宮内庁は8日午後3時、天皇陛下が象徴としての務めについて考えを示されたビデオメッセージを公表した。陛下は「体力の低下を考慮すると今後、全身全霊で象徴の務めを果たしていくことが難しくなるのではないかと案じている」と考えを表明された。
天皇陛下が個人的な考えを述べられたのを機に、日経ビジネスは、かつて天皇陛下の侍従長を務めた渡辺允氏が天皇陛下の人柄について語ったインタビューを、書籍『遺言 日本の未来へ』から抜き出してここに再録する。
この記事は戦後70年の節目に、日経ビジネスと日経ビジネスオンラインが連動し行った、「戦後70年 『遺言』 日本の未来へ」という企画の中で話をうかがったもの。戦争の時代を生き抜き、戦後日本を牽引したリーダーたちから、未来の日本へ託す言葉をもらうという趣旨で話を聞いた。インタビューは2014年12月に行われた。
10年半、宮内庁の「侍従長」を務めました。
侍従長とはどんな仕事をするのかとよく聞かれるんですが、陛下の秘書官とか執事とか、そういったイメージを持っていただいてよろしいんじゃないかと思います。
渡辺允(わたなべ・まこと)氏
元侍従長
1996年から2007年まで、「天皇家の執事」たる侍従長。曽祖父の渡辺千秋氏は明治天皇崩御時の宮内大臣。父は「昭和天皇最後のご学友」として知られる渡辺昭氏。現役の川島裕氏を除き、唯一存命の侍従長職経験者。「畏れ多いことながら」としつつ、両陛下の普段の姿を広く知ってもらうため、退任後は講演などを重ねる。1936年5月生まれ。
(写真:後藤麻由香、以下同じ)
ほかの皆さんに比べて、普段の両陛下のお姿を拝見する機会が多かったわけですけれど、その10年半で私が感じたことというと、やっぱり一番は両陛下の無私のお心です。一言で言えばそういうことです。
陛下は日本国の象徴であり、国民統合の象徴であるというお立場でいらっしゃいます。これは寝ても覚めてもそうで、ひと時たりともそのお立場でない時間はないわけです。いつでも、その時にどうするのが一番ご自分の立場に求められているのか。それを考え続け、行動し続ける。そうやって日々過ごされている方が本当におられるんです。その結果、陛下は、天皇の務めは国と国民のために尽くすことであると考えられるに至ったと私は思っています。
もう少し説明が必要でしょうね。例えば若い時に、親兄弟とも隔離されてしまったハンセン病患者がおられます。時代が移って隔離された状況でなくなっても、受け入れてくれる故郷もない、親族もいない。両陛下は全国の療養所を回られて、そうした人たちの老後を非常に心配してお言葉をかけ続けてこられたんです。私も何回かお供しましたが、車椅子に座っている一人ひとりに寄り添うように身をかがめられて、苦労してきた話に耳を傾け、「寂しいでしょうけれど、どうか元気で」と慰め、励まされるわけです。
両陛下がそうされることを、もしかしたら当然のように思われている方もおられるかもしれません。ですが、少し想像していただけたら分かりますが、これは肉体的にも精神的にも非常に大変なことですよね。報道されるのは本当にその一部だけど、現場で、一人ひとりの話を聞いて、その苦労を察して、お言葉をかけられるわけです。一人ひとりに真剣に向き合って長い時間を過ごされるんですよ。
そうしたお姿を見て、周囲の看護師さんなんかが感激してもらい泣きされたりします。それはもちろん、陛下というほかにはないお立場がなすことでもあるでしょうが、それ以上に、両陛下のお人柄が周囲に伝わるからだと思うんです。
もう一つ具体例を挙げましょう。宮崎県に西都原というところがあります。そこにある古墳群をお訪ねになって、当時の知事さんがそこにある小さな小屋の説明をされたんです。地下に古墳がある場所で、普通の地面があってもともとは隠れていたんだそうです。それが数十年前のある日、地元の人が何かで通りかかったら突然土地が陥没して地下に古墳があったと分かったそうなんです。
その説明をお聞きになった陛下はね、すぐさま「その通りがかった人に怪我(けが)はありませんでしたか」と尋ねられたんです。普通の人だったら、地下の古墳について質問すると思うんです。しかも数十年前の出来事ですよ。私にとっては、これはものすごく印象に残ったことでした。
普段からそういうふうに、人々の幸不幸を心にかけるという発想をなさっていなければ出てこないお言葉だと思うんです。とっさのことですから。意識してそういうことを言おうと思っても、そうはいかないと思うんです。だからその時、「ああ、この方はこういうものの考え方なんだな」と納得したんです。
非常に真面目な方なんです。ご自分に対しても、いいかげんにしておけないところがある。そこが実は、報道だけを見ていても分からないところです。どこかの展覧会を見にいらっしゃるとか、あるいは災害のお見舞いにお二人がいらっしゃるとか、そういう動きは報道されます。でも特にそういうことがない日も、皇居の中で必ずいろいろなお仕事があるんです。そのすべてを国民のためといいますか、人のためを考えてなさっているわけです。
常にご自身の言葉で語られる陛下
侍従長を辞めてから、その経験を書いた本を出したり講演をしたりしています。
畏(おそ)れ多いことだけれども、私が見た両陛下のお姿を多くの方に知ってもらいたい。両陛下は表に出ていらっしゃる時だけでなくて、普段からずっと国民のことや、国全体のことを考えて行動していらっしゃるということなんです。
私はやっぱり自分が拝見して感じた天皇陛下、皇后陛下の本当のお姿を、なるべく大勢の人に知ってもらいたい。何も私がやらなくても、ご自身が築き上げてこられたものがおのずと物語るわけですけどね。この取材も、いったんはお断りしましたけど、やり取りの中で陛下のことに触れていらしたでしょう。やはり話さないといけないと思ったんです。
私の父は昭和天皇の「ご学友」でした。曽祖父は元宮内大臣。比較的、皇室に近くお仕えしたことのある家庭に育ちましたが、実際には知らないこと、分からないことばかりでした。
例えばいろいろな式典で話されるお言葉というのがあって、それは事前に主催者が、大体の原稿を作ります。陛下の分だけじゃなくて、総理大臣とか参加される方のもね。それで、大体皆さんそれをそのまま読まれる。たまには何カ所か、こう言いたいとかいう場合もありますが、陛下はそうじゃないんです。
私も驚いたんですが、毎年行われる行事であっても、陛下は毎回ほとんど全部の原稿について、ご自分のお考えなり経験なりに基づいて何かを加えたりなさいます。
毎年言っているから今年もそうするとか、昔からやっているからこうだというのじゃないんです。
これは、より良いものを求めようとすれば当然の姿勢なのかもしれません。でもなかなか実際にはできないことだと思います。
そういえば、こんなこともありました。私が式部官長の頃だったと思いますが、チュニジアの大統領が来日されて、宮中晩餐会でお言葉があったんですね。陛下はこういう時、ご自分の経験に照らしてその国との思い出を語られることが多いんです。パーソナルな体験を話されて、関係を築かれるわけです。
ところがチュニジアにはいらしたことがないし、向こうからどなたかが来られたこともない。あまり日本との関係がなかったんです。一体どうされるんだろうと私は思っていたんです。
そうしたら陛下は幼い頃の話をされたんです。今のチュニジアは昔のカルタゴなんですが、カルタゴのハンニバル将軍の話を子供の頃に本で読んだと。チュニジアの首都チュニスがカルタゴと同じ場所で、東京とほぼ同じ緯度にあることを後になって世界地図で知って、非常にチュニジアに親しい気持ちを感じたことがあります、というようなことをね。
これはもう全くご自分で新たに書き加えられたわけです。できる限り相手のことを考え、パーソナルなタッチを入れようとされる。そういうお気持ちが相手に伝わることは十分にあると思うんですね。
こういうことを申し上げていいのか分かりませんが、私は仮に陛下が天皇というお立場でなくても、非常に誠実で真面目で素晴らしい方だと思います。もちろん、陛下からそのお役目を外すことは考えられないわけですので、意味のない仮定かも分かりません。陛下自身、自分は天皇になるために生まれてきて天皇になったから、天皇以外の立場になると考えたことはありませんということもおっしゃっていますしね。
「I shall be the Emperor」の覚悟
陛下には中学生の時の有名なエピソードがあります。英語の授業で「将来何になりたいか」というようなことが問われ、陛下は「I shall be the Emperor」とお答えになったそうです。「なりたい」ではなく、「なる」「なることが決まっている」といった表現です。まさに10代の頃から、そうしたお覚悟で日々を過ごされてきたわけです。
日本国憲法で「象徴」という現在の立場が定められた後に即位されたのは、今上陛下しかいらっしゃいません。想像しかできませんが、そこにはやはり様々な思いやお悩みがおありになったのだろうと思います。
これも想像のことなのですが、やはり陛下は皇太子でいらした青年期まで、どこか孤独を感じていらしたと思います。お小さい時からご両親とは離されて、お仕えする大人に囲まれて育ってこられた。お寂しいこともあったと思います。
だからこそ、皇后陛下の存在は、天皇陛下にとって非常に大きなものだと思います。陛下がご婚約の頃にお詠みになった「語らいを 重ねゆきつつ 気がつきぬ われのこころに 開きたる窓」という歌は、本当に陛下にとってはそういうことだったんだろうと思います。一人の人間の心に窓を開くというのは大変なことであって、それは皇后陛下の大変なご功績だと思いますよね。皇后陛下は、天皇陛下の一番の理解者であり、支えであり続けてこられ、天皇陛下も頼りになさり、何かとご相談になり、また大事になさっているのは、陛下が折々におっしゃることからよく分かります。
天皇陛下がもし仮に次の世代に伝えたいことがあったら何をおっしゃるかと推測したら、先の大戦のことをおっしゃると思います(編集部注:このインタビューは2014年12月1日に行われた。天皇陛下はその後、戦後70年となる2015年を迎えた年頭の感想文で、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」と述べられた)。80歳のお誕生日の時に、80年で一番印象に残っていることは何かという質問に対して、やっぱり大戦のことだとおっしゃっていますから。
これは本当に繰り返しおっしゃっています。戦争の記憶がだんだん薄れ始めている。戦争を知らない世代が出てきているから、それは、ある意味で致し方のないことではあるけれども、絶対に戦争のことが忘れられないように語り継がれてほしいと。これは陛下が後世に伝えたい非常に大事なメッセージだと思います。
戦争を知らない若い世代に伝えるのは非常に難しいことかもしれません。それでもやはり、日本国あるいは日本国民にとって最近の歴史で一番大きな出来事であったわけです。300万人を超える人が亡くなり、東京とか大阪とか、大きな都市がほとんど爆撃されて焼け野原になった。そういう犠牲を払った出来事があって今日の日本があることを、忘れてはいけないということだと思います。
若い世代にとっての戦争は、私が明治維新のことを考えるのと多分同じようなことになってきているんでしょうね。体験とは切り離された、歴史の教科書に載っている出来事といったような。
戦争に負けた。昨日とは太陽まで違う
私は終戦の時、小学校3年だから、疎開をしていて兵隊には行きませんでした。だけど空襲警報が鳴って、みんなで防空頭巾を被(かぶ)って防空壕(ごう)に入るとか、演習とかはやりました。それから8月15日の玉音放送をみんなと一緒に聞いて、みんなが泣いた。すごく天気のいい日でね。とにかく貧しくて食べるものもない。そういう戦争の記憶はあるんです。
戦後、ちょっとしてから東京へ帰ってきたのですが、自分のうちの跡に着いたら、焼けちゃって何もなくてね。麹町の辺りなんですけど、私は今でも覚えているのは、そこから国会議事堂が見えるんです。それまでは、そんなことは絶対あり得ませんでした。
終戦の次の日、朝起きた時に母親が「もう戦争に負けた。昨日とは太陽まで違う」って言って嘆いていたのを覚えています。
「象徴」とは何かと聞かれると、答えはなかなか難しい。でも陛下がされていることは、一つの見方にすぎないかもしれませんが、国民の統合という求心力を働かせるということではないでしょうか。社会の遠心力が働いて、忘れられてしまいがちな人たちが、実際にはある。
陛下は、もうずっと以前からハンセン病や障害者スポーツなどに関わる人たちと親交を持ってこられましたが、そういう人々が求心力を働かせようとするのを励まして、遠心力ではじき飛ばされることがないようにする。それがまさに「日本国民統合の象徴」として、陛下がされていることなんじゃないでしょうか。
そういう意味で一つ印象に残ったことがあります。日本銀行の総裁が1年に2回、その時の経済情勢を説明するご進講があるのですが、ある時、陛下が「この頃、格差ということを聞くようになりましたけど、それについてはどうですか」とお尋ねになりました。
それが終わってから、私は「総裁、陛下がああいうことをおっしゃっていたのは、要するに格差で落ちこぼれる人が出てきているというふうに自分は理解している。その人たちのことを考えてほしいということだったんだと思います」と申し上げたことがあるんです。
随分前からボランティア活動が活発になってきたのは「大変心強い」とおっしゃっています。特に阪神淡路大震災の時からそうした動きが大きく起こるようになりましたよね。東日本大震災の時もそうおっしゃっていたから、「社会はそうやって、みんなが助け合ってつくっていくことが大変望ましい」というふうに感じていらっしゃるのだと思います。
日本社会は地域なり家族、親族なりといったグループの団結が強い社会です。だけれども、西欧なんかではボランティアというのは普通に行われていますよね。そういう意味の特別の関係のない人が、全く自発的に、ある人が苦労しているから駆けつけて力を貸そうとする。それまであまりなかった動きが出てきたことを、「心強い」とおっしゃっています。こうした動きは、社会の一つの求心力ですよね。
両陛下は普通の人よりも苦労が多かったり、あるいは悲しみが多かったり、痛みが多かったり、そういう意味で重いものを背負っている人、それでいながら一生懸命生きようとしている人のことをいつも考えておられるのだと思います。「人に寄り添う。心を寄せる」とよくおっしゃっています。まさに心の問題になるのですが、それがご自分の仕事の中核だと思ってこられたと思います。
日本には本当に「無私」という心を持って、それを実際に行っている方がいらっしゃるのです。そうした心を持つ意味と価値を、私は両陛下に教わりました。
[日経ビジネス編『遺言 日本の未来へ』(2015年8月発行)より転載]
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