枠組み合意がもたらした教訓は「騙されるな」ではない

北朝鮮の意思を変えさせるお金の使い方という視点から考えた時、枠組み合意は有効だったのでしょうか。米朝が1994年、北朝鮮が核開発を凍結する代わりに、米国が国際コンソーシアムを通じて軽水炉を提供することで合意しました。日本もこのコンソーシアム「朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)」に参加し、4億ドル超を出資した。外交で非核化を進め、北朝鮮が核・ミサイルを開発する意思を変えるようお金を使いました。

 しかし、合意は破綻しました。

柳澤:当時、金正日(キム・ジョンイル)総書記は本気で核を放棄する意向だった。しかし、米国がクリントン政権からブッシュ(子)政権に代わり、やる気を失ってしまったという指摘があります。

 現状は金正恩(キム・ジョンウン)委員長もトランプ大統領も本気だと評価しています。しかし、過去の経緯から、どちらも不信感をぬぐいされずにいる。これをどうマネジメントしていくかが今後の課題です。

 枠組み合意から得られた教訓は、「北朝鮮に騙されるな」という単純なものではありません。本質は、米朝の間にある敵対関係と不信を解消する必要があるということです。北朝鮮に対しては「核・ミサイルを放棄すればこんな良いことがある」と理解させる。米国には、政権が交代しても方針を変えないよう訴える。この不信の解消に日本も力を尽くすべきです。それがミサイルの飛来を確実に防ぐことにつながる。その時にお金が必要ならば、出し惜しみすべきではないと考えます。

尖閣諸島は「自力」かつ「政治力」で守れ

ここまで北朝鮮の核・ミサイルについて伺ってきました。日本は北朝鮮に加えて、南西諸島において中国から脅威を受けています。こちらにも、抑止力ではなく政治力で対処できますか。

柳澤:中国脅威論には2つの側面があります。一つは尖閣諸島をめぐるもの。これは日中が戦争になってもおかしくない対立関係です。この意味で、米国がメインプレーヤーである北朝鮮問題とは異なります。日本と北朝鮮の間には、米国を挟まなければ、戦争になる直接の要因はありません。拉致問題や植民地支配の清算などの問題が存在しますが、戦争で解決する性格のものではありません。

 では、尖閣諸島をどうするか。これは日本が独力で守るべきです。米国が守ってくれると当てにしてはなりません。さらに言えば、そもそも当てになりません。「日本の無人島のために米国の青年の血を流すわけにいかない」という固い米国世論が決して許さないでしょう。

 では、いかに自分で守るかが問題です。ここでは軍事的に守る方法と政治的に守る方法の2つが考えられます。

 軍事的に守るケースを、尖閣諸島に戦場をしぼって思考実験してみましょう。結果は、日中ともに得るものがなく消耗するだけで終わると思います。中国が取ったら、日本が取り返す。それを幾度も繰り返す。その間に双方の兵隊が死んでいき、船が沈んでいきます。この消耗に対してどちらが長く耐えられるかという無限の我慢比べになりかねません。これは決してやってはいけないこと。

 これをやらずにすませるのが政治の役割です。政治のレトリックとしては、日中ともに尖閣諸島を譲ることはできません。しかし、力づくで取り合いをしなくても、政治がコントロールできると思います。ここにしか、答を見いだすことはできない。

 視点を変えて考えてみましょう。日本と戦争してまで実現すべき政治的目的が、中国に本当にあるでしょうか。戦争になれば、中国の経済成長も大きく損なわれます。そうなれば、むしろ、国益を損なうことになるのではないでしょうか。

 中国脅威論のもう一つの側面は、中国が南シナ海で軍事支配をさらに強めるのではないか、というものですね。こちらは海洋の秩序をめぐる米中の覇権争いです。ベトナムやフィリピンにとっては領土をめぐる主権。いずれにせよ、日本の主権と直接つながる話ではありません。それに日本がいかに関わるかを考える必要があります。

 仮に南シナ海をめぐって米中が戦争を始めれば、日本にある米軍基地が攻撃対象になります。日本が戦場になるのです。拠点をたたくのは軍事の基本ですから。

 この時、「戦争をしてでも中国の覇権を許さない」という固い意志が日本にあるでしょうか。また、米国に「中国を力づくで駆逐する」意図があるでしょうか。それも明らかではありません。米国が南シナ海における中国の行動に明確なレッドラインを示したことはない。中国を力づくで駆逐する能力はあっても、意思があるとは思えません。なぜなら、覇権の問題ではあるものの、米国の主権の問題ではないからです。

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