オバマ氏は、医療保険制度改革法(オバマケア)を提案するなど、社会的弱者の権利擁護や平等に目がけた政策を推進しました。米国にはロールズ流の格差是正を実らせようとする協働の努力が根づいていたとは言えませんか。

川本:オバマ氏はハーバード・ロースクール(法科大学院)在学中に、『正義論』への多種多様な批判およびそれを受けてロールズがたどり着いた新境地(とりわけ「重なり合う合意」と「財産所有のデモクラシー」という社会構想)から大いに学んだという、興味深い指摘がなされています(ジェイムズ・クロッペンバーグ『オバマを読む――アメリカ政治思想の文脈』岩波書店、2012年)。また同大学院でのサンデルの人気セミナーにオバマ氏の院生仲間が参加していたとのことです(同書)。

 そのサンデルの政治哲学の学部講義には、たくさんのロースクールの院生がティーチング・アシスタントとして採用されていました。大講堂でのこの名物授業を米国のテレビ局が録画・編集した番組が日本、韓国、中国でほぼ同時にテレビ放送され、国境を超えた幅広い層から反響を集めます(日本ではNHK教育テレビが「ハーバード大学白熱教室」と題して、10年4月から6月まで全12回放送)。続いて講義をもとに書き下ろされた単行本の翻訳『これからの正義の話をしよう』(早川書房)が爆発的な売り上げ部数を記録し、お隣の韓国でも同じ10年5月に出版された翻訳書がこぞって読まれたと伺いました。

分配の正義と民主主義を求める民衆の声

テレビ番組と翻訳が合わさった「サンデル・ブーム」が席巻したのは、この2010年でしたが、日韓中という東アジアの三国において同時に正義を問う声が高まったのは、いったいどうしてなのでしょうか。

川本:飢え渇く者たちのように正義を追い求め、正義論を大量消費するこの社会現象を単純な要因に還元して説明することは無理でしょう。グローバリゼーションや各国の高等教育の現状をも視野に収めた、知識社会学的な解明と精神史的考察を立ち入って加えねばなりません。たとえばマスプロ化した教養教育に行き詰まりを覚えていた一部の関係者が、サンデルのあの手さばきに目を開かれて、学生参加型の授業改革が波紋のように広がっていったことも無視できないでしょう。

 もう少し広い視野で2010年を捉え直してみましょうか。日本では競争や民営化を煽り立てるネオリベラリズムの路線が幅をきかせた反動も手伝ってか、自民党から民主党への政権交代が起きた翌年にあたります。トータルな利益の最大化ではなく経済の豊かさの再分配や、異なる価値観を持つ者同士でじっくり話し合って合意を形成していく「熟議民主主義」への関心がそれなりに高まっていました。

 お隣の韓国では「経済大統領」として登場した李明博氏が推し進める規制緩和・市場競争に反発する市民・学生の運動が盛り上がっていましたし、中国では市場経済に寄りかかった改革開放路線が貧富の差を拡大させている最中であったのです。そんな時勢だったからこそ、最も不遇な人びとの生活改善を志向するロールズの持説やサンデルの語り口が共鳴を呼んだものと考えられます。

 ちなみに、共訳者2人を得てようやく仕上げたロールズの『正義論』の新訳を紀伊國屋書店から上梓したのも2010年11月のことでした。高価な書物になったにもかかわらず、サンデル・ブームも追い風となったためか相次ぐ増刷を続け、17年4月には第10刷まで重ねることができました。社会のまともさ(正義)を願う心ある読者が身銭を切って購読してくれたおかげと申せましょう。

経済格差の拡大や「自己責任」ばかりを言い募るムードの蔓延が、逆に社会の正義に対する問題意識を改めて喚起したのですね。また地球環境問題や年金制度改革をめぐって、「世代間の公平性」もホットな争点として浮上してきました。

川本:1971年に出された『正義論』ですが、きわめて萌芽的な論じ方ながら「世代間の正義」を取り上げてはいるのです(同書第44節)。ローマクラブが翌1972年に提出した報告書『成長の限界』の結論を先取りするかのように、資源と地球の有限性を一応念頭に置きながら、諸世代を貫通する通時的なシステムに即して「分配の正義」を現実化する方途を探っています。そのための取り決めが「正義にかなった貯蓄原理」(a just saving principle)と命名されました。手持ちの資源を同一の世代だけで使い切ってしまうのではなく、適正な割合でセーブ(節約・取り置き)しておいて、次の世代に残すべきことを命じるのが、この原理なのです。

 とは言っても、資源の何パーセントを残すのが「正義にかなった貯蓄」に当たるのかといった具体的な数字が算出されているわけではありません。「原初状態」に集う契約当事者がすべて同じ世代に属しているのではなく、各世代を代表する者たちとして分配の正義を互いに納得がいくまで論じ合うというのです。世代ごとに括られた集団を相互に孤立させ、各集団内部での「分配」だけを突き詰めるのではなく、複数の世代の間で「資源をセーブし次世代に残す、まともな比率がどれくらいになりそうか」を論じ抜くというアイデアは、先駆的なものと評定してよいでしょう。