長崎流が招いた誤算

 巨額損失を招いたアイーダ。その失敗の要因は「受注段階にあった」と指摘する声は多い。ある三菱重工幹部は「徐々に建造する客船のサイズを大きくするべきだった。いきなりあんな大きな客船を作ろうにも、経験やノウハウもないし、一緒にやれる仲間も育っていなかった」と、造船部門の見通しの甘さを指摘する。

 さらに造船事業のある幹部は、長崎流の建造方法に固執したことが要因の1つだと指摘する。「商船の考え方で船の骨格を造る船殻工程に重きを置き、内装工程を簡単に見ていたのでは」。たとえば商船は、内装工程が少ないため、建造工程の大部分は船殻が中心となる。一方で、客船やフェリーは、内装工程の比重が大きいため、内装工程のコントロールが船の納期に大きな影響を及ぼす。

 実は三菱重工にはフェリーの建造を得意とする造船所がある。下関造船所(山口県下関市)だ。ここでは、建造する面積から内装工程にかかる日数を計算。その日数をもとに、納期から逆算して、船殻に作業を早めるよう指示を出すなどして、内装に十分時間をかけられるようにしている。もし、そうしたノウハウを持つ下関と長崎が連携できていれば、アイーダの悲劇は起こらなかったかもしれない。

 しかし、再編によって、造船事業は長崎や下関といった事業所の壁がなくなり、連携がとりやすい体制に生まれ変わった。何よりも発祥の地、長崎が「格上」で下関が「格下」という序列もなくなった。三菱造船の竹田祐幸執行役員は「以前なら下関が長崎に助けてもらうことはあっても、逆はなかった」と振り返るが、今は違う。三菱造船の宮崎正生副社長は「(下関からも)文句を言わず、うまくいっているところから学ぶ」と話す。