日本の通貨発行権を独占する日本銀行(写真:ロイター/アフロ)
日本の通貨発行権を独占する日本銀行(写真:ロイター/アフロ)

 あの人が今生きていたならば、この世界を見て何を思い、どのようなヒントを与えてくれるのだろうか。かつての大混乱時代を生きた政治家や科学者、文学者など各分野の偉人たちの思想を、研究者・識者に聞く。第2回の偉人は経済学者のハイエク。

 ハイエクならば今の中央銀行の姿を見て何を思うのか。クレディ・アグリコル証券でチーフエコノミストを務める森田京平氏に聞いた。(聞き手 田村賢司)


デフレ脱却のために、日銀は超金融緩和を続けてきました。そこには当然、弊害が生じる可能性があります。

森田:日銀が2013年4月に異次元緩和をスタートして4年半たちました。実現が遅れ続けているとはいえ、目指すのは2%の物価上昇。つまりインフレ目標です。しかし、インフレは貨幣価値の下落であり、購買力の低下や社会的な不平等などの問題を伴うリスクがあります。

<b>森田京平(もりた・きょうへい)氏</b><br />クレディ・アグリコル証券チーフエコノミスト、マネージングディレクター。1994年、野村総合研究所入社。以後、エコノミストとしてのキャリアを積む。途中、米ブラウン大学大学院で経済学修士号を取得。2008年4月、バークレイズ証券、2017年4月から現職、日本経済および金融・財政政策の分析・予測を担当。
森田京平(もりた・きょうへい)氏
クレディ・アグリコル証券チーフエコノミスト、マネージングディレクター。1994年、野村総合研究所入社。以後、エコノミストとしてのキャリアを積む。途中、米ブラウン大学大学院で経済学修士号を取得。2008年4月、バークレイズ証券、2017年4月から現職、日本経済および金融・財政政策の分析・予測を担当。

 物価が上昇した際に、それがどの程度、賃金上昇を伴うかは、労働生産性や労働分配率によって決まります。つまり、金融政策の範疇の外で決まります。したがって、別途、労働市場に関わる大胆な政策がとられないと、賃金の伸び悩みを経て家計の購買力を毀損したり、預金や現金など通貨を持つ人と値上がりの期待できる資産に投資できる人との間で格差が広がったりするなどの弊害が懸念されます。

 一方で、長期にわたるデフレや低インフレによる経済の停滞・低成長に苦しんだ日本や欧米は、金融緩和による物価上昇を志向してきました。しかし、ここに来て米連邦準備理事会(FRB)や欧州中央銀行(ECB)は金融政策の正常化に向けて動き始め、日銀だけが緩和の長期化を余儀なくされている状況です。

 これ自体が、日銀が目指しているものと、FRBやECBが目指しているものに差があるとの印象を与え、日銀の金融政策を一層分かりにくくさせています。ただしここでは、現実的な金融政策ではなく、インフレを志向する中央銀行に対してハイエクなら何を言うかを考えてみたいと思います。

中央銀行による独占的な通貨発行が弊害をもたらす

中央銀行は通貨量の調節などを通じて、インフレを志向したり、抑えようとしたりします。中央銀行に独占的な通貨発行機能を与えることで、このような金融政策が可能となります。ハイエクならどういうでしょう。

森田:ハイエクはインフレ下にあった1976年に『貨幣の脱国営化論』を出版し、通貨発行の脱国営化を唱えました。中央銀行が通貨を独占的に発行するからこそ、政府の政策はインフレ志向になりやすい。それが最終的には弊害をもたらすと説いたわけです。

 例えば、不況に陥りそうになれば、中央銀行は金利を下げ、政府はケインズ型の需要創出政策を取りがちです。それは短期的には景気を支えますが、より長い視点からは、政府による通貨発行への介入を可能とするインフレ政策の側面を持ち、国民にとっては購買力の低下や富の偏在などの弊害をもたらしえます。特にハイエクが同著の執筆過程にあった70年代前半は、変動相場制への移行とそれに伴う通貨価値の不安定化、オイルショックとそれに伴う物価の高騰、つまり購買力の低下が問題視された時期でした。ハイエクは、このような通貨や物価に関わる問題を、国家が通貨を独占的に発行する体制に起因するものと位置付けました。

ハイエクはそれに対してどうせよと。

森田:通貨発行を国家による独占から解放せよと説きました。ハイエクは、中央銀行による通貨発行は許容しています。ただし、それを中央銀行が独占的に行うのではなく、民間を含む多様な主体による通貨発行を求めました。

 その場合、人々は通貨価値の下落を志向する、つまりインフレ志向的な通貨以外のものを選択できます。その結果、通貨の競争が起き、インフレ志向の強い通貨が駆逐される可能性も高まります。ハイエクは、それが国民の購買力の安定や過度な富の偏在の回避を経て、経済の安定的な発展に資すると考えます。

自由主義経済学の泰斗であるハイエクらしい主張ですが、1970年代はそれができませんでした。

森田:その頃は、理論はあっても技術が伴いませんでした。しかし今、フィンテックが発達し、ビットコインなどプライベートな通貨も発行できるようになりました。通貨を巡る技術的な環境が大きく変わったのです。

 これは大きな影響を持ちます。よく「悪貨が良貨を駆逐する」といいます。グレシャムの法則あるいはグレシャム=コペルニクスの法則と呼ばれます。国家が独占的な通貨発行権を持った状態では、財政が窮乏すると、同じ額面でも金の含有量の低い「悪貨」を発行する。一方で、金の含有量の高い「良貨」は保蔵されます。その結果、流通するのは悪貨のみとなる、という傾向を指します。

 しかし、通貨発行の競争が起これば、良貨が選択され、悪貨は選択対象から外れます。つまり、「良貨が悪貨を駆逐する」ようになるとハイエクは主張します。それは人々の経済厚生(満足度)を高め、健全に資産価値を高めようという努力を促すことになるでしょう。

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  • 通貨の淘汰とは面白い。しかし、通過の通語る所以は信用の連鎖だと思う。良貨は信用された通貨と理解されるということでよいのだろうか。ビットコインはマイニングというよく分からない作業が価値の根拠というが、信用に値するのか、、、しかし、銀行券も唯の紙を皆が信用しているから価値を持って流通しているのであり、、ビットコインも「安定した」信用の連鎖が起これば、いいのか。分からん。

  • この世の中で最も愚かな考え方は、偉い人の言っていることだから正しいとか、従おうとか考えることである。

    ましてやハイエクは偉人でもなんでもない。
    ケインズに反旗を翻した経済学者たちの予想は、どれだけ長期間観察しても実現されず、長期なら正しいというのが単なる詭弁であることはもはや明らかであろう。
    彼らの政策に従えば従うほど、その国の経済が悪くなっているのも事実である。

  • 記事を拝見すると、FRBもイングランド銀行も公の機関であるような錯覚を受けますが、両方とも立派な民間金融機関でありながら、株主が公表されていません。従い、厳密には米国と英国は政府が自ら通貨を発行しているわけではないですね。もし、米国財務省が通貨を発行していれば別ですが。そういえば、リンカーン大統領とケネデイー大統領は幾ばくか財務省で通貨を発行させたことがあるような無いような、記憶が定かではありません(笑)。

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