皆さんは、自分の健康管理に自信がありますか。「年に1回、健診や人間ドックを受けている」という方も多いと思います。でもその際に、検査項目のオプションの多さに戸惑いませんでしたか。
胸部CT、頭部MRI、PET検査、腫瘍マーカー……。確かに医療は日進月歩ですが、その分だけ選択肢が広がって複雑になっています。「どの検査を、どのくらいの頻度で受ければいいのか」を熟知している人は少ないと思います。
日々の生活についても同様です。
タバコはどのくらい体に悪いのか。
アルコールは1日にどのくらいまでならば、飲んでいいのか。
睡眠の質を上げるには、どうすればいいのか。
どんな症状があれば病院に行った方がいいのか。
日常的なことなのに、正しい情報をしっかりと把握している人は、実際には少ないのではないでしょうか。医療の世界では日々、新しい事実が明らかになっているのに、それが驚くほど、皆さんと共有できていないのが現状なのです。
私たち医師など、医療業界に従事する人とそれ以外の人の間にはとても大きな“情報格差”があり、それは年々広がり続けています。医療が進歩する一方で、その情報を皆さんに的確に伝えるための手段がほとんど進歩していないためです。
家電製品やグルメ情報などであれば、サービスを提供する側と受ける側で“情報格差”があったとしても、実害はあまりないでしょう。けれど、医療については、皆さんの人生にダイレクトに影響を与えます。
「最新情報を知らないばかりに、気づけば手遅れになっていた」という事態は避けなければいけません。
そのために本連載では、皆さんが健康管理する上で、致命的になりうる「盲点」や「誤解」を、医師である私が、自作のマンガを活用しながらできるだけ分かりやすく解説していきます。では早速、1回目の本題に入りましょう。
15種類のがんのリスク因子になるタバコ
今年の5〜6月には、受動喫煙防止法の成立を巡って、厚生労働省と自民党、さらには小池百合子都知事、関連団体も加わって、喧々諤々の議論がなされてきました。
結局、通常国会では法案の提出すらできませんでしたが、少なくともこれをきっかけに、世の中で喫煙についての議論が深まっていくことは、とても大事なことでしょう。
そこで今回は、まずタバコのリスクから、ざっとおさらいいたしましょう。
タバコを吸うと、がんや心臓病、脳卒中、肺気腫、喘息等の罹患率や死亡率が高くなることが知られています。世の中に体に悪いものは数多くありますが、そのインパクトの強さという意味では、なんといってもタバコが群を抜いています。
上のグラフは、日本人の死亡に関わるリスク因子を並べたものですが、タバコは、がんにも心臓にも肺にも幅広く悪影響を及ぼすので、高血圧をおさえて、堂々の1位になっています。
グラフを細かく観ると、がんに対する影響力の強さが目立ちますが、実はここには肺がん以外のがんも含まれています。
「えっ、タバコは肺がんのリスク因子じゃないの?」と思った方も多いでしょう。
確かにタバコは肺がんとの関係ばかりがクローズアップされており、あたかも肺がんだけに悪影響を与えるというイメージが蔓延しています。けれど、実はそうではないのです。
IARC(国際がん研究機構)や国立がん研究センターによれば、肺がんのほかにも、鼻腔・副鼻腔のがん、口腔がん、咽頭がん、喉頭がん、食道がん、胃がん、大腸がん、膵臓がん、肝臓がん、腎臓がん、膀胱など尿路系のがん、子宮頚がん、卵巣がん、骨髄性白血病と、計15種類のがんのリスク因子でもあることが分かっています。
タバコの恐ろしさがよく分かりますよね。さらに、それぞれのがんのリスク因子がある人(胃がんのピロリ菌や肝臓がんのC型肝炎ウイルスなど)は、タバコを吸うことが相乗作用となって、がんのリスクをさらに押し上げるので、くれぐれも注意が必要です。
では、タバコを吸うと、どのくらい肺がんのリスクが増えるのでしょうか。
受動喫煙が乳幼児に与える影響は?
では次に、受動喫煙のリスクについて。
受動喫煙を受けた人は、受けていない人に比べて肺がんのリスクが1.3倍に上昇します。ただし、これも「平均するとこれくらい」という話であって、ブリンクマン指数と同様に、受動喫煙の程度がひどければ、それに比例してリスクが上昇すると推測されます。
またここで特筆しておきたいのは、「乳幼児に対する影響」です。
妊婦や乳幼児が受動喫煙を受けることによって、早産や低出生体重児、気管支炎、肺炎、気管支喘息、中耳炎のリスクが1.5〜2倍も増えると報告されています。さらに、何の予兆も既往歴もない乳幼児が、睡眠中に死亡する原因不明の病気である「乳幼児突然死症候群(SIDS)」は2〜5倍に増えます。
もしも自分がタバコを吸っていて、子供や孫がSIDSで亡くなってしまったら……。きっと悔やんでも悔やみきれないのではないでしょうか。ちなみに、SIDSを避けるには、うつぶせ寝をしないことと、母乳の栄養、そして禁煙が有効だと言われています。
子供は何でも口に入れるので、時に誤飲事故が起こります。その中で最も頻度が多いのも、やはりタバコなのです。
大人は、「タバコの煙を嗅ぎたくない」と思えば、自分で避けることができます。けれど親に依存する幼児や、身動きすらままならない乳児は、避けたいと思っても避けることができません。受動喫煙で最も被害を受けるのは、立場が弱く、抵抗できない子供たちなのです。
受動喫煙を通して、他者に病気のリスクを押し付けることなど、あってはなりません。そう考えると、「喫煙者はリスクを承知でタバコを吸っている。自己責任なのだから放っておけばいい」というロジックも、異なるのではないかと思います。
極めて恐ろしい末期の肺がん
そもそもほとんどの喫煙者は、そのリスクについての情報が足りておらず、深刻に受け止めていないだけなのではないでしょうか。
「自分は大丈夫」とか「がんになっても治るだろう」、「人間は誰だって死ぬんだ」(それはそうですが…)と、リスクを過小評価している人の方が多い。それは、最悪のケースがどうなるか知らないから、ピンとこないのでしょう。
私は今まで、末期の肺がん患者をたくさん診察してきました。
がんの症状には色々なものがありますが、典型的なのは、がんが進展することによる「がん性疼痛」、つまり痛みです。これ自体も大変なのですが、肺がん患者の場合、痛みに加えて、「呼吸が苦しい」状態に陥ることがあります。肺や胸腔に水分が溜まって、うまく呼吸ができなくなるのです。
これは本当に大変です。呼吸が苦しいので横になれず、上半身を起こしたまま寝なくてはいけないこともあります。もし喫煙者が、末期の肺がん患者の状況を目の当たりにしたら、その日から禁煙できるのではないかとも思います。
世の中には、禁煙したいと心底思っているのに、どうしても誘惑に負けてしまう人もたくさんいます。これはアルコールや薬物の依存症と同様で、「ニコチン依存症」というれっきとした病気なのです(国際疾病分類ICD-10にも載っています)。
であれば、「喫煙するのは権利(自己責任)」といって放置する、あるいは喫煙室といった狭い空間に押し込めて、互いの副流煙を散々やり取りさせるのは、正しい対処法ではありません。やはり、減煙や禁煙に向けた、有効な仕組みを社会全体が構築していく必要があるのです。
では、どうすればいいのか。
ファーストステップは、まず懸案事項である受動喫煙防止対策をきちんと推し進めることでしょう。公共施設や飲食店などの全面禁煙化が進めば、喫煙者もタバコを吸う機会が強制的に減ります。中には「あ、タバコがなくても意外と大丈夫だな」と感じ、自然と減煙、そして禁煙できる人も出てくるはずです。
つまり受動喫煙防止対策は、喫煙者の禁煙を促す可能性がある。そしてゆくゆくは、日本人全体の健康増進に寄与するはずです。
この先、受動喫煙防止法がどのようになるのかは分かりません。けれど、万が一、法案が潰されたとしても、諦める必要はありません。トップダウンで実現しなければ、次はボトムアップで実践あるのみ。啓蒙活動を活発化させたり、趣旨に賛同する飲食店オーナーが店を禁煙にしたりするなど、できることはたくさんあるはずです。
【参考文献】
Ikeda N et al. What has made the population of Japan healthy? Lancet. 2011 17;378(9796):1094-105.
Wakai et al. Decrease in risk of lung cancer death in Japanese men after smoking cessationby age at quitting. Cancer Sci. 2007;58:584-589
Tobacco smoke and involuntary smoking. IARC Monographs Volume 83(2004)
日本呼吸器学会HP
平成9年度厚生省心身障害研究「乳幼児死亡の防止に関する研究」総括研究報告
平成27年度 家庭用品等に係る健康被害病院モニター報告
Powered by リゾーム?