ニシン漁の歴史に詳しい小樽市総合博物館の石川直章館長によると、北海道全体のニシンの年間漁獲量はピーク時の100万トン弱から4000トン程度まで減っている。

かつてはニシンの豊漁に沸いた(写真:読売新聞/アフロ)

 ニシン漁が衰退した理由として有力な説は2つ。幕末期に「建て網」という2隻の船で魚群を取り囲む効率的な漁法が開発され、乱獲が一気に進んだこと。もう1つは水温の変化により、産卵行動が阻害されたことだ。石川館長は特に乱獲の影響が大きかったという考えだ。「ニシンが減少し始めた時期は、海水温の変化はまだ大きくなかった」からだ。

 乱獲を止められなかった当時の背景は、今の日本漁業の問題と通底するものが多く見つかる。

実は買い叩きされていたニシン

 まず1つは漁師が魚価を上げる工夫をしてこなかったということだ。実は当時のニシンの9割以上は綿や藍などの肥料として用いられ、利益の大きい食用はごくわずかだった。しかし、当時の漁師は「量を取ればいいとしか考えなかった」(石川館長)。近年、養殖用の魚粉として利用され、資源が急減しているイワシなどに通じる問題だ。

 そして、焼畑農業のように続いた漁獲。漁師は魚群を求め北上を続けた。現・江差町周辺の道南地区の漁場は江戸時代にはすでに枯渇。最後には礼文島、利尻島まで行き着く。「資源は減少と回復を繰り返す。漁師は魚の来る来ないは自分たちではコントロールできないことだと考え、漁獲規制には及び腰だった」(石川館長)。漁業者の目先の生活保護を優先し、規制の議論にしばしば疑問を投げかける日本漁業の現代の状況に似る。

 最後に、マグロ漁師の高松さんが最も問題視するのは、1980年代のことだ。この頃一時期だけニシンの来遊があった。資源を回復させるチャンスだった可能性があるが、「目の前にある魚を見過ごせないで、また獲り尽くしてしまった。失敗に学ぶ姿勢が日本の漁師にはない」。

 漁業に詳しい東京財団の小松正之上席研究員は「日本の漁業は制度もメンタリティーも江戸時代から変わらない」と厳しく批判する。日本の漁業者の9割は小規模な沿岸漁業者。各漁村の漁師は浜の環境を自ら守ることと引き換えに独占的な漁獲が許されてきた歴史があり、その自主的管理の文化は漁業協同組合に形を変えて今も生きている。

 しかし、回遊範囲が広い魚種に関しては漁業者組織同士の漁獲争いが起こり、自主管理はしばしば破綻する。昨季にクロマグロを巡って不正操業が相次ぎ発覚し、国際会議で妥結した漁獲枠を超過したのもその典型例といえる。

 ここまで朽ちた日本漁業を変えるのは誰か。漁業者か、漁協か、水産庁か。いずれにせよ、過去に学ぶ姿勢がなくては、その責は担えない。