ところが、今思うと、その「我慢と忍耐の美徳」を、恥ずかしながら自分の中では無意識に悪用していたことが分かる。必要な変革と真正面から向き合うのを避ける方便として使っていたのだ。「おかしいなぁ」と思っても発言すれば波風がたつ。だから「なぁなぁ」でやり過ごす。そんな逃げを正当化していた。

 もっとも卑近な例でいえば「連れ残業」…。昔はそれが当然だと思っていた。「なんでやることがないのに、残らねばいけないのか?」という素直な疑問を口に出せなかった。さらにたちの悪いことに、部下がそういう顔をしたら、チームワーク精神の不足と憂い、人材育成の精神で会社での働き方を説いたりしたものだ。善意で始まる負の連鎖だ。

トラブルの時でも、グローバル企業では平然と帰る人がいる

 そんな「働く常識」が根本から覆されたのは、社会人生活約20年を経て、45才にして外資系企業に勤め始めてからだ。それまでも、日系企業で三度海外勤務を経験し、留学もさせてもらい、海外現地法人社長として外国人もマネージしてきたので、それなりに海外通のつもりでいた。しかしグローバル企業は、まったく政治力学の異なる別世界…強烈なカルチャーショックを受けたのだ。

グローバル企業では、トラブルで皆が大騒ぎしている時でも平然と帰る人がいる。そのことに最初は驚いた。
グローバル企業では、トラブルで皆が大騒ぎしている時でも平然と帰る人がいる。そのことに最初は驚いた。

 グローバル企業では、自部門でトラブルが起きて社内が大騒ぎになっていても、5時になれば平然と帰ろうとする社員がいる。そんな時に、「一致団結して会社のために…」などと安易な精神論を振りかざそうものなら、周りからも上司からも、マネジメント責任者としての管理能力不足として逆に自分が咎められる。

 彼はそういう人生を選択しているのだ…。そこを曲げてオフィスに残らせるために必要なのは、合理的な説明であり、適切な処遇である。精神論ではないのだ。

感情に振り回されないマネジメント、その重要性を学んだ

 そもそも、彼は昇進候補になりえないのか? それも違う。時間の制約と能力の限界は別問題だ。「早く帰るのはけしからん!」ではなく、客観的に考えて、時間の制約があろうとも「使える!」と思った有能な“人財”はとことん登用するだけだ。情緒や感情に振り回されないマネジメント…その重要性を学んだ。

 こうして、それぞれの生き方を、“深いところ”で尊重しながら、全体を繰り回し実績をあげるのがマネジメントの仕事だ! この、今となっては当たり前のことを、頭ではなく日々の現場で体感させられ、そして大きな自己変革を迫られていったわけだ。

 それからは、異なる価値観を尊重することの意義をリアルに考え、「行動を変える」ようになった。部下は我慢しない。自分も我慢しない。納得いかないことは口に出す。その激しい本音のぶつかり合いを通じて、部下も、上司も、より真剣に自分の働き方を考えさせられる。異なる価値観の化学反応を通じた、視野狭窄からの強制的脱却だ。

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