整体師の谷仁志は、そんな栗城に勇気づけられた人間の1人だ。栗城の講演会に足を運び、「何かできることはないか」と声をかけた。それが縁で、股関節が硬い栗城の整体をするようになり、エベレスト登山にも帯同するようになった。そして昨年5月、迷いを越えて横浜市に自身の整体院を開業した。「新しいことをしようって時、やめる理由はいくらでも思いつく。多くの人はそれを飛び越えるのに、背中を押してくれる誰かが必要だ」。谷にとって栗城は、その「誰か」だった。

 栗城は言う。「夢を語る大人を増やしたい。自分で夢に挑んだ人は、その価値を子供に伝えられる。そうすればチャレンジする人が増えて、日本にあるっていう閉塞感だって、どうにかできそうじゃないですか」。真剣な面持ちで語った後、「大きなことを言って」と恥ずかしそうに視線をそらすのが、何とも純朴な印象を与える。

 身長162cm。体重58kg。雪焼けし、鬚の生えた顔は精悍そのものだ。だが、他人と言葉を交わす様子はとても控えめで、平均よりも小さな体をより一層小さく見せる。「もともとの性格で言えばさ、人前に出る子じゃないよ」と、父・敏雄は言う。それは栗城本人も同じ意見だ。

 エベレストから生配信した映像を見ると、高いテンションでまくしたてる栗城がいる。それを演技と呼ぶ人もいるが、少し不自然な姿さらしてしまうあたりが「人前が苦手」な証左と言うこともできる。真相は、どちらでもいい気がする。伝わってくる一部の情報では、栗城の挑戦をすべて否定することも、肯定することも難しい。

 ゲームなどのクリエーターとして世界的に有名な水口哲也は、栗城の創造性を高く評価する。「ネットの地図ソフトで、エベレストのどこに自分がいるか、みんなが簡単に分かるようにできないか」。そんな相談を持ちかけてくる栗城の視線は、「頂上のその先の未来を見ている」ようで、百戦錬磨の水口にすら「誰も思いもしないことを成し遂げるのでは」と期待させずにはおかない。

 治療に専念する栗城が、今後どんな挑戦をするのか、今はまだ分からない。だが可能性を切り開こうとするその姿は、多くの人が注視している。彼の舞台には客席もスポットライトもないが、栗城は確かに、「挑戦者」という天の配役を演じ続けている。

=敬称略
栗城 史多(くりき・のぶかず)
1982年 北海道に生まれる
2004年 初の海外で北米最高峰・マッキンリー登頂
05年 南米最高峰のアコンカグアなど3大陸の最高峰に登頂
07年 標高8201mのチョ・オユーに登頂、動画配信を開始
08年 標高8163mのマナスルに登頂、エベレストでの生中継登山プロジェクトを立ち上げ
09年 標高8167mのダウラギリに登頂、6500m地点でネット中継
09、10、 秋季エベレストに挑むも登頂できず
11、12年 2012年に重度の凍傷を負い治療に専念
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