ロールズは「正義にかなった社会」を構想する際に、英国のジョン・ロックおよびフランスで活躍したジャン=ジャック・ルソーらの「社会契約説」から強い影響を受けています。これから社会を形成しようとする人びとがそのルールを取り決める場を「原初状態」と銘打ち、その場において全員一致で採択されるルールがどんなものになるかを思考実験していきました。

川本:『正義論』第1節でロールズは、社会契約説の伝統を踏まえて「社会とは、ましな暮らし向きの対等な分かち合いを目指す、協働の冒険的企てである」と端的に定義しています。「協働の冒険的企て」(a cooperative venture)だと言えるのは、複数の人間が力を合わせないと社会は成り立たないからであるとともに、皆が必ず前よりいい暮らしを手に入れられる保証はない以上、ヴェンチャー(冒険・投機)の性格を免れないという理屈です。

最も不遇な暮らしに陥る可能性が誰にもある

「無知のヴェール」も、『正義論』を読み解く上でのキーワードの一つとなりますね。

川本:一見とっぴなこのフレーズは、英国の経済学者アーサー・ピグーの『貨幣論』に出てくる「貨幣のヴェール」からヒントを得たものだそうです。先ほどの「原初状態」におけるルールの話し合いを公明正大な(フェアな)条件で遂行するため、話し合いの当事者に課せられた情報面でのしばりを比喩的に言い表しています。「原初状態」の後にスタートする社会生活において、自分がどんな境遇や階級上の地位、社会的身分に属しているかを知らないだけでなく、親から受け取る資産や生まれつきの能力、知性、体力その他の持ち合わせがどれくらい恵まれているのかも知らされていない、という制約条件のことです。

 自分がどんな人間に生まれ落ちているのかに関する個人情報がヴェールによってシャットアウトされているため、自分にだけ有利となるようなルールを誰も言い立てることができません。それならば、「冒険的企て」である社会を発足させた結果として最も不遇な暮らし向きに陥ったとしても、その状況が改善され最も暮らしよくすることに全員一致の賛同が得られるはずだ……と推論するわけです。

 社会的・経済的不平等(地位や所得の格差)を是正し、社会の中で最も不遇な暮らし向きを最大限改善せよと命じるのが、この「格差原理」なのですが、その核心をロールズは次のように説き明かしています――「生まれつき恵まれた立場におかれた人びとは誰であれ、運悪く力負けした人びとの状況を改善するという条件に基づいてのみ、自分たちの幸運から利得を得ることが許される」と(『正義論』第17節)。

 自分よりかわいそうな人に手を差し伸べる……といった温情主義的で上から目線の慈善施策を命じているわけではありません。あくまで共に社会をスタートさせた仲間同士として、「暮らしよさ」の分け前が最小である人びとに対するボトムアップ型の生活改善を図る。誰だって最も不遇な暮らし向きをあてがわれる可能性を負わされている以上、そんな状態にある人びとに対する配慮と敬意を欠いてはならないからなのです。

ロールズは2002年に81歳で亡くなります。バラク・オバマ前大統領やドナルド・トランプ大統領が登場する、その後の米国の動きを知る由もありません。ただ、01年9月11日の同時多発テロ事件の報道は届いていたはずですね。

川本:9・11の衝撃に直接言及した発言は残していないのではないでしょうか。しかしながら、晩年のロールズは、テロリズムの背景を成している先進国と途上国の間の南北格差の拡大やグローバリゼーションの加速化、諸宗教の対立の激化に向き合いながら、『正義論』が埒外においていた国際社会の「正義」との取り組みを開始していきます。

 その成果が、「国際法および国際慣行の諸原理・諸規範に適用される、正義の政治的構想」を展開した『万民の法』(1999年刊)です。この本ではまず①万民(=複数の人民)の自由と独立、②条約や取り決めの遵守、③万民の平等、④不介入の義務、⑤自衛権、⑥人権の尊重、⑦戦争遂行に課せられた拘束事項の厳守、⑧不利な条件下で暮らす他国民を援助する義務、といった原理が提起されており、これらがリベラルな民主政体だけではなく、リベラルではない政体(たとえば階層制)を含んだ国際社会に妥当することが論証されています。

 さらに正義の戦争の条件および国際的な援助や分配のあり方、無法国家への対策なども扱われていました。ポスト9・11の紛争多発状況に対する処方箋をこの作品からダイレクトに引き出すことはできないでしょうけど、世界中の民が納得して受け入れる「正義」にいたる筋道やその補助線を指し示してくれることは確かでしょう。

 全住民をカバーする社会保障制度と完全雇用を政策目標に掲げた「ニューディール型リベラリズム」の嫡流と目されるロールズですけど、彼の「格差原理」の基軸を成す「デモクラティックな平等」とは、代表者の多数決でことを進めていく代議制民主主義ではなく、多様な価値観を有する人びとが共に生きていく流儀(mode)としての「デモクラシー」が希求する平等に他なりません。共生の流儀であるデモクラシーが耳を澄ますのは、その社会の底辺にある人びとの発する「声」であって、そうした声の主である当事者の暮らしを底上げしていく「平等」が目標に定められます。

 そしてこれを一つの社会の中の分配原理にとどめないで、地球規模にまで広げていこうとする試みが『万民の法』だったのです。「アメリカ・ファースト」(米国の国益を最優先せよ)を怒号するトランプ氏が大統領になったのをロールズが知らされたら、おそらく悲憤慷慨(ひふんこうがい)したかも知れません。でも時流に流されることなく、自分と見解を異にする相手とも真摯な討議を尽くそうとしたロールズですから、トランプのアメリカにあっても、正義も真理も手放すことなく粘り強く思索を深めていくに違いありません。