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徹底的に褒め、その言葉に責任を持つ

 講演だけではなく、一対一のコミュニケーションでも、漱石は情熱的だった。それは、ほぼ毎日のように綴られた膨大な手紙から分かる。とりわけ弟子への手紙には、真摯に向き合って大切に育てようという使命感に満ちている。主な特徴を3つ挙げてみよう。

 第1は、「徹底的に褒め、その言葉に責任を持つ」ということだ。大学に鈴木三重吉という教え子がいた。彼が『千鳥』という小説を書いて漱石に送ると、漱石は「傑作である」「甚だ面白い」と返信。さらに文芸誌「ホトトギス」を主宰する高浜虚子に推薦し、鈴木に文壇デビューの機会を提供した。

 実は、高浜はこの作品をやや批判的に捉えていた。だが、漱石はその詳細を鈴木に伝えるとともに、「僕が名作を得たと前触れが大き過ぎた為め却って欠点を挙げる様になつたので、いゝ点は認めて居るのである」とフォローも忘れない。また別の手紙では、漱石の弟子で後に物理学者となる寺田寅彦も『千鳥』を褒めていたと伝え、「あれにケチをつけた虚子は馬鹿と宣言してしまつた」と述べている。

 後に鈴木は児童文学雑誌「赤い鳥」を創刊。芥川龍之介や有島武郎など当代一流の作家の作品とともに、新美南吉の『ごんぎつね』を掲載するなど、新人にも活躍の場を提供した。「担い手を育てる」という漱石の覚悟は、鈴木にしっかり継承されたわけだ。

「神経衰弱で死んだら名誉だらうと思ふ」

 第2は、「人の弱さに寄り添う」ということだ。鈴木は一時、神経衰弱で休養していたことがある。その時に漱石が送った手紙は、どこまでも優しい。「現下の如き愚なる間違つたる世の中には正しき人でありさへすれば必ず神経衰弱になる事と存候(ぞんじそうろう)」として、さらに以下のようにも述べている。

 「もし死ぬならば神経衰弱で死んだら名誉だらうと思ふ。時があつたら神経衰弱論を草して天下の犬どもに犬である事を自覚させてやりたいと思ふ」