さて、言っても詮ないこのような昔話をなぜ今さら書くのか? それは、当時と比べれば、“逆回転”したような今の環境では、人がとても育ちにくいことを明確にしたいからだ。この記事を読むような方々には目新しい話ではないだろう。でも研修で同じ話を若手にすれば、みな興味津々で聞いているから面白い。
「皆さんは普通に生きていたら育ちませんよ! アジア人の若手との競争に負けますよ」…そのことだけでも良いから、本音の現状認識を若い人たちに伝えてあげる意味は大きい。さもないと、鍛える場をもらえずにいる若手は「我々は大丈夫かも?!」と誤解してしまうからだ。せめて、先を考え、深く悩むきっかけぐらいは与えたいと思う。それが、現在の長期デフレ&コンプライアンス呪縛に縛られたビジネスパースンの解放への一歩となるのではないか。
50代へ本音の応援歌を送りたい
若手へのメッセージはこの辺で端折らせてもらうとして、本日は表題にある通り、50代のシニアへ本音の応援歌を送りたい。
私は今まで日本および世界の大企業に勤めてきて、52歳で起業した。お金に余裕があって道楽で始めた…わけではない。お金もまだしばらく稼ぐ必要がある。ただし、金融業界でお金にまみれて生きてきたから、死ぬときに「少しは次世代の役に立ったと思いたい!」という自己実現欲求の方が上回る年齢になってきた、それだけのことだ。
さて、「次世代に生き生きと活躍する人財を作りたい!」と高い理念を掲げたところで、起業にあたって最初に考えなければいけないのは、どろどろの現実だ。まずはオフィスを借りて机をそろえること。それまでは、図書館や公園に通うしかない…。
いろいろ頑張って、少しビジネスが育ってくると、次に「せめて備品の購入や会計は人に任せたい!」などという欲が出てくる。余談だが、こうした会社の立ち上げ期から働いてくれた社員が、見るに見かねてか、自ら仕事のカバー範囲を広げて会社を支えてくれるようになるのは本当にありがたい。最大の喜びだ。いつかはその気持ちにこたえたいと、自身の励みにもなる。
さらにもう少し会社が成長すると、「運営をともに行うパートナーを採りたい」などというニーズも生じてくる。そこで突き当たる壁が、誰が微小(笑)企業に勤めに来てくれるか?という難題だ。

お世辞で言っているわけではない
そんなプロセスを経て、昔、出会ったビジネスパースンを思い出したり、伝統的大企業で今、50代を迎えた人に研修で向き合ったりしていると、私には誰も彼もが有能人財に映るのだ。
なんせ、かつて修羅場をくぐってきているから腹が座っているし、組織の力学も見えているから無駄な戦いは避けるし、そこそこの知り合いがいるので調査力も高いし…いちいち良いことづくめなのだ。
別にお世辞で「市場価値がある!」と言っているわけではなく、本当に必要なのだ。その手を借りたいのだ。うまくっていているスタートアップ企業は雰囲気も明るいし、経験を持った年配者に、本音では頼りたいと思っているためやりがいもある。運よく株でも少し持たせてもらえば、それなりの資産を手に入れる夢もある。
さてここまで来て、やっと本日の本題となるが、そんな人財ニーズがありながらなぜ流動化が進まないのか? もちろんいろいろな要因があるが、ここでは50代の隠れたポテンシャル発揮を妨げている理由──逆の立場から言えば、ここだけちょっと意識と行動を変えれば、もう今から第二の人生引っ張りだこですよ!というポイントを記してみたい。小さな習慣を少し変えるだけで、ご自身が、定年まで待てずにチャレンジしたくなるかもしれない。
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