VR(仮想現実)の普及が進む背景の一つには、HMD(ヘッドマウントディスプレー)の製品群が豊富にそろってきたことがあげられる。中でも注目を集めるのは、今年10月に発売されるソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)の「プレイステーション VR」だ。開発を手掛けたSIEのワールドワイド・スタジオ、吉田修平プレジデントに開発の経緯や市場の展望などを聞いた。
「プレイステーション VR(以後PS VR)」が10月13日に発売されます。開発の経緯について改めて教えてください。
吉田:2010年くらいに開発チームのメンバーが、昼休みや土日を使って、趣味の延長線上で作り始めたのが最初です。この頃、「プレイステーション3(PS3)」で使用するジェスチャー入力コントローラー「PS Move」を発売しました。PS Moveは3次元(3D)空間の絶対位置を検出するポジショントラッキング機能を持つことが強みで、正確にプレイヤーの位置情報を把握することができます。
これと、映像を見るためだけの専門のヘッドマウントディスプレイ―(HMD)とを組み合わせれば、頭の動きに応じて見ている映像を変えることができる簡易的なVRができるのではないかと考えたんですね。VRの概念は数十年前からありましたし、ゲーム業界でもいつかVRを実現したいという思いは皆が持っていました。
ソニー・インタラクティブエンタテインメントの吉田修平プレジデント(写真:的野 弘路)
吉田さん自身が初めて、ゲーム用のVRを体験した時はどのような感想を持ちましたか。
吉田:米サンタモニカのスタジオで「ちょっとこれかぶってみて」と開発チームのメンバーに言われ、「God of War」というアクションゲームをプレイしました。
もう最初は本当にびっくりしました。ゲームの世界の中に自分が入り、本当に自分がゲームの主人公になっているようでした。自分の体を見るとすごいムキムキなんですよ。キャラクターの大きさも、普段テレビの画面ごしだと分からないじゃないですか。でもVRで見ると、敵の大きさも分かる。これは革命的だと思いましたね。
その時ちょうどPS4の開発を進めていた時だったので、「PS4の時代に向けてVRシステムを作ろう」と本格的に動き出したのが2011年頃です。
エコシステムはゲームクリエイター以外にも
ゲーム業界における技術の大きな転換期は、1994年にPSが発売されたときにさかのぼります。リアルタイムの3D CG(コンピューターグラフィックス)をゲームで扱えるのは大きな革新だったと思います。それまでは2Dグラフィックスでしたから。
その後は、カメラ機能の改善とか、ネットワーク対戦、ソーシャルとの合流などの進化がありましたが、どちらかというと3Dグラフィックスの性能をひたすら上げていくという歴史でした。映像はどんどんキレイになっていきましたが、革新的とまでは言えませんでした。
そこにきてVRですよ。これは初代PS以来の革新だと思っています。
しかも、ゲーム業界だけじゃないんですよね。アニメや映画でも視聴者をそれぞれの世界観に引き込むことができる。VRの中ならスカイダイビングをしたり、世界中を旅したりすることもできます。PSを取り巻くエコシステムは、VRによってゲームクリエイター以外にも一気に広がっていくのです。
今年は米オキュラスVRの「オキュラスリフト」や、台湾HTCの「HTC Vive」も発売され、「VR元年」と言われています。なぜ今年になって続々と製品が出てきているのでしょうか。
吉田:偶然3社のHMDが今年登場したのではなく、2016年がVR元年であることは必然だったと思っています。元々、我々の中で「製品化するならここまでのスペックがあればいいよね」といった基準がありました。
スマートフォン(スマホ)の普及によって、その基準を満たすスペックの部品が開発され、大量生産できるレベルになったのが去年くらいからです。開発チームのメンバーもVRを作りながら、2013年頃には「2015年か2016年が狙い目だ」と話していました。
かなり厳しい基準を設けていたのですか。
吉田:はい、かなりこだわりました。VRは人間の視覚や聴覚を乗っ取ってしまうので、良いものを作らないと気持ち悪くなってしまうんですよ。最初のVRの体験が、「VRってこんなものなのか」という感想だったら、普及しないですよね。
VRは総合芸術みたいなものだと思っていて、視覚、聴覚、トラッキング、コントロール、コンテンツ。この5つがいい状態で全てそろっていないといけません。英語で「Sense of Presence」って言うんですけど、あたかも別世界に自分が存在することを信じてしまうような感覚のことですね。VRではこれが最も重要。ここまで持っていくのが大変でしたね。
有機ELの進化が後押し
ディスプレーの進化は非常に大きかったですね。VRにおいて視覚というのは非常に重要で、ディスプレーは最も重要な部品の一つです。映像をリアルに見せるよう脳を錯覚させるためには、頭を動かしたときにどれだけ早く映像をかえられるか。その遅延が20ミリセカンド未満であれば、ほとんどの人が感じている現実のインプットと変わらないと言われています。もちろん解像度も高くないといけません。ディスプレーに求められる条件というのは非常に高いんです。
技術の進化によってこれが年々改善されました。現在、我々は有機EL(エレクトロ・ルミネッセンス)をディスプレーに採用していますが、これも大量に手に入るようになったのは最近です。
PS VRはPS4と一緒にしか使用できませんが、PS VRで狙う層はPS4のユーザーだけですか?
吉田:最初はPS4を持っている4000万人(世界)の層でいいと思っています。PS4の価格は3万4980円でそれなりに高いですから。ゲームを好きな人に体験してもらうのが、最初の狙いです。
ただ、ゲームをやる層以外にもアプローチできると思います。例えばスポーツ観戦やコンサートなどのコンテンツが増えれば、PS4ユーザーの家族や友人が「ゲーム以外にもこんな楽しみ方があるんだ」とPSの世界に来てくれるのではないでしょうか。
我々はPS VRをPS4の周辺機器だとは思っていません。PS4のユーザーの一部分だけではなく、もっと大きなポテンシャルを持っていると思います。
VRは3つの市場で進化
現在のVR市場を見ると、ソニーやHTCなどのハイエンドなVRシステムから、段ボールで組み立てることができるライトなVRまで幅広くそろっています。今後VR市場はどう変化していくと考えますか。
吉田:今は3つに分かれていると感じます。PS VRやオキュラス、HTCのようなハイエンドなVRと、スマホを使って誰でも見られる「ハコスコ」や「カードボード」のようなVR、そして、その中間に位置するのが、サムスン電子が手掛けている「ギアVR」のようなスマホを使ったハイエンドなVRです。この3段階に分かれて、それぞれ発展していくと思います。
スマホを使うVRシステムは、もちろんパソコンやPS4ありきのハイエンド製品に比べると映像のパフォーマンスは劣りますし、ポジショントラッキングはできません。しかし、手軽ですし、ビデオ系の360度コンテンツを見るにはいいと思います。リアルタイムCGを使ったハイエンドでなくても、パノラマカメラで撮影したこれまでにない体験をモバイルVRでできるので、この市場が持つ役割も大きいと思います。ケーブルがなくても、鞄に入れて持ち歩けますしね。
スマホを使ったハイエンドなHMDには、先日米グーグルが「DayDream(白昼夢)」を発表しましたが、これはギアVRにかなり近いものになるのではと思っています。あとは米アップルの動きですかね。iPhoneベースのものを出せば、大きなインパクトはあると思います。
HTCやオキュラスは競合となりますが、他社の動きをどう見ていますか。
吉田:HTCやオキュラスの技術者とは、結構みな仲が良いんですよ。ブームになる前からよく情報交換していました。今は、VRの普及のために一緒に頑張っているという感じですね。何十年もVRを実現させたかったという人の集まりですから。
今後はエンターテイメント用途だけではなく、産業用途での活用も考えていますか。
吉田:問い合わせはすごく多いです。開発や医学など、いろんな分野からコンタクトをもらっています。もちろん興味はありますが、対応できる人間のリソースの数も限られているので、まだ具体的にお話しできる案件はありません。
今後VRはどう進化していくでしょうか。HMDも今より小型になるのですか。
吉田:うちの戦略ではなくて、業界の目指す方向という意味での答えになりますが、VRとAR(拡張現実)ってあるじゃないですか。ARは現実にCGを重ねるものです。最終的には、VRとARを簡単に切り替えるようなメガネ型でかつ、単体で動くようなものになるのではと思います。何年後かは分かりませんが、業界としてはそういう夢を持っている技術者は多いですね。
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