ようやく「第1段階」では合意に達したけれど…。英国のメイ首相(左)と欧州連合(EU)のユンケル委員長。(写真:ロイター/アフロ)
英国のメイ首相と欧州連合(EU)のユンケル委員長は、英国がEU離脱にあたり支払う「清算金」など離脱条件でようやく合意した。これで英国とEUとの通商協議など第2段階の交渉に入れることになったが、2018年10月までのわずか10カ月間で難交渉がまとまる保証はない。メイ政権は強硬派とソフト離脱派との間で閣内不統一が目立つほか、頼みのメルケル独首相が政権協議の長期化で足を取られていることも響いている。交渉が不調に終われば、「サドンデス離脱」の危険もある。交渉の行方しだいでは、外資流出によるポンド危機など、英国経済は致命的な打撃を受けかねない。
これで「ブレークスルー」といえるか
「BREXIT BREAKTHROUGH」(EU離脱への突破口)。英国のBBC放送は、メイ首相とユンケル委員長の合意をこう報じた。本来、10月のEU首脳会議で決着すべきだった離脱条件をめぐる合意が2カ月も先送りされたのである。安堵の気分はわかるが、「ブレークスルー」はややおおげさだろう。離脱交渉はやっとスタート台に立ったにすぎない。
離脱条件は①英国のEUへの清算金の支払い②在英のEU市民と在EUの英国民の権利保障③アイルランドと英国の北アイルランドの国境問題──の3点を優先した。このうち、清算金については英国が500億ユーロ(約6兆7千億円)までかさ上げし譲歩した模様だ。英国、EU双方の国民の権利保障も歩み寄りがみられた。しかし、アイルランドと北アイルランドの国境管理は問題を先送りしている。
現在はともにEU加盟国であるアイルランドと英国は自由な往来ができるが、英国の離脱後は国境問題に直面する。英国は離脱後も北アイルランドにはEUルールを残す案を提示したが、メイ政権と閣外協力する北アイルランドの民主統一党(DUP)が英国内の統一が失われると反対した。DUPの協力なしには、政権運営ができないメイ政権は、結局「今後の通商協議のなかで実現する」と問題を先送りせざるをえなかった。
長年の懸案である「北アイルランド」問題は、英国にとって再び頭の痛い問題になってきた。英国のEU離脱で、離脱に反対したスコットランドに独立機運が高まったが、これに連動するように、北アイルランドとアイルランドの統合問題も浮上した。メイ政権は対応を誤れば、EU離脱に伴って「英国分裂」の危機にさらされることになる。
BREXITにEU政治の影
英国は離脱後もこれまで通りEUとの間で自由な通商関係を樹立したい意向だが、EUは離脱後もこれまでと同等の扱いはありえないという立場であり、通商協議が難航するのは必至である。EUからの移民を規制することで「移動の自由」を反故にしておいて、自由な通商関係だけは維持したいというのは確かに虫が良すぎる。メイ政権は単一市場からの離脱による「ハード離脱」を選択しているが、できるだけ通商関係を損なわない「ソフト離脱」を求める声もある。ジョンソン外相らハード派とハモンド財務相らソフト派の開きは大きい。
政権基盤が弱いメイ首相が閣内をまとめあげられるかどうかが問われるが、それ以上に、EU内で頼みの綱であるメルケル独首相の求心力低下が響く恐れがある。
EUの盟主であるメルケル首相は英国に対して早々と「いいとこ取りは許さない」と釘をさしているが、独英間の深い経済関係は無視できず、最後は英国に妥協するはずという期待が英国内にはあった。しかし、そのメルケル首相は9月の総選挙での事実上の敗北で、政権づくりに苦闘しているさなかである。
自由民主党、緑の党との「ジャマイカ連合」は結局、破談に終わり、再び社会民主党との連立協議に政権維持をかけている。欧州議会出身でEU統合派のシュルツ社民党首がマクロン仏大統領はじめEU内の幅広い要請を受け入れて、大連立に復帰する可能性はある。しかし、出直しとなる大連立協議にはどうしても時間がかかる。少なくとも2018年春までは、ドイツは政治空白が続くとみておかなければならないだろう。
BREXIT交渉の大事な10カ月間のうち5カ月近くは、盟主メルケル首相の裁断には期待できそうにない。もちろんEUの新しいリーダーをめざすマクロン仏大統領の指導力に交渉進展への期待がかかるが、EU統合の深化を旗印にして登場したマクロン大統領は、BREXITそのものに批判的である。交渉ではEU側の強い立場を代表する存在になる可能性もある。
BREXITをめぐる混迷もあり、EUに離脱ドミノが起きる危険は消えたが、EU内になお残る極右ポピュリズム(大衆迎合主義)を念頭に置けば、EU首脳はBREXITに決して甘い顔はできないのである。
「12年戦争」の恐れも
BREXITの交渉期限は2019年3月29日だが、英国とEU加盟国の議会承認が必要であり、2018年10月までの交渉妥結が必要になる。離脱条件をめぐる協議でさえこれだけ難航し、予想外の時間を要したのだから、通商協議や移行期間の設定といった本番の協議はさらにこじれる恐れがある。
もちろん、交渉期限そのものを延期する手もあるが、期限延期には全EU加盟国の承認が必要になる。「サドンデス離脱」による混乱を避けるための非常措置である。英国内の政治情勢やEUの政治力学を考えれば、交渉妥結にはどうしても時間がかかるとみておかなければならないだろう。
英国のEC(欧州共同体)加盟には、申請から実に12年間を要した。ドゴール仏大統領が「拒否権」を発動したことが大きな要因だった。加盟はドゴール死後まで持ち越されたいきさつがある。離脱もまた「12年戦争」になるのではないかという見方すらある。
不透明さが高める英国リスク
問題は、英国のEUが自由貿易協定(FTA)を締結する場合、どんな内容になるか、離脱からの移行期間をどう設定するかなど、不透明な要素があまりに多いことだ。英国経済を支えてきた外資はこの点に敏感にならざるをえない。
不透明感が強まれば、英国への投資を手控えるだけでなく、投資の引き上げも考えなければならなくなる。英国経済はEUと外資への依存度が高い。外資の対英投資は大半がEU市場に照準を合わせている。BREXIT交渉の不透明感はEU全域のサプライチェーンに混乱をもたらす。交渉が長引くようなら、日米の多国籍企業も英国脱出を真剣に検討せざるをえなくなるのである。
外資に依存した英国経済にとって、外資流出は致命的である。ポンド安は輸出の促進効果や観光収入の増加というプラス面もあるが、ポンド危機になれば、話は別である。英国経済はスタグフレーション(不況とインフレの同時進行)に見舞われることになる。その行き着く先は、「英国病」の再現である。
シティーの地位は万全か
英国にとって最大の問題はBREXITによって、国際金融センターとしてのロンドン・シティーの座が揺らがないかという点だろう。BREXITに備えた欧州大陸への移転はすでに動き出している。EU域内の銀行監督当局を束ねる欧州銀行監督機構(EBA)はロンドンからパリに移転することが決まった。ユーロの決済センターとしての機能もロンドンから移転することになる。
そうしたなかで、金融機関は脱シティーの動きをみせている。米ゴールドマン・サックスはドイツのフランクフルトへの分散を検討している。ほかにパリ、アムステルダム、ダブリンなどがロンドン・シティーからの分散先として金融機関誘致を競っている。
もちろんシティーには長い歴史と伝統がある。金融だけでなく情報、法務、会計など国際金融センターとしてのインフラは整備されている。そう簡単には国際金融センターとしての座を失うことはないと考えたいところだろう。
しかし、英国の国内総生産(GDP)や雇用のかなりの部分を占めるシティーにBREXITによる悪影響が生じれば、それだけで英国経済全体への打撃は無視できなくなる。グローバルな市場間競争のなかでロンドン・シティーにはBREXITに対応して生き残りをかけた挑戦が求められる。長い歴史と伝統に安住することは許されなくなるだろう。
東京都は最近、国際金融センターとしてのロンドン・シティーに学ぶことによって国際金融都市構想を打ち出しているが、BREXITのシティーへの影響を度外視しているとすれば、時代感覚を疑わざるをえない。
不毛の選択の「清算」こそ
EUが難民問題など多くの難題を抱えているのは事実である。危機に見舞われた単一通貨、ユーロにも改革が必要だ。権限が集中したブリュッセルの官僚機構も改革が求められる。しかし、EUは2度の世界大戦を経て創設された「平和の組織」である。第3次世界大戦が起きなかったのは、EUの存在が大きい。国民投票という民主的手続きを踏んでいるとはいえ、そのEUから離脱するのはあまりに危険な選択である。
そこには、「大英帝国」という大国のおごりが潜んでいる。しかし、その大英帝国を支えてきた英連邦の面影は「クリケット」にしか残っていない(参考記事 2017年4月11日配信「“サッカー”より“クリケット”を選んだ英国」)。戦後の長い「英国病」を脱することができたのは、サッチャー改革よりもEU加盟によるところが大きい。
BREXITの交渉が難所にさしかかれば、「BREGRET」(EU離脱に対する後悔)から「BRETURN」(EUへの回帰)の議論も起きるだろう。メイ政権ではとてもBREXITの交渉を全うできないという見方がEU域内には多い。引き返す勇気をもつ指導者が登場するかどうかが試される。
BREXITで巨額の「清算金」を支払うより、BREXITという不毛の選択そのものを「清算」することこそ、英国らしい賢明な選択に思えるのだが。
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