劇団四季の元代表で演出家の浅利慶太氏が7月13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去しました。85歳でした。「日経ビジネス」は2001年10月、既存の権威に挑戦しながら現代劇の世界を切り開いた同氏に取材し、その人物を描きました。ここに再掲載いたします。

1933年3月、東京都生まれ。慶応義塾大学仏文科在学中の53年に、日下武史氏、藤野節子氏、吉井澄雄氏らと「劇団四季」を結成。西欧古典劇、現代劇、創作劇、ミュージカル、オペラなど幅広く演出と制作活動を手がける。ベルリン・ドイツ・オペラや英国ロイヤル・シェークスピア劇団の日本公演、劇団四季の海外公演のプロデュースも。芸術選奨文部大臣賞、菊池寛賞など受賞も多い。(写真:清水 盟貴)
「僕はね、この稿を現在の演劇界や評論家、マスコミに対する『宣戦布告』のつもりで書いたんだ」
演出家、劇団四季の代表、そしてその運営会社・四季の会長という肩書を持つ浅利慶太(68歳)の口から、こんな挑発的な言葉が飛び出した。
シェークスピア4大悲劇の1つ「ハムレット」。浅利にとっても劇団四季にとっても思い出深い作品だ。劇団四季は1968年に、創立15周年記念公演としてこの作品を初上演した。それから33年。四季は今年1月から9月にかけて、東京、名古屋、大阪で4度目の公演を実施した。宣戦布告は、その公演のパンフレットに載っている。
浅利がつけた文章のタイトルは「墓を暴いて、悪口雑言」。4ページの長きにわたって、自らの演劇人生を振り返る体裁で書かれている。持ち前の柔らかな語り口そのままの筆致ながら、切れ味は鋭く、容赦がない。
「英ロンドンの演劇街ウエストエンドにも、日本の東京にも、小劇場がある。だが両者には大きな違いがある。ロンドンではきちんとした俳優養成の教育を受けたプロが演じているが、東京でそういう者はまずいない」
「日本では戦前にシェークスピア劇が流入、上演されたが、その台詞せりふ回しは七五調の変形で、三流の歌舞伎役者が演じたような代物であった。しかし、当時はそんな演劇を褒める評論家が多かった。一方で四季が新たに考え出した自然な日本語に聞こえる朗誦表現は酷評されたものだった」
「四季は作家の書いた台詞を正確に表現することを目指し、現代の日本語にふさわしい表現法を鍛えてきた。小劇場の前衛劇だからといって日本語表現が曖昧でいいはずがない。正統派も前衛も商業演劇も、日本語表現の基本は同じ。それがあってこそ、東京の小劇場からもいい役者が生まれる」
この間、俳優の芥川比呂志や滝沢修、評論家の尾崎宏次といった日本演劇史に名を残したお歴々を批評しながら浅利は自分の信念を述べ続け、最後にこう締めくくっている。
「夢を持ってこの世界に挑んでくる若者が、方法論を教えられないままに挫折と無駄死にをくり返している。このことに責任のある人はかなりいる。今回は亡き人の悪口を言ったが、若者たちの未来のために、昔の喧嘩屋に戻って、次は生きている人々と戦う番である」――。
浅利は今や誰もがその存在を知る、日本演劇界の大御所だ。仲間とともに創設した劇団四季を、日本を代表する劇団に育て上げた手腕はつとに有名だ。イタリアを代表するオペラハウス、スカラ座で「マダムバタフライ」を演出したり、長野五輪の開閉会式の総合プロデュース、沖縄サミットの晩餐会の演出など、多方面にわたる世界的な活躍でも知られている。
今年7月には、四季の社長職を前専務の小澤泉に譲り、今は演出・創作活動に全力を傾注している。そんな、自らの夢を十分すぎるほどに実現した成功者が、なぜ悠々自適の生活を送らずに、あえて“宣戦布告”などと挑戦的な言葉を振りまくのか。
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