日経ビジネス8月28日号の特集「独り負けニッポン漁業」では、IT(情報技術)をはじめとしたハイテク技術の導入が進むノルウェー漁業の最前線をレポートした。一方、日本の漁業は他国と比較しても、国内の他の第一次産業と比較しても、IT化で出遅れている。効率的な漁獲や資源管理に有用なはずのITの導入がなぜ日本漁業では進まないのか。この分野の第一人者である、はこだて未来大学マリンIT・ラボの和田雅昭所長に聞いた。

漁業ITという分野を専門に研究を始めたきっかけは何だったんでしょうか。

和田雅昭所長(以下、和田):元々は養殖向け機械の技術者でした。1990年代に自分の機械を使っていた養殖場でホタテが大量死したことがありました。それは温暖化による水温の変化が顕著になってきた時期と重なっていました。大量死の要因は複合的なものだと思います。ただ、理由がどうであれ、私が問題と思ったのは、そもそも漁業者が水温をちゃんと測ったことすらないということでした。

 彼らは季節の移り変わりに合わせて、毎年同じ作業を繰り返していただけ。環境が崩れてない限りはそれで良かったのでしょう。でも、温暖化の影響は海の方に先に強く出ていた。当時既に新聞でも騒がれていたのですが、漁業者は無頓着でした。海の環境が変わっているのに、それを無視した飼育をしていたのです。海で生計を立てているのに海を知らない。これはまずいだろうと思ったのが最初のきっかけです。

AIで漁場予測、流通も効率化

最近では過去の漁獲や水温のデータなどをもとに、AI(人工知能)でイカの漁場などを予測する研究に取り組まれていますね。

和田:これまでの研究で蓄積してきたデータを活用するには、やはりAIです。日本の漁獲量は減ってきています。また、日本はまだ養殖業のウェートが重くありません。そうすると、出荷量を増やすのは難しい。よくても現状維持でしょう。

 その中で漁業をどう持続させていくか。仮に漁獲量が減っていくことがAIで予想できるのであれば、それに合わせた漁業に変えていけばいい。獲れるところを予想して出漁すれば効率化が図れます。

 流通とも手を組んでいます。その一社が食品卸のいずみホールディングス(札幌市)です。顧客が魚を必要としている時間から供給が1時間ずれると、価格は3割安くなることもあります。それなら、AIによる翌日の漁獲予測をもとに流通を組んでくれと話をしているわけです。例えば手配する輸送車のサイズや台数をどうするか、何カ所に買い付けに行くのか。移動経路も含め最適化できますし、魚も鮮度のよいまま届けてもらえます。翌日の予測がつくだけで状況は劇的に変えられるのです。

ハイテク漁船なのに得た情報をただ捨ててきた

一般的には、漁業のIT化は遅れています。一次産業の中でも、農業の方が進んでいる印象です。

和田:まず、単純にネットワークでつながっていません。漁船ってGPS(全地球測位システム)のナビが自動車よりも早く普及していたし、魚群探知機も潮流計もあります。IoT(モノのインターネット)におけるセンサーの役割を果たすものが古くから使われていたわけで、ある意味ではハイテクなんですよ。でもそれがネットにつながってない。漁船で得られる情報の価値は大きいのに、ネットにつながっていないからただ捨てられてきました。だからビッグデータとして蓄積もされなかった。

 僕らが2004年に漁業ITに本格的に取り組みを始めたころ、携帯電話はまだ海の上で広く使えなかったし、ネットの使い放題プランもないからお金がかかるし、速度も遅い。陸上に比べてインフラが整っていませんでした。当初は自分たちで沿岸域にネットワークをつくっていました。

 でも今は日本の漁場の9割以上は携帯圏内。沿岸から日帰り圏内の海域はまず問題ありません。しかも、安くて速い。海のインフラの不利は、ほぼ解消されつつあります。

 そもそも情報を共有するという文化が、漁業の場合にはないことは問題です。それもIT化を遅らせている原因になっています。いい漁場を見つけても、それを他人には教えたくないという人が多い。

 (沿岸の岩礁域にある)磯根資源なら海岸線に立っていれば獲っている様子が肉眼でも見えるわけです。隠すのが難しい。でもマグロなんかは他人がどこで獲っているかは分からないし、その情報を守りたいという思いがあります。今、函館漁港にはイカ釣り船が16隻あります。漁場予測のプロジェクトに参加をお願いしていますが、協力していただいているのはまだ2隻だけです。

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