16年5月27日。財投3兆円決定の数日前、安倍は伊勢志摩サミットを終え、米大統領(当時)のバラク・オバマと広島を訪問する。オバマを見送った後、安倍はJR広島駅からのぞみ60号に乗り、JR名古屋駅で降りた。そこで、葛西に出迎えられ、JR東海本社があるJRセントラルタワーズ内の名古屋マリオットアソシアホテルに宿泊する。
こうした会合で何を話したのか、安倍に質問状を送った。3兆円を投じて、国民にどういうメリットがあるのか。財投を追加投入する可能性はあるのか。
だが、原稿の締め切りまでに回答はなかった。
この3兆円融資は、まさに葛西の思い通りのシナリオだったのではないか。
1980年代、国鉄の若手エリートだった葛西は、井手正敬(後のJR西日本社長・会長)、松田昌士(後のJR東日本社長・会長)と「国鉄改革3人組」と呼ばれた。そして、巨額の赤字と借金に苦しむ国鉄を、分割民営化で再生させようと邁進した。
葛西は著書で、この解体的改革は、「東海道新幹線救出作戦」だったと振り返る。そのドル箱、東海道新幹線で売上高の7割を稼ぐJR東海が87年に発足すると取締役に就任。88年、常務に昇格し、その秋に関西経済連合会の会合で講演に立ち、こう話している。
東海道新幹線とリニアは一元的に経営されなければならない」「(リニア計画の)全額を民間資金で行うことは難しい。3分の2は民間資金で行ってもよいが、残る3分の1は国のカネが必要ではないか。つまりナショナル・プロジェクトとして推進しなくてはなりません。
今から30年前、まだ山梨のリニア実験線すら着手していない時、すでに葛西の頭には、明確に今のリニア計画が描かれていた。資金の3分の1は、国のカネを引っ張ってくることも。
リニアとJR東海の歴史は、葛西によって築かれたものだった。その当人に話を聞くべく、JR東海に申し入れた。だが、「4月に代表権を返上しており、今は金子が経営の責任者。彼の話したことがすべてだ」と断ってきた。

そこで、東京・荻窪の葛西邸を訪れた。平日午後9時、自宅前に軽自動車が止まり、中に数人の男が座っている。警備のためだった。そこで、休日の昼間に再び訪れた。リニアの取材だと告げると、間髪入れずこう返してきた。
「それは僕でないと語れないな」
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