あの人が今生きていたならば、この世界を見て何を思い、どのようなヒントを与えてくれるのだろうか。かつての大混乱時代を生きた政治家や科学者、文学者など各分野の偉人たちの思想を、研究者・識者に聞く。今回は、1960〜70年代、公民権運動やベトナム反戦運動に揺れる米国に彗星のごとく現れた哲学者のジョン・ロールズを取り上げる。
600ページを超す大著『正義論』で、人種や性別、才能や家庭の財力など、生まれついての違いに発する暮らし向きの格差を是正し、「社会の正義」と「個人の幸福」が合致する筋道を探り当てようとした。
2010年春からテレビ放送されたハーバード大学のマイケル・サンデル教授の講義と翻訳『これからの「正義」の話をしよう』がロールズをたびたび引き合いに出したことにより、ロールズと正義論への関心が広まった。
貧富の格差が広がる一方の現代において、ロールズが仕かけた正義の探究は今なお何らかの示唆を与えてくれるのだろうか。ロールズの研究を40年にわたって続けてきた国際基督教大学(ICU)の川本隆史特任教授に尋ねてみた。
ジョン・ロールズ (1921~2002年)
アメリカの哲学者。元ハーバード大学教授。1950年プリンストン大学に提出した論文「倫理の知の諸根拠に関する研究」により博士号取得。コーネル大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)を経て、62年ハーバード大学教授に就任。哲学科主任を務めた後、91年より名誉教授。71年に『正義論』を発表、世界各地の言語に翻訳される。(写真=Frederic REGLAIN /GAMMA/アフロ)
米国の1960年代は、公民権運動や学生反乱を経験し、社会全体が正義や真理について考えざるを得なくなった時代でした。71年に刊行された『正義論』が幅広い層の注目を集め論議を巻き起こした背景には、こうした痛切な要求が控えています。
川本:その通りです。米国の独立宣言に謳われていた「平等」、「自由」、「真理」という建国の大義が形骸化しているのではないか――こう鋭く告発したのが、公民権運動、ベトナム反戦運動、そして学生反乱でした。そうした動きを通じて、真理や正義といった抽象名詞を大上段に振りかざすのではなく、それぞれを「ほんとう(のこと)」、「まとも(なこと)」へとほぐしつつなおも追い求める姿勢が広く共有されていきました。日本でもサンデル・ブームが正義を論じ合う面白さと切実さとに気づかせてくれたかのようでしたのに、残念ながら「ポスト・トゥルース」(脱・真実)という言葉で括られるこのところの風潮は、正義や真理を今さら持ち出しても仕方がないとの諦めムードをはびこらせているかに見えます。
真理や正確な情報よりも、受け手の感情に訴える多数派や権力者の情報発信の方が強大な影響力をふるうという状況把握ですね。
川本:ええ、反対者の声や少数意見に耳を傾けながら、真理や正義に向かって一歩ずつ進んでいくのが面倒だと見切った上で、事実の裏づけのない自説を大声で繰り返し発するほうを選んでしまう傾向が拡散しているようです。真理も正義もないがしろにするのが「ポスト・トゥルース」だと診断されますが、本当は真理の大切さが分かっているからこそ、「ポスト」を付けてでも真理の圏外へ脱却しようともがいているのだと分析できなくもありません。
ところが40年前に原書をひも解いて感動した『正義論』の冒頭では、正義と真理がそれぞれ制度と思想が何はさておき実現せねばならない価値であると明言されていました。どんなに効率的に運営されている制度でも、もしそれが正義に反するものなら改革されねばならず、見かけがどんなに優美で無駄のない理論であっても、それが真理に反しているなら修正されねばならないと言い切るのです。
たとえば、個人の自由を制限しておきながらも一握りの人びとに富が集中している社会を考えてみましょう。そこでは無駄のない資源配分を通じて、経済面の豊かさと安定がそれなりに実現されているとしたらどうでしょうか。ロールズは、結果として全体が豊かになっているとしても、そこに不自由や不平等があれば、正義にかなった(まともな)社会ではないと主張します。自由で平等なメンバー同士で社会の運営ルールを存分に議論し合い、全員の合意を得られたものを「正義の原理」と定め、これでもって社会を取り仕切らねばならないというわけです。
お金や力のある者の声だけで押し切るのではなく、真理を「本当なの?」、正義を「まともって言える?」という質疑応答の場面に立ち返らせながら、メンバー全員の合意でもって社会を支え続けていこうとします。このようなロールズの論法は、「ポスト・トゥルース」が喧伝される現在だからこそ、その意義を改めて評価すべきものではないでしょうか。
自由競争が生んだ不平等を是正する
川本 隆史(かわもと・たかし)
国際基督教大学教養学部特任教授、東京大学名誉教授、東北大学名誉教授。専門は倫理学、社会哲学。1951年広島市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。博士(文学)。著書に『共生から(双書 哲学塾)』(岩波書店)、『ロールズ―正義の原理』(講談社)、『ケアの社会倫理学』(有斐閣)、『現代倫理学の冒険』(創文社)。訳書にジョン・ロールズ『正義論』(紀伊國屋書店、共訳)、アマルティア・セン『合理的な愚か者』(勁草書房、共訳)など。(撮影:木村輝 以下全て)
近年になって、規制緩和と自由競争を促進し、その結果もたらされた格差を許容する「新自由主義(ネオリベラリズム)」が、先進各国で積極的に取り入れられてきました。
川本:市場での勝ち負けによって人びとの暮らしに深刻な不平等が生じたとしても、政府や公共団体はその状態に介入すべきではないとする「市場原理主義」がそれです。ロールズ以降の現代正義論の陣営でこれを洗練した主義主張が、リバタリアニズム(自由至上主義)と称されています。
自由を「おカネの自由」(営利追求の自由)へと切り縮めるのではなく、社会生活を続ける上でなくてはならない「基本的な自由」が複数あることを見据えるロールズは、そうした自由を平等に分かち持った個人の間に発生する不平等(格差)を放置してはならないと訴えるのです。
結果としての平等を追い求めれば、社会生活が画一化されてしまい、果ては本来の自由までもが台無しにされるとする根強い反対意見もよく聞かれますが。
川本:東西冷戦をバックに、資本主義の「自由」と社会主義の「平等」のどちらを選ぶのかと迫ったり、これを「自由と平等のジレンマ」と大仰に持ち上げる論者が続出しました。しかしロールズらによると、自由か平等かの二者択一に論議を絞るのが的外れなのであって、自由を等しく分かち合うこと(「平等な自由」)を社会正義の第一原理に据えられるかどうかの方が先決問題とされます。この原理のもと、平等な自由を持って社会生活を始めた後に派生する地位や所得の不平等をどのように是正するのかを定める、社会正義の第二原理の出番がその次にやってくるのです。
ロールズは「正義にかなった社会」を構想する際に、英国のジョン・ロックおよびフランスで活躍したジャン=ジャック・ルソーらの「社会契約説」から強い影響を受けています。これから社会を形成しようとする人びとがそのルールを取り決める場を「原初状態」と銘打ち、その場において全員一致で採択されるルールがどんなものになるかを思考実験していきました。
川本:『正義論』第1節でロールズは、社会契約説の伝統を踏まえて「社会とは、ましな暮らし向きの対等な分かち合いを目指す、協働の冒険的企てである」と端的に定義しています。「協働の冒険的企て」(a cooperative venture)だと言えるのは、複数の人間が力を合わせないと社会は成り立たないからであるとともに、皆が必ず前よりいい暮らしを手に入れられる保証はない以上、ヴェンチャー(冒険・投機)の性格を免れないという理屈です。
最も不遇な暮らしに陥る可能性が誰にもある
「無知のヴェール」も、『正義論』を読み解く上でのキーワードの一つとなりますね。
川本:一見とっぴなこのフレーズは、英国の経済学者アーサー・ピグーの『貨幣論』に出てくる「貨幣のヴェール」からヒントを得たものだそうです。先ほどの「原初状態」におけるルールの話し合いを公明正大な(フェアな)条件で遂行するため、話し合いの当事者に課せられた情報面でのしばりを比喩的に言い表しています。「原初状態」の後にスタートする社会生活において、自分がどんな境遇や階級上の地位、社会的身分に属しているかを知らないだけでなく、親から受け取る資産や生まれつきの能力、知性、体力その他の持ち合わせがどれくらい恵まれているのかも知らされていない、という制約条件のことです。
自分がどんな人間に生まれ落ちているのかに関する個人情報がヴェールによってシャットアウトされているため、自分にだけ有利となるようなルールを誰も言い立てることができません。それならば、「冒険的企て」である社会を発足させた結果として最も不遇な暮らし向きに陥ったとしても、その状況が改善され最も暮らしよくすることに全員一致の賛同が得られるはずだ……と推論するわけです。
社会的・経済的不平等(地位や所得の格差)を是正し、社会の中で最も不遇な暮らし向きを最大限改善せよと命じるのが、この「格差原理」なのですが、その核心をロールズは次のように説き明かしています――「生まれつき恵まれた立場におかれた人びとは誰であれ、運悪く力負けした人びとの状況を改善するという条件に基づいてのみ、自分たちの幸運から利得を得ることが許される」と(『正義論』第17節)。
自分よりかわいそうな人に手を差し伸べる……といった温情主義的で上から目線の慈善施策を命じているわけではありません。あくまで共に社会をスタートさせた仲間同士として、「暮らしよさ」の分け前が最小である人びとに対するボトムアップ型の生活改善を図る。誰だって最も不遇な暮らし向きをあてがわれる可能性を負わされている以上、そんな状態にある人びとに対する配慮と敬意を欠いてはならないからなのです。
ロールズは2002年に81歳で亡くなります。バラク・オバマ前大統領やドナルド・トランプ大統領が登場する、その後の米国の動きを知る由もありません。ただ、01年9月11日の同時多発テロ事件の報道は届いていたはずですね。
川本:9・11の衝撃に直接言及した発言は残していないのではないでしょうか。しかしながら、晩年のロールズは、テロリズムの背景を成している先進国と途上国の間の南北格差の拡大やグローバリゼーションの加速化、諸宗教の対立の激化に向き合いながら、『正義論』が埒外においていた国際社会の「正義」との取り組みを開始していきます。
その成果が、「国際法および国際慣行の諸原理・諸規範に適用される、正義の政治的構想」を展開した『万民の法』(1999年刊)です。この本ではまず①万民(=複数の人民)の自由と独立、②条約や取り決めの遵守、③万民の平等、④不介入の義務、⑤自衛権、⑥人権の尊重、⑦戦争遂行に課せられた拘束事項の厳守、⑧不利な条件下で暮らす他国民を援助する義務、といった原理が提起されており、これらがリベラルな民主政体だけではなく、リベラルではない政体(たとえば階層制)を含んだ国際社会に妥当することが論証されています。
さらに正義の戦争の条件および国際的な援助や分配のあり方、無法国家への対策なども扱われていました。ポスト9・11の紛争多発状況に対する処方箋をこの作品からダイレクトに引き出すことはできないでしょうけど、世界中の民が納得して受け入れる「正義」にいたる筋道やその補助線を指し示してくれることは確かでしょう。
全住民をカバーする社会保障制度と完全雇用を政策目標に掲げた「ニューディール型リベラリズム」の嫡流と目されるロールズですけど、彼の「格差原理」の基軸を成す「デモクラティックな平等」とは、代表者の多数決でことを進めていく代議制民主主義ではなく、多様な価値観を有する人びとが共に生きていく流儀(mode)としての「デモクラシー」が希求する平等に他なりません。共生の流儀であるデモクラシーが耳を澄ますのは、その社会の底辺にある人びとの発する「声」であって、そうした声の主である当事者の暮らしを底上げしていく「平等」が目標に定められます。
そしてこれを一つの社会の中の分配原理にとどめないで、地球規模にまで広げていこうとする試みが『万民の法』だったのです。「アメリカ・ファースト」(米国の国益を最優先せよ)を怒号するトランプ氏が大統領になったのをロールズが知らされたら、おそらく悲憤慷慨(ひふんこうがい)したかも知れません。でも時流に流されることなく、自分と見解を異にする相手とも真摯な討議を尽くそうとしたロールズですから、トランプのアメリカにあっても、正義も真理も手放すことなく粘り強く思索を深めていくに違いありません。
オバマ氏は、医療保険制度改革法(オバマケア)を提案するなど、社会的弱者の権利擁護や平等に目がけた政策を推進しました。米国にはロールズ流の格差是正を実らせようとする協働の努力が根づいていたとは言えませんか。
川本:オバマ氏はハーバード・ロースクール(法科大学院)在学中に、『正義論』への多種多様な批判およびそれを受けてロールズがたどり着いた新境地(とりわけ「重なり合う合意」と「財産所有のデモクラシー」という社会構想)から大いに学んだという、興味深い指摘がなされています(ジェイムズ・クロッペンバーグ『オバマを読む――アメリカ政治思想の文脈』岩波書店、2012年)。また同大学院でのサンデルの人気セミナーにオバマ氏の院生仲間が参加していたとのことです(同書)。
そのサンデルの政治哲学の学部講義には、たくさんのロースクールの院生がティーチング・アシスタントとして採用されていました。大講堂でのこの名物授業を米国のテレビ局が録画・編集した番組が日本、韓国、中国でほぼ同時にテレビ放送され、国境を超えた幅広い層から反響を集めます(日本ではNHK教育テレビが「ハーバード大学白熱教室」と題して、10年4月から6月まで全12回放送)。続いて講義をもとに書き下ろされた単行本の翻訳『これからの正義の話をしよう』(早川書房)が爆発的な売り上げ部数を記録し、お隣の韓国でも同じ10年5月に出版された翻訳書がこぞって読まれたと伺いました。
分配の正義と民主主義を求める民衆の声
テレビ番組と翻訳が合わさった「サンデル・ブーム」が席巻したのは、この2010年でしたが、日韓中という東アジアの三国において同時に正義を問う声が高まったのは、いったいどうしてなのでしょうか。
川本:飢え渇く者たちのように正義を追い求め、正義論を大量消費するこの社会現象を単純な要因に還元して説明することは無理でしょう。グローバリゼーションや各国の高等教育の現状をも視野に収めた、知識社会学的な解明と精神史的考察を立ち入って加えねばなりません。たとえばマスプロ化した教養教育に行き詰まりを覚えていた一部の関係者が、サンデルのあの手さばきに目を開かれて、学生参加型の授業改革が波紋のように広がっていったことも無視できないでしょう。
もう少し広い視野で2010年を捉え直してみましょうか。日本では競争や民営化を煽り立てるネオリベラリズムの路線が幅をきかせた反動も手伝ってか、自民党から民主党への政権交代が起きた翌年にあたります。トータルな利益の最大化ではなく経済の豊かさの再分配や、異なる価値観を持つ者同士でじっくり話し合って合意を形成していく「熟議民主主義」への関心がそれなりに高まっていました。
お隣の韓国では「経済大統領」として登場した李明博氏が推し進める規制緩和・市場競争に反発する市民・学生の運動が盛り上がっていましたし、中国では市場経済に寄りかかった改革開放路線が貧富の差を拡大させている最中であったのです。そんな時勢だったからこそ、最も不遇な人びとの生活改善を志向するロールズの持説やサンデルの語り口が共鳴を呼んだものと考えられます。
ちなみに、共訳者2人を得てようやく仕上げたロールズの『正義論』の新訳を紀伊國屋書店から上梓したのも2010年11月のことでした。高価な書物になったにもかかわらず、サンデル・ブームも追い風となったためか相次ぐ増刷を続け、17年4月には第10刷まで重ねることができました。社会のまともさ(正義)を願う心ある読者が身銭を切って購読してくれたおかげと申せましょう。
経済格差の拡大や「自己責任」ばかりを言い募るムードの蔓延が、逆に社会の正義に対する問題意識を改めて喚起したのですね。また地球環境問題や年金制度改革をめぐって、「世代間の公平性」もホットな争点として浮上してきました。
川本:1971年に出された『正義論』ですが、きわめて萌芽的な論じ方ながら「世代間の正義」を取り上げてはいるのです(同書第44節)。ローマクラブが翌1972年に提出した報告書『成長の限界』の結論を先取りするかのように、資源と地球の有限性を一応念頭に置きながら、諸世代を貫通する通時的なシステムに即して「分配の正義」を現実化する方途を探っています。そのための取り決めが「正義にかなった貯蓄原理」(a just saving principle)と命名されました。手持ちの資源を同一の世代だけで使い切ってしまうのではなく、適正な割合でセーブ(節約・取り置き)しておいて、次の世代に残すべきことを命じるのが、この原理なのです。
とは言っても、資源の何パーセントを残すのが「正義にかなった貯蓄」に当たるのかといった具体的な数字が算出されているわけではありません。「原初状態」に集う契約当事者がすべて同じ世代に属しているのではなく、各世代を代表する者たちとして分配の正義を互いに納得がいくまで論じ合うというのです。世代ごとに括られた集団を相互に孤立させ、各集団内部での「分配」だけを突き詰めるのではなく、複数の世代の間で「資源をセーブし次世代に残す、まともな比率がどれくらいになりそうか」を論じ抜くというアイデアは、先駆的なものと評定してよいでしょう。
経済が成熟した先進各国では、富の分配ばかりでなく負担の分配をどうするかという難題も持ち上がってきました。ロールズは負担の側面にも目配りしていますでしょうか。
川本:確かに60〜70年代は右肩上がりの経済成長が実感されていた時代であって、成長の果実である所得や富の分配が徐々に問題として自覚されるようになっていきました。そしてその傍らで、経済成長や社会の安定性を維持するための費用や負担をどう分かち合うかの論戦も熱を帯びてきたと思われます。ロールズであれば、「社会的な協働がもたらす便益と負担との適切な分配を定める」のが正義の原理なのだと申し立てるところでしょう(『正義論』第1節)。
社会をきちんと切り盛りするには、道路、公園、公衆衛生、警察や国防といった「公共財」の配備が必須です。これらを維持するためのコストは、社会の全成員で分担しなければなりません。さらに社会が世代をまたいで存続していくためには、子どもの出産・養育から始まり高齢者の介護にいたる、一連のケア(世話)の営みも欠かせませんよね。
自由と自尊が確保される社会へ
育児や介護を家庭内で処理すべき私事とするのではなく、可能な限り社会的に分かち合うべき負担と考えねばなりません。かといって、これらのケアを完全に市場で売り買いされるサービスに一本化してしまうのは行き過ぎでしょう。
川本:おっしゃる通りです。ただし『正義論』が出版された時分は、介護や高齢化が社会問題としてそれほど表面化していませんでした。けれども、介護のまともな分かち合いを構想する糸口をこの本から引き出すことは可能です。
ロールズは「分配の正義」の対象となるものを社会的基本財(social primary goods)と名づけています。社会生活を続けるにあたって、どんな価値観・幸福観の持ち主であろうともできるだけ多くを欲しがる「よい物=財」を指します。自由、富と所得、社会的な地位などがそれであって、中でもいちばん重要な財に挙げられるのが自由なのです。
自由はお金と交換できるような財ではありません。自由をいちばん重視する身構えはリベラル派の真骨頂に相違ありませんが、ロールズは自由と並べて「自尊」(self-respect)もきわめて肝要な「社会的基本財」だと力説します。そして「自尊」とは、「自分には価値がある」とする自己肯定感と「あなたは私(たち)にとって大切な存在なのです」という他者からの承認との二つの側面をあわせ持つものとされています。
介護関係においても、お互いの「自由」をとことん尊重するとともに、相手の「自尊」を傷つけないよう細心の注意を払う必要があるということなのですね。
川本:排泄の介助など、介護には面倒な作業がつきもので、マニュアル通りにことを運べばよいものではありません。まずは介護従事者に相応の賃金を支給して経済面の安定を図る一方で、その人たちの自由と自尊を重んじることにより、自分たちの労苦には社会的に承認された意味と価値が備わっているのだと自負できるようサポートせねばなりません。ケアを価値の低い賃労働だと見限るのではなく、ケアの分かち合いを通じてこそ社会の正義が維持されるのだと考えるべきなのです。
女性の社会進出がこのところずいぶん目立ってきています。男女共同参画社会の青写真やジェンダー間の正義にも、ロールズは論及しているのでしょうか。
川本:70年代までの論文や著作などを読む限りだと、ジェンダーを問題化する意識は正直言って希薄だと判断せざるを得ません。ジェンダーの違いも「無知のヴェール」に覆われた状態のままで「正義の原理」が選択されると想定されてはいるものの、結局のところロールズの人間像は自己決定能力を有する強い白人男性をモデルとしているに過ぎないじゃないか……といった難癖をつける批評家はあとを絶ちません。
ジェンダーに関する理論面での詰めが甘いロールズではあっても、教育者としての実践においては多くの女性を育て上げた実績を有しています。存命中の1999年、ロールズは「全米人文学勲章」(National Humanities Medal――日本では国民栄誉賞にも相当する栄誉)を授与されました。社会正義論という専門分野における貢献に加えて、男性が圧倒的優位に立つ哲学の学界へ多くの女性研究者(クリスティン・コースガード、バーバラ・ハーマン、オノラ・オニールほか)を送り出した功績が受賞理由に挙げられていたのです。
ロールズの女性尊重主義は、母親が第一波フェミニズム(女性参政権運動)の衣鉢を継ぐ人物だったという家庭環境が育成したとは考えられませんか。
川本:ええ、そうした育ちの履歴も無視できないと思います。ロールズの父親は弁護士で、母親は「女性有権者同盟」の活動家でした。両親そろってリベラルな政治信条の持ち主であって、ある時期まではフランクリン・ルーズベルトが率いる民主党の熱心な支持者だったのです。
戦争体験と被爆後の広島を目撃したこと
『正義論』の「訳者あとがき」の中で、日本軍との激しい戦闘に身をさらした若きロールズが幼い頃から育んできたプロテスタントの信仰を捨てた経緯が紹介してありましたね。さらに大戦が終結して、占領軍の一員として日本本土に進駐したロールズが、焼け野原と化した広島を目撃したというエピソードにも川本先生はかねて注目しておられました。
川本:39年9月、プリンストン大学に入学したロールズは、42年12月に提出した卒業論文「罪と信仰の意味についての考察」により、43年1月に同大学を半期繰上げ卒業しています。卒業後、陸軍に入隊したロールズはニューギニア、フィリピンと転戦するのですが、その過程で遭遇した3つの出来事を通じて、プロテスタント正統派の信仰を放棄して、聖職者への道を歩もうとしていた当初の志望をも断念するにいたりました。
3つの出来事のうち、ロールズの信仰に決定的な打撃を与えたのが45年4月、ナチスの強制収容所の記録映画によって知らされたホロコーストの実態なのでした。「何百万人ものユダヤ人をヒトラーの魔の手から救出しようともしなかった神に対して、私や家族を、祖国や私が大事にしてきたほかの大切なものを助けてくれと、神に祈り頼むことが私にできようか」とロールズは悩み苦しんだ挙句、神に祈ることを止め、自らの信仰を放棄したというのです。
日本の無条件降伏の日をフィリピンで迎えたロールズは、45年9月には九州に上陸しています。山口県に進駐して4ヶ月の軍務を果たした後、軍用列車に乗せられた彼は車窓から焦土と化した広島の市街地を目撃しています。ホロコーストの映像だけでなく、おそらく彼の目に焼きついたであろう広島の惨状も合わさる形で、純真な信仰と祈りの姿勢の見直しを兵士ロールズが強いられたであろうことは、想像に難くありません。
戦争体験が宗教的な倫理からの離脱を促した事情は、ロールズの遺稿「私の宗教について」(97年)に書き残されているのですが、広島の目撃談は公開された文章の中には見当たりません。しかし雑誌『ディセント』95年夏号に掲載されたエッセー「ヒロシマから50年」においては、東京をはじめとする日本各地への無差別爆撃や広島への原爆攻撃が「はなはだしい不正行為である」との断が下されています。
『ディセント』の特集は、94年に始まったスミソニアン博物館原爆展をめぐる激しい論争を受けて企画されたものです。それまで米国国内においては、原爆投下によって戦争の終結が早められ、多くの米軍将兵の生命が救われたとの理由でもって、原爆が手段として正当性を有するとの見解が広く行き渡っていました。これに対してロールズは、「正しい戦争のルール」を遵守しているかどうかを一つひとつ精査する作業を積み重ねて、原爆投下の不正を結論づけたのでした。第二次世界大戦の終焉から50年経った時点で、世論の大勢に抗してでも原爆投下が不正な行いだったと断言する勇気は、広島を目撃した原体験をバネとしていたのではないでしょうか。
ロールズの思想には、多数派や強い側のゴリ押しに屈しない度胸と少数派やか弱い存在への共感とが貫かれているように思われてなりません。
川本:最後に強調しておきたいのは、「複数性」というタームです。功利主義を批判するロールズが「社会契約」という理念を対抗的に打ち出す際に用いました。社会の中では人びとがまさしく複数存在しており、それぞれの個人は何になりたいとか、こう生きたいとかに関する別個独立の幸福観を抱いています。そうした幸福観の多様性・複数性こそが社会の正義と個人の幸福とのつなぎ目とならねばなりません。金子みすず流には「みんなちがって、みんないい」ということになりましょうか。
ところが現実には、社会全体の利益の集計量をともかく最大化しておけば、少々の分配の不平等には目をつむってもかまわないとする居直りが大手をふっています。大勢順応主義が優勢となり、少しでも規格から外れた生き方をしようとする人にはすさまじい同調圧力がかかる。さらに個人一人ひとりの暮らしよさをケアし気遣う態度は疎んじられます。そうした現状に抗ってでも、最も不遇な暮らしを余儀なくさせられた人びとの「声」に耳を澄ませ、各人の幸福追求の権利を目いっぱい尊重する。そうした生き方を支えあう「冒険的企て」(venture)が強く求められているのではないでしょうか。
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