫」。ローソンやファーストリテイリングの社長を歴任した玉塚元一デジタルハーツホールディングス社長は「システムデザイン」についてこう語る。システムデザインは企業や事業、製品を「システム」としてとらえ、価値を生むシステムを発案、設計、構築、評価するアプローチ。質問魔の玉塚社長が様々な経営課題を取り上げ、宇宙から農業、スポーツまで幅広い分野でシステムデザインを研究する神武直彦慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授にその要諦を尋ねる。
(進行役は日経BP総研の谷島宣之上席研究員、写真撮影=北山宏一)
ラガーマン玉塚元一氏(右)が、宇宙システム研究者で同じくラガーマンの神武直彦教授(左)にシステムデザインについて聞く。
玉塚さんは今、システムデザインに大変興味を持っており、そのきっかけは慶應義塾大学ラグビー部の法人化プロジェクトだと聞きました。話のつながりがよく見えないのですが。
玉塚:正式名称はラグビー部ではなく、慶應義塾體育會蹴球部です。我々OBは蹴球部と呼んでいます。蹴球部を支援する一般社団法人、「慶應ラグビー倶楽部」を今年3月1日付で設立し、7月に発表しました。
蹴球部のOBとして私は法人化プロジェクトに関わり、法人を設立するまでにOBはもちろん、現役の部員、いち早く法人化に踏み切った京都大学アメリカンフットボール部の方などから意見をうかがいました。その一環で、蹴球部でのデータ戦略やその活用でお世話になっている神武さんからも助言してもらいました。
そのとき、システムデザインという考え方、やり方を初めて聞き、これは経営そのものじゃないか、と思いました。私は昔から質問魔で気になることが出てくると相手を質問攻めにする癖があります。初対面で話を聞いた後、神武さんに「おじゃましたい」と電子メールを送り、数日後に押しかけて、システムデザインとは何か、じっくり教えてもらいました。
システムとは何か
神武:蹴球部の法人化については助言というほどのことではなく、システムデザインの考え方からすると、こういう点に配慮が必要ではないでしょうか、と申し上げた程度です。
システムは結構使われる言葉ですが、何らかの目的を達成するために複数の要素を組み合わせたものとそのつながりのことです、と説明しています。目的を明確にし、それを成し遂げるシステムを構想し、要素を組み合わせる構造を考え、個々の要素から全体までつくりあげる。これがシステムデザインで、私が所属しているシステムデザイン・マネジメント研究科はこういうことを学生や社会人学生と、あるいは学外の企業や団体と共に研究しています。
システムと聞くと情報システムやIT(情報技術)を思い浮かべてしまいますが。
神武:何かのシステムを見たとき、それを構成する要素にITが入ることが多いでしょう。ただし、必ず入るとは限りません。よく、「システムデザイン・マネジメント研究科はSE(システムズエンジニア)を育成するところですか?」と聞かれるのですが、いわゆるIT産業のSEだけを育成しているわけではありません。
玉塚:いくつかの会社で社長をしたとき、会社を支援するコンサルティングの仕事をしていたとき、情報システムやITにはいつも悩まされましたから、その辺りには大いに関心があります。ただし、システムデザインで言うシステムはもっと広範囲で、企業や団体までも対象ですね。
神武:ええ、組織も一つのシステムです。慶應ラグビー倶楽部という一般社団法人の新設は新しい組織をつくるプロジェクトですから、システムデザインの考え方やり方を当てはめることができますね。
玉塚 元一
旭硝子などを経て、2002年ファーストリテイリング代表取締役社長 兼 COOに就任。2005年9月に企業再生・事業の成長を手掛ける企業リヴァンプを創業。ローソン社長、会長CEOを経て2017年6月、デジタル製品のテスト及びQAを行うデジタルハーツホールディングス代表取締役社長CEOに就任。
システムは目的を持つ
システムに目的があるとすると、今回の法人化の場合、何ですか。
玉塚:話をやや大きくして一般論を申し上げると、大学にある運動部の法人化は多くの方に考えてほしい大事なテーマだと思っています。わかりやすくするために、あえて生々しい言い方をすると、けっして小さくない額のお金が動き、学生からOBまでけっして少なくない人数が関わっているわりに、組織としてのガバナンスがどうなっているのか、外から見てわかりにくいところがありました。
蹴球部を例にとると、150人ほどの部員がいて、彼らが部費を払い、現場は学生主体で動いている。一方、黒黄会(こっこうかい)というOB会があり、そこに私を含め、1300人くらいの会員がいて、会費を払っている。部費と会費以外にチケット収入があったり、スポンサーから寄付を募ったりすることもあります。
もちろんお金の管理はきっちりやっています。ただ、大変なのですよ。蹴球部でしたら、女子学生のマネジャーが沢山の通帳を見ながら入出金を事細かくチェックしています。OB会もOB会でやっている。
規模の大小はともかく、どの大学でも似たり寄ったりでしょう。また、何か新しいことをしようとしたとき、運動部とOB会が何をどう判断していくのか、この辺りも複雑な場合がある。実際に問題があったとか、なかったとか、そういう話ではなくて、組織として見た場合、もっといい形があるのではないかということです。
今後は新法人の慶應ラグビー倶楽部が部費や会費を徴収して管理するのですか。
玉塚:現場は今まで通りです。蹴球部も黒黄会も長い歴史を持つ組織ですから今後も自主的に活動します。ただし、新法人のスタッフが蹴球部や黒黄会を手伝って、全体のお金の管理を一緒にやっていきます。慶應ラグビー全体として、どのくらいのお金が出入りし、どう使っているか、一元管理をするわけです。
神武 直彦
宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構・JAXA)でH-ⅡAロケットの研究開発と打ち上げに従事。欧州宇宙機関(ESA)研究員を経て、JAXA主任開発員。2009年度より慶應義塾大学准教授。2018年度より現職。社会技術システムのデザインやマネジメントの教育研究に従事。
複数世代からアイデアをもらう
大学の運動部やOB会はそもそもどういう位置付けだったのですか。
神武:任意団体です。文字通り、任意でやっている団体です。文武両道という言葉がありますし、慶應義塾大学はそれを目指していて、学生は教室で講義を受けるだけではなく、体を動かす体育の授業も受講します。ただ、体育会の活動は任意です。
玉塚:文武両道の人材育成は重要で、新法人をつくった目的の一つです。ただ、最初からすべての目的を明確に決めていたのかというとそうでもなく、慶應のラグビーは今後どうなっていくとよいのだろうか、というそもそものところから議論を始めました。
土曜日などに学生やOB・OG、関係者に集まってもらい、あれこれ話し合うと実に色々な声が出てきました。今後を担う若手の意見を聞かないといけない、ということで、20代、30代、40代に意識的に声をかけ、複数の年代からアイデアをもらいました。
もっとコーチの数を増やしたい。世界のラグビーはどんどん進化しているから外国人のコーチにも来てほしい。ラグビーをやってきた海外の学生を受け入れたい。慶應義塾全体で見ると13のラグビー団体があり、総勢750人も部員がいる。もっと連携してはどうか。合宿所もばらばらだが、クラブハウスを持ったほうがいいのではないか。ITをもっと使ってスポーツデータをとり、試合やトレーニングに活かすべきだ、とか。
こうしたことに優先順位を付け、新法人が取り組んでいきます。何をするにも先立つものが欠かせません。ですから法人格を持つ組織をつくり、お金の管理を含めたガバナンスを効かせていこう、という話になったわけです。
お二人が最初に話し合ったときにもスポーツデータの話が出たのでしょうか。
玉塚:いや、慶應のラグビーをどうしていったらよいでしょう、という大きな話でしたね。最初に神武さんに助言してもらったとき、ITやスポーツデータの話はほとんど出なかったのでは。
神武:まず申し上げたのは、法人という新システムをつくるのであれば、蹴球部を持続的に発展させていくために、将来どうなっていたいのか、どうして法人が必要なのか、その目的を明確にして、選手、OB、そして慶應義塾各校のステークホルダー(利害関係者)で共有する必要がありますね、ということでした。
その上でステークホルダーが納得し、一緒に取り組んでくれるようなシナリオを書く。持続性のある運営ができるシナリオ、ラグビーを通じて社会に貢献していけるシナリオ、もちろん現役のチームをもっと強くするシナリオも必須です。
システムにはスコープがある
シナリオができてくると新法人というシステムのスコープ(範囲)が見えてきます。ここまではやるがここから先はやらない、スコープの外で他のシステムと連携する、とか。この辺りはシステムデザインの用語で言うと、要求分析、ステークホルダー分析、アーキテクチャ設計、評価におけるスコープ定義、といった話になります。
玉塚:まさに経営そのものの話でしょう。日経ビジネスオンライン読者の方には釈迦に説法でしょうが、本当に世の中の動き、変化が急になっていますよね。先回りしたいところですが変化が先に来てしまうことが多い。
質問魔であるせいか、私はいつもファクトファインディングから入ります。マクロとミクロから事実を集める。店舗に行き、お客様や店員と話して現場で何が起こっているのか、確かめる。ファクトに基づいて変化に対する仮説を立て、対策を検討し、実行する。
対策は明日からできるものもあれば準備に時間がかかるものもある。厄介なことに対策プロジェクトを一つ始めるとそれが別のプロジェクトに影響を与える。全体が大きなシステムなので、要素と要素がつながっているからですね。仮説が正しく結果を出せたこともありましたが、仮説が違っていて失敗し、「慌てて表層的な手を打ってしまった」と反省したこともありました。
システムデザインの話を聞いて「こういう考え方やり方があったのか」といまさらですが感銘を受け、「あらかじめこういう体系立てた考え方、やり方を頭に入れておく必要がある」と痛感しました。自分が取り組むシステムは何か、どうつくっていくか、関係者は誰か、日頃から考えておくことは経営者にとっても現場の要所を担うリーダーにとっても欠かせないでしょう。
システムズエンジニアリングとは何か
「新連載の中で玉塚氏自身の失敗事例に必ず言及してもらうように」と日経ビジネスオンライン編集部から言われています。それは次回以降に譲るとして、システムデザイン・マネジメント研究科のカリキュラムを拝見すると、中心にあるのはシステムズエンジニアリングで、これは宇宙分野などから生まれた古い体系です。激動する現在のビジネスで役立ちますか。
神武:古いと言ったとき、歴史があるという意味でしたらその通りです。システムズエンジニアリングはもともと、宇宙や安全保障の分野で非常に大規模かつ複雑なシステムをつくり上げるために生まれました。アポロ計画が成功したのはシステムズエンジニアリングがあったからだと言われています。1960年代からですからおよそ50年の歴史があります。
複雑なシステムをつくりあげるデザイン手法やプロジェクトの管理手法を体系化し、様々なことに適用してきた結果、応用範囲が広がりました。というか、たいていのものは複数の要素を組み合わせたものであり、システムなので。ロケットやミサイルだけがシステムではありません。
システムズエンジニアリングの体系の中には、求められていることを明確にする手法があり、これは色々な分野で使えます。手法だけではなく、物事をシステムとしてとらえる考え方も役に立ちます。
「木を見て森を見る。森を見て木を見る」という言葉があります。これはシステムデザインをわかりやすく説いた言葉だと思っています。物事を緻密に、そして俯瞰的に、つまりシステムとしてとらえよう、ということです。
「十分に終わりことを考えよ。最初に終わりを考慮せよ」。レオナルド・ダヴィンチの言葉です。これまたシステムデザインのキーワードと言えます。システムをつくろうとしたとき、どうなると多くのステークホルダーが喜ぶか、シナリオとその結末を考え抜こうということです。場合によってはそのシステムを廃棄するところまであらかじめ考えておく必要があります。
自分のことだけ考えてもデザインできない
玉塚:蹴球部について言うと、新法人という森の狙いは極めて明確でした。とにかくもっともっと強いチームにしたいということです。それで議論を始めてみると先ほどお話したように、森の中の木の話が沢山出てくる。さらに我々の森が持続可能かどうか、という視点から考えていくと、我々以外の森もあれば、森がある山もある。そちらも一緒になって持続していこう、という話になってきます。
つまり蹴球部を強くすることだけ考えてもシステムをうまくデザインできない。勝つために手段を選ばないようなチームになってしまったら、世の中はもちろん、学生やOBからも応援を得られないでしょう。そうなると日本のラグビー界、スポーツ界への貢献とは何だろう、と考えるようになる。企業がCSRとかCSV、SDGsやESGといったキーワードを検討するようになってきたのと一緒ですね。逆に言うとシステムとして自社をとらえないと、こういうキーワードに対処できないと思います。
日本のラグビー界、スポーツ界への貢献とは例えば何ですか。
玉塚:ラグビー好きの子どもを増やす活動をするとか、日本のラグビーをもっと強くするとか、色々あります。
神武:ラグビーの進化という話が少し前に出ましたが、戦い方にしてもトレーニング方法にしても世界中で新しいやり方が考案され、実施されています。私はもともとJAXA(宇宙航空研究開発機構)にいたのですが大学に転じてからは、スポーツシステムのデザインやスポーツデータの活用といったテーマの研究やプロジェクトにも取り組んできました。
例えば、ドローンを飛ばしたり、選手にセンサーを付けたりして動きを把握し、分析結果に基づいて、怪我を予防したり、作戦を立てたり、選手ごとのトレーニングメニューを用意したり、といったことができます。これは蹴球部にも、ラグビー界やスポーツ界にも役立つと思っています。
玉塚:慶應の場合、小学校から高等学校に至る複数の一貫教育校がありますから、小さいころから大学生に至るまで、スポーツデータをとらせてもらえたら、色々なことがわかる可能性があります。たとえ慶應大学の選手が体格でやや劣るところがあったとしても、データを分析し、うまい戦い方を見つけられるかもしれません。
神武さんが言ったように、そうした発見を共有していけば日本のためにもなるはずです。体格という面で日本の選手の多くは海外選手に比べ、分が悪いわけですから。
V&Vとは何か
木と森の両方を見て、十分に終わりのことを考えろ、というのは正論ですが考えすぎると決断できないし、見切り発車をすると失敗するし、なかなか難しいのでは。
神武:時間の制約があるなかで、こことここは押さえておこう、ということが、手法を取り入れればやりやすくなります。それでもうまくいかなくなる場合があるのはその通りですが、システムズエンジニアリングにはV&Vという考え方があります。ヴェリフィケーション(Verification)とバリデーション(Validation)の略です。それぞれ検証、妥当性確認と訳されています。
検証は要求された仕様通りシステムデザインが行われているかどうかを確認すること。“Do the thing right ?”、ことを正しく行っているか、と問うわけです。妥当性確認はそのシステムが利害関係者を満足させるかどうかを確認すること。“Do the right thing ?”、正しいことを行っているか、を問います。システムをつくっていく中で、節目にV&Vを実施、問題があったらシステムを見直していく必要があります。
玉塚:V&Vも示唆に富んでいますね。あの新施策のデザインをしっかり見ていたつもりだったけれども、それは検証を念入りにやっただけで、妥当性確認が甘かったのだな、とか。
神武:著名な大型失敗プロジェクトとV&Vとの関係を調査した論文が発表されています。システムズエンジニアリングの研究論文ですが、経営者の方が読んでも気付きを得られるのではないでしょうか。
この連載では色々なテーマを取り上げ、システムデザインを学んでいきます。玉塚さんが今、気になるテーマは何でしょうか。
玉塚:事業開発は多くの経営者の関心事ではないでしょうか。経営者同士で集まると新規事業の話がよく出ます。なかなか成功しませんし。次回は事業開発をテーマにしましょう。
今回のキーワード
システム:何らかの目的を達成するために複数の要素を組み合わせたものとそのつながり
システムデザイン:目的を明確にし、その運用や終了までを念頭にそれを成し遂げるシステムを構想し、要素を組み合わせる構造を考え、個々の要素から全体までつくりあげること
システムエンジニアリング:宇宙や防衛分野から生まれた、システムの実現を成功させることができる複数の専門分野にまたがるアプローチおよび手段。
Powered by リゾーム?