女性の社会進出がこのところずいぶん目立ってきています。男女共同参画社会の青写真やジェンダー間の正義にも、ロールズは論及しているのでしょうか。

川本:70年代までの論文や著作などを読む限りだと、ジェンダーを問題化する意識は正直言って希薄だと判断せざるを得ません。ジェンダーの違いも「無知のヴェール」に覆われた状態のままで「正義の原理」が選択されると想定されてはいるものの、結局のところロールズの人間像は自己決定能力を有する強い白人男性をモデルとしているに過ぎないじゃないか……といった難癖をつける批評家はあとを絶ちません。

 ジェンダーに関する理論面での詰めが甘いロールズではあっても、教育者としての実践においては多くの女性を育て上げた実績を有しています。存命中の1999年、ロールズは「全米人文学勲章」(National Humanities Medal――日本では国民栄誉賞にも相当する栄誉)を授与されました。社会正義論という専門分野における貢献に加えて、男性が圧倒的優位に立つ哲学の学界へ多くの女性研究者(クリスティン・コースガード、バーバラ・ハーマン、オノラ・オニールほか)を送り出した功績が受賞理由に挙げられていたのです。

ロールズの女性尊重主義は、母親が第一波フェミニズム(女性参政権運動)の衣鉢を継ぐ人物だったという家庭環境が育成したとは考えられませんか。

川本:ええ、そうした育ちの履歴も無視できないと思います。ロールズの父親は弁護士で、母親は「女性有権者同盟」の活動家でした。両親そろってリベラルな政治信条の持ち主であって、ある時期まではフランクリン・ルーズベルトが率いる民主党の熱心な支持者だったのです。

戦争体験と被爆後の広島を目撃したこと

『正義論』の「訳者あとがき」の中で、日本軍との激しい戦闘に身をさらした若きロールズが幼い頃から育んできたプロテスタントの信仰を捨てた経緯が紹介してありましたね。さらに大戦が終結して、占領軍の一員として日本本土に進駐したロールズが、焼け野原と化した広島を目撃したというエピソードにも川本先生はかねて注目しておられました。

川本:39年9月、プリンストン大学に入学したロールズは、42年12月に提出した卒業論文「罪と信仰の意味についての考察」により、43年1月に同大学を半期繰上げ卒業しています。卒業後、陸軍に入隊したロールズはニューギニア、フィリピンと転戦するのですが、その過程で遭遇した3つの出来事を通じて、プロテスタント正統派の信仰を放棄して、聖職者への道を歩もうとしていた当初の志望をも断念するにいたりました。

 3つの出来事のうち、ロールズの信仰に決定的な打撃を与えたのが45年4月、ナチスの強制収容所の記録映画によって知らされたホロコーストの実態なのでした。「何百万人ものユダヤ人をヒトラーの魔の手から救出しようともしなかった神に対して、私や家族を、祖国や私が大事にしてきたほかの大切なものを助けてくれと、神に祈り頼むことが私にできようか」とロールズは悩み苦しんだ挙句、神に祈ることを止め、自らの信仰を放棄したというのです。

 日本の無条件降伏の日をフィリピンで迎えたロールズは、45年9月には九州に上陸しています。山口県に進駐して4ヶ月の軍務を果たした後、軍用列車に乗せられた彼は車窓から焦土と化した広島の市街地を目撃しています。ホロコーストの映像だけでなく、おそらく彼の目に焼きついたであろう広島の惨状も合わさる形で、純真な信仰と祈りの姿勢の見直しを兵士ロールズが強いられたであろうことは、想像に難くありません。

 戦争体験が宗教的な倫理からの離脱を促した事情は、ロールズの遺稿「私の宗教について」(97年)に書き残されているのですが、広島の目撃談は公開された文章の中には見当たりません。しかし雑誌『ディセント』95年夏号に掲載されたエッセー「ヒロシマから50年」においては、東京をはじめとする日本各地への無差別爆撃や広島への原爆攻撃が「はなはだしい不正行為である」との断が下されています。

 『ディセント』の特集は、94年に始まったスミソニアン博物館原爆展をめぐる激しい論争を受けて企画されたものです。それまで米国国内においては、原爆投下によって戦争の終結が早められ、多くの米軍将兵の生命が救われたとの理由でもって、原爆が手段として正当性を有するとの見解が広く行き渡っていました。これに対してロールズは、「正しい戦争のルール」を遵守しているかどうかを一つひとつ精査する作業を積み重ねて、原爆投下の不正を結論づけたのでした。第二次世界大戦の終焉から50年経った時点で、世論の大勢に抗してでも原爆投下が不正な行いだったと断言する勇気は、広島を目撃した原体験をバネとしていたのではないでしょうか。

ロールズの思想には、多数派や強い側のゴリ押しに屈しない度胸と少数派やか弱い存在への共感とが貫かれているように思われてなりません。

川本:最後に強調しておきたいのは、「複数性」というタームです。功利主義を批判するロールズが「社会契約」という理念を対抗的に打ち出す際に用いました。社会の中では人びとがまさしく複数存在しており、それぞれの個人は何になりたいとか、こう生きたいとかに関する別個独立の幸福観を抱いています。そうした幸福観の多様性・複数性こそが社会の正義と個人の幸福とのつなぎ目とならねばなりません。金子みすず流には「みんなちがって、みんないい」ということになりましょうか。

 ところが現実には、社会全体の利益の集計量をともかく最大化しておけば、少々の分配の不平等には目をつむってもかまわないとする居直りが大手をふっています。大勢順応主義が優勢となり、少しでも規格から外れた生き方をしようとする人にはすさまじい同調圧力がかかる。さらに個人一人ひとりの暮らしよさをケアし気遣う態度は疎んじられます。そうした現状に抗ってでも、最も不遇な暮らしを余儀なくさせられた人びとの「声」に耳を澄ませ、各人の幸福追求の権利を目いっぱい尊重する。そうした生き方を支えあう「冒険的企て」(venture)が強く求められているのではないでしょうか。