レスリング経験は研究者、教育者としての本業にどのような影響を与えていますか?

 この6年間のレスリング体験とその考察を一冊の本にまとめているところです(ぷねうま舎から刊行予定)。研究者としての思考実践フィールドは拡大していると思いますが、書き終わってみないと分かりません。

 教員としては「専門領域から離れて新たな分野をゼロから学ぶ」という貴重な体験を積めました。考えてみれば、「教える側」に回って20年以上が経ちます。再び「教わる側」の視点にも立てることに意味があります。普段は講義などで教えている学生たちに、レスリング場では逆に教わりつつ投げ飛ばされたり抑え込まれたりしているわけで、「異分野間の双方向的な交流」が生まれているとも言えます。大学という場に相応しいコミュニケーションではないでしょうか(笑)。

そこまで楽しいと、「30~40代で始めておけば」もしくは「学生時代にレスリング部に入っておけば」と後悔することはありませんか?

 レスリングを始めた当初、確かにそんな可能性について考えました。私の出身校である東京大学のレスリング部は一部リーグの強豪ではありません。ほぼ全員初心者からのスタートですから、ハードルは低い。運動部の経験はなかったとはいえ、私は大学時代にはジムで筋トレをしていましたし、先ほど話したように自分の運動能力に「思い込み」も持っていました。もともとプロレスファンだったから、始めていてもおかしくなかった。「もっと早くこの競技に出会いたかった」という後悔に近い感情も湧きました。

 しかし、今は少々違った考え方をしています。むしろ、大学時代ではなくて50代になって始めたからこそ、楽しめているのだと考えるようになりました。それは、先ほど述べた「思い込み」に関係しています。大学時代に始めていたら、強豪校の選手たちに同じ若さで出会い、その身体能力の圧倒的な凄さに直面して、思い込みは木っ端微塵に砕かれていたでしょう。

 自分が夢中になれる分野なのに、圧倒的にその才能が欠けていることを思い知らされたら、若いからこそプライドが傷つき、競技を辞めていたかもしれません。しかし、50代の私は強さや能力に関わる劣等という事実も冷静に受け入れられます。何より「楽しい」だけで続けられてしまうのです。「年齢ゆえの諦め」こそが、むしろ楽しむ自由をもたらしてくれます。

怪我や減量は辛くありませんか?

 この6年間で骨折や靭帯損傷を複数回経験していますが、競技を辞めようと思うことは一度もありませんでした。「復帰できないかもしれない」と思ったのは、相手の技を防ごうとして腕が巻き込まれてしまって、靱帯を損傷したときです 。あらぬ方向に曲がった自分の左肘の映像が、回復後も脳裏から離れませんでした。その怖さからくるのか、もうレスリングはできないかもしれないと悲観的になりました。しかし、時間が経つと恐怖心は消えました。結局、レスリングをする快楽の方が勝ってしまうのですね。

 怪我はしない方がいいのはもちろんですが、それでもいろいろ学べる機会にもなります。どういうときにケガをしやすいのかを知ると、次に怪我をしないための実用知を蓄えられます。また、回復期のリハビリの「マイナスをゼロまで持っていく」と、普段のトレーニングの「ゼロをプラスに持っていく」の同型性は興味深いものがあります。右足首を骨折したときに松葉杖を使用していましたが、松葉杖は一種のトレーニング器具のようでもあり、大胸筋や上腕三頭筋が鍛えられました。

 レスリングは体重別の競技ですから、試合前の減量では、普段の61kgから55kg未満まで、1カ月かけて6kg以上落とします。これはデトックス(解毒)効果があるかなとも思いますし、試合と合わせて「イベント」「祭り」として楽しんでいます。しかし、体を絞りながら試合に向けて集中力を高めていく期間は、思考が哲学に向けにくくなって仕事に支障が出ます。試合参加は年2回くらいが限度かなと思います。