2012年のロンドン五輪で「金メダリスト」になってから5年。今年5月20日、プロの「世界チャンピオン」を目指してWBA世界ミドル級暫定王者アッサン・エンダム選手に挑戦し敗れたものの、不可解な判定が議論を呼んだミドル級プロボクサーの村田諒太さん。今週末の10月22日に、エンダム選手とのタイトルマッチ再戦を迎える。
「負けることは許されない」。村田さんが語る、不可解な判定への思い、判定にもつれ込んだ前回の対戦への後悔、世界チャンピオンになるための“条件”とは。
(聞き手=高島 三幸/写真=厚地 健太郎)
村田諒太(むらた・りょうた)氏
1986年奈良県生まれ。中学生の時にボクシングを始め、南京都高(現京都廣学館高)時代に国体やインターハイなど高校タイトル5冠を達成。東洋大学に進学し、2008年北京五輪を逃し第一線を退く。翌年復帰し、11年世界選手権で日本人選手初の銀メダル、12年ロンドン五輪男子ミドル級では金メダルを獲得。2013年プロに転向し、13戦目で挑んだアッサン・エンダム選手に判定で敗れたものの、その判定が不可解としてWBAの会長が不満を訴え、今年10月22日に異例の再戦が決定。帝拳ボクシングジム所属。読書家。182cm。
(前回記事「再戦・村田諒太が語る『プロの頂点』の意味」から読む)
10月22日に、世界王者の座をかけて暫定王者アッサン・エンダム選手との再戦が行われます。5月の判定で敗れた後、どのような気持ちで過ごしましたか。
試合が終わって1カ月半ほどは、お世話になった方の挨拶回りや会食が忙しくて、落ち込むとか燃え尽き症候群になるとか、そんなことになる暇すらありませんでした。そもそも判定の結果は、自分の力ではどうすることもできません。自分で変えられないことに悩み、不安を覚え、翻弄されるほどムダな時間はないと思っています。
米国の神学者ラインホルド・ニーバーによる『ニーバーの祈り』の中に、「父よ、私に変えねばならないものを変える勇気を、どうしようもないものを受け入れる冷静さを、そして、それらを見分ける知恵を与えてください」というキリスト教の教えがあります。それは「できること、できないことを冷静に判断できる自分を大切にしなさい」ということ。仏教の「諸行無常」という教えは「常に同じことは起こらない。だから今を生きることを大切にしなさい」という意味ですが、これも納得できる。
たくさんの哲学や心理学、神学などの本を読まれていますが、きっかけは?
ニーチェなどの哲学書を愛読していた父に勧められて読むようになりました。「ネガティブなことをポジティブに考えよう」などと考え方を変えるようなメンタルトレーニングも勉強しましたが、良い結果が出た時はいいですが、結果が出ないとネガティブなままなんです。だったら無理にポジティブに考える必要はない。こうした数々の本から学んだ言葉の方が腑に落ちるし、どんな結果にも、心揺さぶられることなく、受け入れられるようになりました。
「誰のための試合なのか」
再戦が決まった時、どう思いましたか。
1人でも多くのお客さんが僕の試合を観たいと思ってくださるなら、再戦であろうが、他の選手との試合であろうが、与えられた試合は何でもやりたいと思いました。昔は「自分のためにやる」という考えが強かった。でもプロなので、お客さんが観たいと思ってくださらない限り、試合は行われません。
心理学者アルフレッド・アドラーが「共同体感覚」という言葉を使いましたが、人間は共同体なしでは生きられず、自分の利益を第一に考えるよりも、周囲に貢献するという感覚の方が幸福感を得られます。トップアスリートが「国民のため、応援してくれる人のために戦う」「お世話になった人に恩返しがしたい」などと言いますが、実際に「応援してくれる人、支えてくれる人」を一番に考える方が、「自分を一番」に考えるよりも力が発揮でき、頑張れる気がします。
一方、今回の再戦は、少しやりにくいという気持ちもある。5月の大会では、「村田諒太が世界レベルの選手とどこまで戦えるのか?」「勝てる実力はあるのか?」という視点で周りから見られていました。そんな中で5月の試合では、ある程度、皆さんに世界王者に通用するボクシングをお見せできたと思っています。その分、「勝って当たり前」「勝てるはず」と周りの期待値が上がったと思うので、前回以上の内容を見せなければいけないという“やりにくさ”です。
一度対戦したという強みもあるのでは?
あります。判定負けでしたが、「通用したという経験」は自信になっています。だから結局、自信とプレッシャーというプラスとマイナスの両面を持ちながら試合に挑むのでしょう。
ノミが飛べなくなる理由
世界チャンピオンになるには、何が必要だと思いますか。
以前は、メンタルを支えるために日々の練習内容や気づきをノートに記録していたが、今は書いていないという。「感覚や気づきを明確な言葉で書き残した途端、それにとらわれてしまうことがあります。今を生きるではなく、過去を生きることにもなる。気づきを抽象的にメモすることはありますが、読み返さないですね。記録することを否定するのではなく、今は書かない方が僕にとっていい状態なんです」
もう少し勇気を持つことでしょうか。前回の試合では、相手が何度も倒れかかっているのに、詰めきれなかったという反省点がある。それは元来の“ビビリ”な性格が影響していると思うので、勇気を持って攻めたいです。
先日、あるイベントでご一緒したモーグル五輪選手の上村愛子さんから、「ノミとコップの話」という面白い話を聞きました。ノミがものすごく高くジャンプすることをご存じですか? 体長の数十倍あるガラスのコップに入れても簡単に飛び越えるそうです。人間の大きさに置き換えると、東京タワーを飛び越えるほどのジャンプ力です。そこで、そのコップに透明の蓋をかぶせると、ノミは何度もジャンプしますが、当然のごとくコップから出られない。しばらくして蓋を取ると、ノミはもうそのコップより高く飛べなくなってしまうそうです。
その話を聞いて、自分の限界を決めるのは自分だと改めて思いました。「体が大きい外国人には勝てない」「そんなやり方で結果を出した人はいない」「それは無理だろう」といった「先入観」や「固定観念」「否定」から入ると、限界値を自分で決めてしまい、本当の実力以上の結果が出せなくなるかもしれない。越えられない壁を作り突破口を塞いでいるのは、対戦相手ではなく自分なんですよね。
確かに常識を打ち破る目覚ましい活躍をしているのは、限界値を決めない人が多い。年齢による限界を決めずにメジャーリーグのバッターボックスに立ち続けるイチロー選手や、ピッチャーと打者の二刀流で挑戦する大谷翔平選手などがその代表例。「やってみなければ分からない」という限界値を決めない意識や、「こうでなければいけない」という教えを守らない精神は、トップを目指すアスリートはもちろん、ビジネスパーソンも大切だと思います。
「自信を持つためには、ある程度の結果が必要」
限界値を決めずに、成長し続けるためには何が必要?
自信でしょうね。自信を持つためには、ある程度の結果が必要。結果を出すためには、日々の地道な練習にどう向き合うかということが大事です。モチベーションが上がらないという人は、転職など逃げ道になるような選択肢がたくさんあるからではないでしょうか。僕にはボクシングしかないし、結果を出さないとご飯が食べられない。だから練習メニューも真剣に考えます。
昔は「本当にこの練習でいいのか」と迷いましたが、経験を積み重ねることで、自分にとって意味のある練習とそうでない練習が分かってくるんです。僕の場合、ウエートトレーニングやスポーツ科学に頼るのではなく、走ったり自重を使った補強トレーニングをしたりといった極めて原始的な練習を選ぶ、とかですね。
成長のためには考え続けることが大事で、必死に考えてもがくスランプの時期は絶対に必要です。僕もプロ8戦目で判定勝ちに終わったあたりから、成長が止まった気がしました。フォームを見直し、下がってきたガードを上げようと意識しましたが、しっくりこない。そこで視点を変えて間接的な部分に着目し、体全体のバランスを見直して、いつも踏ん張ろうと意識していた右脚の力を抜いたんです。
すると右膝が上がりバランスが良くなって、ガードも自然に上がった。「右脚を踏ん張らなければ」という意識が強すぎて全体のバランスが崩れていたことに気づいたおかげで、スランプを脱出できました。問題そのものではなく、間接的な部分に焦点を当てることで解決することも学びました。あのスランプがなかったら今も悩んでいたかもしれません。
世界戦へ意気込みをお願いします。
いい試合を見せます。負けることは許されないと思っているので。もらいたくてももらえない貴重なチャンスを結果につなげないと、自分のボクシング人生はないという覚悟でしっかりと挑みます。
Ryota Murata’s History
1986 | 奈良県奈良市生まれ |
1999 | 中学1年生の時にボクシング教室に通い始める |
2002 | 高校2年生の時に選抜・総体・国体の高校3冠を達成 |
2003 | 選抜と総体を制して高校5冠を達成 |
2004 | 東洋大学1年生の時に全日本選手権初優勝 |
2005 | キングスカップ銀メダル、アジア選手権銅メダル |
2008 | 引退し、東洋大学に職員兼ボクシング部コーチとして勤務 |
2009 | 現役復帰。全日本選手権優勝 |
2010 | 全日本選手権優勝 |
2011 | 全日本選手権優勝
インドネシア大統領杯ミドル級(75kg)初優勝
世界選手権ミドル級(75kg)銀メダル |
2012 | ロンドン五輪ミドル級(75kg)金メダル |
2013 | プロボクサーに転向
柴田明雄選手にTKO勝
デイブ・ピーターソン選手(米国)にTKO勝ち |
2014 | カルロス・ナシメント選手(ブラジル)にTKO勝ち
ヘスス・アンヘル・ネリオ選手(メキシコ)KO勝ち
アドリアン・ルナ選手(メキシコ)に判定勝ち
ジェシー・ニックロウ選手(米国)に判定勝ち |
2015 | ダグラス・ダミアオ・アタイデ選手(ブラジル)にTKO勝ち
ガナー・ジャクソン選手(ニュージーランド)に判定勝ち |
2016 | ガストン・アレハンドロ・ベガ選手(アルゼンチン)にKO勝ち
フェリペ・サントス・ペドロソ選手(ブラジル)にTKO勝ち
ジョージ・タドニッパ選手(米国)にTKO勝ち
ブルーノ・サンドバル選手(メキシコ)にKO勝ち |
2017 | 5月20日アッサン・エンダム選手とWBA世界ミドル級王座決定戦を行い、判定負け
アッサン・エンダム選手との再戦が決定(10月22日試合予定) |
Powered by リゾーム?