奥さまは反対されないのですか?
妻とは小学校1年生からの同級生で、19歳の頃に2人で一緒に住み始めていますから、とても長い付き合いです。小学生の頃の私がやっていた「プロレスごっこ」を大人バージョンで再開したと理解しているのではないでしょうか。レスリングを始めてから指の関節が太くなったために、結婚指輪が入らなくなってしまいました(笑)。
何歳までレスリングを続けられそうですか?
当初は「60歳までやれたら」と考えていましたが、どうやらこの目標は達成できそうです(今年11月に58歳)。だから、目標を上方修正しました。うちの大学の定年は68歳なので、そこまでは「現役のレスラー」でいたいですね。レスリングより寝技に制限がないブラジリアン柔術も1年ほど前から始めていますが、柔術の方が高齢になっても続けられそうな気がしています。今年1月、主に30代以上の男女が参加する全日本マスターズレスリング選手権大会のフレッシュマンズのクラス(社会人になって競技を始めた人が対象)で公式戦の初勝利を挙げることができて、銀メダルを獲得しました。次は優勝を狙いたいです。
日経ビジネス8月8・15日号の特集「どうした50代!君たちはゆでガエルだ」では、入不二教授を含む現在の50代を「ゆでガエル世代」と捉え、多角的に分析しました。
大学の教員という立場上、「最近の学生と20年前の学生はどう違いますか?」といった質問を受けることがあります。この質問に世代論の問題点が表れている気がします。違いを語ろうとする「私」の視点を棚上げしているからです。学生ではなく「私」が変わったから、「学生が変わった」ように見えているのかもしれないし、学生は変化しているのに、「私」が変わっていないから、「学生は変わっていない」と見えているだけなのかもしれません。語る側の視点やその動きなどを考慮に入れずに、対象の「世代」を固定的に語っても、あらかじめ自分の見たいものだけを見るために、世代論を利用していることにしかならならないでしょう。
そもそも「世代(generation)」は、「生み出す(generate)」という産出的な言葉に由来しているのに、「世代論」における「世代」は固定化してステレオタイプ化してしまい、何かを生み出しつつある感じがしません。ある年齢や時代が切り取られて、一時的に固定化した名称が与えられたとしても、時の推移の中でその名称を裏切るような方向に変化していったり、別の新たな世代を生み出す動因になったりするからこそ、「ジェネレーション」なのではないでしょうか。
「ゆでガエル世代」もまた、命名者である編集部の視線を裏切って、温泉に入ってリラックスした後の活力回復状態へと意味を変えるかもしれないです。「ゆでガエル」とは「急激な変化には対応できても、微細な常温変化には気づかずに死に至る」状態ですよね。たとえ変化にうまく対応できたところで、誰もが最後は死に至るのですから、「ゆっくりとそれと気づかずに死んでいく」ことは、それほど悪くないような気もします。
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