バランス・オブ・パワーは力の均衡を重視する考えです。英国は伝統的に、欧州大陸で覇権を成す大国が誕生するのを警戒し、そのような勢力が台頭してくるとそれに対抗できる国を支援してバランスを取る施策を取ってきました。

 チャーチルもこの考えを踏襲。「ファシズムよりは共産主義がまし」と判断して、ドイツとのバランスを取るためソ連と手を結びました。本来はフランスと手を組みたかったのでしょうが、フランスも宥和派でした。

卑屈になることなく米国を参戦させる

第2次世界大戦が始まり、チャーチルは戦争内閣の首相に就任します。そして、米国を味方に引き入れるべく様々な努力をしました。この点も、今の日本の政策と似ています。大陸で台頭する新興国とのバランスを維持するため、米国のエンゲージを求める。

君塚:チャーチルが今の日本にいても、同様の政策を取るでしょうね。

なぜ、チャーチルは米国を頼ったのでしょう。

君塚:実はこの当時の英米関係は最悪の状態にありました。チェンバレンが「米国は何もしてくれない」と不満を持つ一方、米国を率いる大統領ルーズベルトは宥和政策に反対し「英国は、ドイツの動きを受け入れるだけで何もしない」と考えていました。

 米国は第一次世界大戦後、もとのモンロー主義に回帰しており、欧州での出来事に介入する意思がありませんでした。自ら提唱した国際連盟に参加しなかったのは、この証の一つです。さらに戦後、「Back to normalcy(正常な状態に返れ)」を掲げたハーディングが大統領選挙に勝利しました。

 モンロー主義については、初代大統領のワシントンが引退する1796年、「もう欧州のごたごたには巻き込まれない」と語った告別演説が有名ですね。米国は、第一次世界大戦に参加したこと自体がアブノーマルな出来事と認識していたのです。

 加えて、当時の米国は英国の同盟国ではありませんでした。

 チャーチルが対米関係を改善できたのは、次に挙げる要素が大きかったと思います。まずは構造的な問題。英国と米国の上流層はともにWASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)です。

 関連して、ともに英語を母国語とすることがあります。通訳なしでコミュニケーションが取れるのは非常に大きいことです。チャーチルには思い入れがあったのでしょう。彼の最晩年の著作のタイトルは『英語諸国民の歴史』です。

 3つ目は価値観を共有していること。君主制と共和制の違いはあるものの、どちらも民主主義国です。チャーチルは第二次世界大戦を、「英語諸国民」など連合国が掲げる民主主義と、ヒトラーが掲げる全体主義との戦いと捉えていました。

 4つ目は血縁関係。チャーチルの母親は米国で財を成した大富豪の令嬢でした。言葉と血縁については、チャーチルが今の日本にいても異なる意識を持つでしょうね。

 そして5つ目は、ルーズベルトとの個人的な信頼関係です。1941年8月に大西洋上に停泊した英軍艦「プリンス・オブ・ウェールズ」上で会談した二人は信頼を醸成していきました。ルーズベルトはチェンバレンでなくチャーチルならば信頼するに足ると考えたようです。やはり「会う」という行為は外交を行なう上で非常に重要ですね。

チャーチルはルーズベルトに何通もの手紙を送っています。これらを読むと、最終的な勝利を信じており、哀願するような表現は一切出てきません。そうした強気の姿勢も、ルーズベルトから信頼を得ることにつながったのでしょうか。「最新型航空機を数百機借用したい」「貴国から鋼鉄を買うことを必要としています」とは書いていますが、決して「くれ」とは書いていません。