今の私とバルミューダは、大恩人との出会い抜きでは語れません。タダで機械の使い方や加工技術を教えてくれた春日井製作所の春日井さんご兄弟。倒産寸前に追い込まれたバルミューダを救ってくれたフジマイクロの丸山忠作社長(現会長)。この方々はなぜ、こんな私に協力してくれたのか。私なりの「答え」を語ってみたい。

バルミューダ社長/17歳の時、高校を中退。スペイン、イタリア、モロッコなど、地中海沿いを放浪。帰国後、音楽活動を開始し、大手レーベルと契約するなど、バンド活動に専念。2001年バンド解散後、モノ作りの道を志す。工場に飛び込んで教えを請うなど、設計、製造を独学で習得。2003年、バルミューダデザインを設立(2011年4月、バルミューダに社名変更)。“そよ風”のような優しい風が心地よい扇風機「The GreenFan」や、スチームを使った絶妙な焼き加減を実現したトースター「BALMUDA The Toaster」など、業界を席捲するヒット商品を開発・販売。新商品はオーブンレンジ「BALMUDA The Range」。著書に『行こう、どこにもなかった方法で』(新潮社)がある。(写真=稲垣純也)
「人は一人では生きていけない」
若かりし頃の私だったら、全く響かない言葉だったでしょう。20代の私は、世界で活躍できるロックスターになれると信じて音楽活動をしていました。当時は自分を天才だと思っていたし、運もあると信じていたので、他人の力なんて必要ないと思っていました。
若かったとはいえ、バカですね。世界が自分についてくると思っていたのですから。この俺が歌っているんだぞ、と。
もちろん今は、そんなふうには思いません。「今の自分があるのは、協力してくれた多くの人たちがいたからこそ」と考えています。人生は「人との出会い」で大きく変わります。人は一人で生きていけないからこそ、出会いは大切にしないといけないのです。
大恩人との出会い
私がこれまでお世話になった人はたくさんいますが、今の私とバルミューダは、大恩人との出会い抜きでは語れません。
バルミューダ創業前にお世話になったのは、東京・小金井にある町工場、春日井製作所の春日井さんご兄弟。
28歳で音楽活動に見切りをつけ、ゼロから「ものづくり」の道に転進した私は、実際の製作現場を見て学ぼうとして、自宅周辺の町工場を訪ね歩くことにしました。ところが、どこも門前払い。金髪のド素人が「見せて」と頼んでも、見せてくれる工場はありませんでした。ただ、それでも私はあきらめませんでした。片っ端から工場を回ったんです。
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