オピニオンリーダーたるため挑戦はやめない

 1975年設立のOMAの特徴は、「お前らにこんなことが思いつけるか?」といわんばかりの先進的なデザインにある。度肝を抜くような提案を世界に発信し続け、建築界を挑発してきた。常に勝負の世界に身を置き、仕事の7割超をコンペで勝ち取っている。クライアントが任意で決めた設計事務所と契約を結ぶ「随意契約」で仕事を取る手法もあるが、OMAは競争入札での勝ちにこだわる。

 OMAパートナーの重松象平氏(42歳、2015年当時)が代表を務めるNYオフィスは、平均年齢が32歳と若く、45人の少数精鋭で世界的な建築に挑んでいる。重松氏は「私たちは先進的であるOMAの哲学を受け継いで拡大する第二世代だ」と話す。その重松氏が担当したのが、先ほど登場したCCTV本部ビルだ。

重松象平・OMAパートナー 1973年福岡県生まれ。九州大学建築学科卒業。98年にOMA入所。米国とアジアを中心にプロジェクトを手掛け、中国・北京の中国中央電子台(CCTV)本部ビルの設計ではプロジェクトアーキテクトを務めた。2006年からNYオフィスの代表を務める
重松象平・OMAパートナー 1973年福岡県生まれ。九州大学建築学科卒業。98年にOMA入所。米国とアジアを中心にプロジェクトを手掛け、中国・北京の中国中央電子台(CCTV)本部ビルの設計ではプロジェクトアーキテクトを務めた。2006年からNYオフィスの代表を務める

 その斬新な構造は、世界に衝撃を与えた。ビルを正面から見上げると、不安感にも似た強い印象を受ける。頂部と低層部で2本のタワーがつながっている高さ234mの高層建築は、巨大な門をイメージさせる。

社会で認識される建築的な類型を崩すことからアイデアを練る。テレビ局のあるべき姿を機能の面から追求してデザインを考案した(資料:OMA)
社会で認識される建築的な類型を崩すことからアイデアを練る。テレビ局のあるべき姿を機能の面から追求してデザインを考案した(資料:OMA)
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 デザインの構想を練るに当たって、重松氏はテレビ局の機能に注目した。リサーチ過程で分かった課題は、部門間の意思疎通の難しさ。テレビ局の建物は、番組制作などを担当するクリエーティブ部門と、スポンサーを開拓する営業部門との間で、部署が離れて配置される構造が多いためだ。そこで、人との交流や仕事の連続性をデザインに落とし込むなかで、水平・垂直方向に延びた躯体をループで結び付け、様々な機能を結合させる構造にたどり着いた。

 OMAは、社会が認識している建築的な類型を疑うところからデザインを練る。

 例えば「図書館はこういう形状だ」という常識がある場合には、どれだけ当たり前を崩した形に設計できるかに知恵を絞る。それ故に、かつてOMAはデザインの斬新さから、アンビルト・アーキテクト(実現しない建築家)と呼ばれた時代があった。建築技術の進歩も追い風となり、今日ではOMAのデザインは世界各地で実現しているが、現在でも挑戦精神は引き継がれている。重松氏は「たとえアンビルトと言われても先進的であることは、OMA設立当初からの哲学だ」と言い切る。

「社会の状況はテクノロジーの進化で変わっていく。OMAの役割はリスクを取ってでも常に建築の可能性を探って、業界を先導することだ」と語る重松氏
「社会の状況はテクノロジーの進化で変わっていく。OMAの役割はリスクを取ってでも常に建築の可能性を探って、業界を先導することだ」と語る重松氏

 世の中を観察して時事を読み解き、クライアントに自分たちが面白いと思うデザインを提案する。そのための手段が国際的なコンペだ。斬新な分、理解を得られず、敗北することも決して少なくない。しかし、転んでもタダでは起きない。優勝者のアイデアをしのぐようなデザインを提示することで、コンペで負けたとしても、世の中に強烈な印象を残す。

 OMAは、コンペへの参加は広報活動を兼ねた投資の一環と考えている。その案が採用されそうかどうかにかかわらず、担当したスタッフが本当に納得した内容を提出する。たとえコンペに負けても、「すがすがしいくらい良い内容だった」と評価されるデザインを残すことを大切にしている。重松氏は「OMAが建築界のオピニオンリーダーであり続けるためには、リスクを承知で挑戦的なデザインを世界に提示しなければならない」と力を込める。

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