来年1月には京都で公演を始める。古くから豊かな文化を育んできた土地だが、一方で、日本固有のドメスティックな価値観を持つ保守的な土地柄でもある。「これまで単発の公演でも苦労してきた」というが、再挑戦を期して北陸、滋賀、奈良、山陰への浸透を狙い、京阪神以外から3割の顧客を取り込むのを目標にしている。

打倒ブロードウエーの思い

 今年7月、会長となった浅利は、改めて「劇作にのめり込む」ことを内外に宣言している。

 「できれば毎年1本、今後10年で10本の作品を作っていきたい。そして、その過程で徹底的にうちのスタッフの創作能力を鍛える。いわば“浅利劇作塾”だな」

 まもなく上演される「異国の丘」はその第1弾だ。国内ミュージカルとして、四季の定番になるであろうと期待されているこの演目を引っ提げて、浅利は再び「全国各地を塗りつぶすような活動をもう一度やりたい」と意気込んでいる。

 劇団四季は、ブロードウエーやウエストエンドの海外ミュージカルを輸入して邦訳し、日本で上演することで成功を収めてきた。しかし、浅利は「目の黒いうちに国内上演作の50%は国産品でやりたい」と語る。

 世界に通用する国産ミュージカルを作る。これが浅利の夢だ。しかし、日本のミュージカルを支える人材の層はあまりに薄い。そこが悩みでもある。

 「10年前に『李香蘭』という作品を出し、自分もやっとミュージカルを作れる水準まで進んだ。だけど、それはアメリカ人が作るごく平均的なレベルで、まだまだ力が劣るんです。向こうではその平均的な土台の上に、思いもかけないユニークな手法、強烈なオリジナリティーを乗せてくる。これはまだ僕にはできない」。だから、周りのスタッフの平均的な力をどんどん高め、5年で自分くらいのレベルまで引き上げたいと浅利は狙う。

 「若い人たちにそんな土台ができれば、僕がいなくなっても欧米作品に伍する、創造性にあふれたミュージカルを作る可能性が生まれるから」

 それは、浅利流の理念を持った大衆演劇活動の総仕上げであり、現場での共同作業を通して、若い後進たちへ、演劇人としての自分の思いを伝えていく作業でもある。

 「自分が演劇の一線に立てるのはあとせいぜい10年」という浅利は、今の日本の演劇界を取り巻く閉塞状況に焦りすら感じている。

 「僕がやれたんだから誰だってやれる。追っかけてきて、僕を倒してほしい。道は僕が整備して、舗装したんだから」。こんな挑発も、裏を返せば、若い世代への期待の表れだ。その呼びかけに、若い演劇人はどう応えるだろうか。