「矢沢は考えたのよ、『矢沢、楽しめ』」って

そうした“うねりみたいなもの”を起こすためには?

 自分や他人の勝ち戦や負け戦といった経験を思い出すといい。僕の中では、永ちゃんですね。4万人のステージに立つ前、永ちゃんは「震えるくらい怖い」と話していました。でも、「矢沢は考えたのよ、『矢沢、楽しめ』」って(笑)。自分がこうしたいと思うプロセスをワクワクしながら楽しめば、不安を乗り越えて、道は開けると思うんですよね。

 サッカーの日本代表チームも「俺たちは負けない、見てろよ!」と、思いっきり楽しんでプレーしていたように見えました。結果ばかり考えすぎないで、自分が楽しく生き生きできていれば、手の打ち方も思い浮かぶのではないでしょうか。そのプロセスを楽しむために必要でない作業こそ、AIに任せればいいんです。

 歴史を振り返れば、社会問題はどの時代もひっきりなしに起きています。戦争はもちろん、中世のヨーロッパではペストやコレラといった疫病が大流行して、多くの人々が死んだ時代もあったし、ジャガイモが輸入された途端に、人口が大幅に増えるという出来事もあった。時代は常に社会問題に直面してきたわけで、今に始まったことではありません。

 じゃあ昔の人は、不透明な未来を予測して、今ほど不安になっていたのかなと。そこまで未来を気にする必要があるのかと、疑問に思うわけです。

最近の風潮を見ていると、変化に対する人々の耐性が落ちているように思うのですが。

 落ちている気がしますね。それはたぶん、生きていくのに精いっぱいだった昔の方が、“空が落ちてくる”といったこの世の終わりみたいな、余計なことを考えなかったからじゃないですか。今、そんな話ばかりしている人は、目の前の仕事が面白くなかったりする場合が多いようにも思います。

耳が痛いです(笑)。

 「5年後、10年後、20年後はどうなっている?」と未来の問題ばかりを考えても、不安で苦しいだけですよ。仮に予測が当たっても、そんなに意味があることでしょうか。その“当たり”に関わらないまま生きていたとしても僕はダメだと思わないし、それほどひどい目に遭うとは思えないんですよね。

 それよりは、「大切な自分の人生をどう生きていくか」に焦点を当てる方が、ずっと大事だと思います。また、世の中から求められるものだったり、自分や多くの人にとって大切な価値だったりする、その時々の“当たり”を見定めていく方が大事だとも思う。平成であろうが飛鳥時代であろうが、時代がどうであれ、核となる大事なことは、そう変わらないのではないでしょうか。