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「誰のための試合なのか」

再戦が決まった時、どう思いましたか。

 1人でも多くのお客さんが僕の試合を観たいと思ってくださるなら、再戦であろうが、他の選手との試合であろうが、与えられた試合は何でもやりたいと思いました。昔は「自分のためにやる」という考えが強かった。でもプロなので、お客さんが観たいと思ってくださらない限り、試合は行われません。

 心理学者アルフレッド・アドラーが「共同体感覚」という言葉を使いましたが、人間は共同体なしでは生きられず、自分の利益を第一に考えるよりも、周囲に貢献するという感覚の方が幸福感を得られます。トップアスリートが「国民のため、応援してくれる人のために戦う」「お世話になった人に恩返しがしたい」などと言いますが、実際に「応援してくれる人、支えてくれる人」を一番に考える方が、「自分を一番」に考えるよりも力が発揮でき、頑張れる気がします。

 一方、今回の再戦は、少しやりにくいという気持ちもある。5月の大会では、「村田諒太が世界レベルの選手とどこまで戦えるのか?」「勝てる実力はあるのか?」という視点で周りから見られていました。そんな中で5月の試合では、ある程度、皆さんに世界王者に通用するボクシングをお見せできたと思っています。その分、「勝って当たり前」「勝てるはず」と周りの期待値が上がったと思うので、前回以上の内容を見せなければいけないという“やりにくさ”です。

一度対戦したという強みもあるのでは?

 あります。判定負けでしたが、「通用したという経験」は自信になっています。だから結局、自信とプレッシャーというプラスとマイナスの両面を持ちながら試合に挑むのでしょう。

ノミが飛べなくなる理由

世界チャンピオンになるには、何が必要だと思いますか。

以前は、メンタルを支えるために日々の練習内容や気づきをノートに記録していたが、今は書いていないという。「感覚や気づきを明確な言葉で書き残した途端、それにとらわれてしまうことがあります。今を生きるではなく、過去を生きることにもなる。気づきを抽象的にメモすることはありますが、読み返さないですね。記録することを否定するのではなく、今は書かない方が僕にとっていい状態なんです」

 もう少し勇気を持つことでしょうか。前回の試合では、相手が何度も倒れかかっているのに、詰めきれなかったという反省点がある。それは元来の“ビビリ”な性格が影響していると思うので、勇気を持って攻めたいです。

 先日、あるイベントでご一緒したモーグル五輪選手の上村愛子さんから、「ノミとコップの話」という面白い話を聞きました。ノミがものすごく高くジャンプすることをご存じですか? 体長の数十倍あるガラスのコップに入れても簡単に飛び越えるそうです。人間の大きさに置き換えると、東京タワーを飛び越えるほどのジャンプ力です。そこで、そのコップに透明の蓋をかぶせると、ノミは何度もジャンプしますが、当然のごとくコップから出られない。しばらくして蓋を取ると、ノミはもうそのコップより高く飛べなくなってしまうそうです。

 その話を聞いて、自分の限界を決めるのは自分だと改めて思いました。「体が大きい外国人には勝てない」「そんなやり方で結果を出した人はいない」「それは無理だろう」といった「先入観」や「固定観念」「否定」から入ると、限界値を自分で決めてしまい、本当の実力以上の結果が出せなくなるかもしれない。越えられない壁を作り突破口を塞いでいるのは、対戦相手ではなく自分なんですよね。

 確かに常識を打ち破る目覚ましい活躍をしているのは、限界値を決めない人が多い。年齢による限界を決めずにメジャーリーグのバッターボックスに立ち続けるイチロー選手や、ピッチャーと打者の二刀流で挑戦する大谷翔平選手などがその代表例。「やってみなければ分からない」という限界値を決めない意識や、「こうでなければいけない」という教えを守らない精神は、トップを目指すアスリートはもちろん、ビジネスパーソンも大切だと思います。