2018年ブラジル大統領選挙の決選投票で、極右ボルソナロ氏が勝利した(写真:ロイター/アフロ)
「悪貨は良貨を駆逐する」はグレシャムの法則で、あくまで経済の原則と考えられてきた。ところが、いまそれは世界の政治に当てはまる。長く欧州連合(EU)の盟主として、自由と民主主義をリードしてきたメルケル独首相が州議会選挙に連敗し、党首辞任に追い込まれた。
その日(10月28日)、ブラジル大統領には「ブラジルのトランプ」と呼ばれる極右ポピュリスト(大衆迎合主義者)のボルソナロ氏が選ばれた。イタリアのポピュリスト連立政権は財政拡大路線を掲げ、EUに揺さぶりをかける。世界の政治にトランプ主義が蔓延している。メルケル首相はトランプ米大統領に敗れたのだろうか。
対極にいる2人
世界を見渡して、トランプ米大統領が最も苦手な政治家はだれか。米中経済戦争のさなかにある中国の習近平国家主席でも、中距離核戦力(INF)廃棄条約の破棄を突きつけたロシアのプーチン大統領でもない。EUの若き指導者、マクロン仏大統領でもなければ、もちろん安倍晋三首相でもない。それは、メルケル独首相だろう。
トランプ大統領が目の敵にするオバマ前米大統領に似ているが、オバマ氏よりも強固な意志と実行力がある。その政治姿勢はことごとく対極にある。トランプ大統領は難民受け入れを拒み、自国第一主義で保護主義を展開する。
地球温暖化防止のためのパリ協定を離脱し、イラン核合意からも抜ける。これに対して、メルケル首相は難民受け入れに寛大だった。もちろん「100万人受け入れ」など寛大すぎて、政治生命に響くことになる。国際主義で多国間の自由貿易を守る。パリ協定を順守し、イラン核合意も維持する。
トランプ政権発足後、最初の米独首脳会談で、トランプ大統領はメルケル首相が手を差し出すのを知らぬふりをして、握手をしなかった。以来、2人は対極にあって、にらみ合ってきた。そのメルケル首相がいま最大の政治的危機に直面している。
メルケル時代の終わりに揺らぐEU
メルケル首相はバイエルン州に続くヘッセン州の州議会選挙での相次ぐ与党大敗の責任をとって、キリスト教民主同盟(CDU)の党首を辞任することを表明した。その一方で、2021年まで首相は続ける意向を示した。「外交では、英国のEU離脱や米国によるINF廃棄条約の破棄がある。私は忙しい」とし、EUの盟主を続ける姿勢は崩さなかった。
しかし、昨年の総選挙での敗北に伴う混迷に加えて、州議会選挙での大敗でメルケル首相の求心力が大きく低下したことは間違いない。12月のCDU党首選では、メルケル路線を継続するクランプカレンバウアーCDU幹事長と、メルケル首相の難民政策を批判するなど反メルケル路線を鮮明にしているシュパーン保健相、それに「再出発をめざす」というメルツ元院内総務の争いになる。
右派のシュパーン氏が党首に選ばれれば、連立を組むドイツ社会民主党(SDP)との大連立が再び解消の危機にさらされ、メルケル首相の影響力はさらに低下する可能性がある。
「メルケル時代の終わりの始まり」はEUを揺さぶることになる。とりわけ、メルケル首相との「MMコンビ」で独仏主導によってEUを運営してきた若きマクロン大統領には、大きな衝撃である。不人気覚悟のフランス国内改革で支持率は低迷しているところである。ユーロ圏共通予算構想などマクロン大統領が提起しているユーロ改革が宙に浮く恐れもある。
大詰めのBREXITにも打撃
英国のEU離脱(BREXIT)交渉が来年3月29日の離脱期限を前にもめ続け、「合意なき離脱」の危険性が高まっているのは、「EUの盟主」であるメルケル首相の求心力が弱まっていることと無縁ではない。CDU党首の退任で求心力の低下が決定的になれば、BREXITへの影響は深刻化する。
メルケル首相はかねて英国のメイ首相に対して「良いとこ取りは許さない」と強い態度を表明してきているが、独英間の経済の結びつきの深さから、最終局面では、EUの盟主としてまとめ役に回るはずだという秘かな期待があった。そのメルケル首相の指導力低下で強力な調整役不在のままBREXITはますます混迷するだろう。ありえないと考えられてきた「合意なき離脱」が現実味を帯びてきかねない。
イタリアのEUへの挑戦
そうでなくても、EUは難題を抱えている。英国と違って、EUの創設メンバーでユーロ加盟国でもあるイタリアが財政拡大でEUに挑戦状を突きつけている。「5つ星運動」と「同盟」という左右のポピュリスト政党の連立政権が財政拡大をめぐってEUと対決姿勢を強めている。
EUの欧州委員会はイタリアが提出した2019年予算案を差し戻し、3週間以内に再提出するよう求めた。これに対して、イタリアは予算案の修正に応じないとEUの要求をはねつけた。極右ポピュリストのサルビーニ副首相(同盟党首)は「1ミリも後に引かない」と強硬だ。当然、EUは制裁発動も辞さない構えで、にらみあいが続いている。
イタリアの19年予算案は、低所得層の最低保障や大型減税など選挙で公約したバラマキ策を盛り込んでいる。財政赤字の国内総生産(GDP)比は2・4%、歳出は2・7%増になっている。財政拡大で成長を刺激するのが狙いだ。EUルールでは歳出の伸びは0・1%までである。財政赤字が膨らめば、ギリシャに次いで悪い長期公的債務残高のGDP比(130%)がさらに拡大することが懸念される。
イタリアの長期金利は高止まりしており、イタリア国債の格下げも考えられる。そうなれば、イタリア国債を抱える欧州の銀行に不安を招く。財政悪化と金融不安の「危険なタンゴ」が再び始まりかねない。
サルビーニ副首相はEUを「欧州の敵」と公言しており、欧州議会を中心に「EU懐疑派」勢力を拡大する構えである。
イタリアにはもともと親EU派が多い。ブリュッセルのシンクタンク「ブリューゲル」所長を務め、首相にもなったモンティ氏らだ。モンティ氏は首相時代、「財政再建と成長」の両立を掲げ、メルケル独首相の指南役になったほどである。ディーニ元首相のように「財政をめぐってイタリアの孤立化を懸念する」(日本経済新聞のインタビュー)声もある。
EU懐疑派のサルビーニ副首相も、EUやユーロからの離脱は念頭にはない。BREXITの難航ぶりをみれば、イタリア国民の支持を得られないことはわかっている。「反EU」をちらつかせながら、財政拡大で揺さぶりをかけるのが狙いだろう。
「ブラジルのトランプ」
ブラジル大統領に選ばれた軍人出身のボルソナロ氏は軍事独裁政権を賞賛してきた。女性や性的少数者への差別などを売りにして頭角を現した極右ポピュリストだ。「ブラジルは全てを上回る」と自国第一主義を掲げて「ブラジルのトランプ」と呼ばれる。ツィッターを多用することもトランプ大統領そっくりだ。その勝利に、本家のトランプ大統領が祝意の電話を入れたほどだ。
国営企業の民営化や財政再建を掲げて、経済界や市場の期待を集めたが、低所得者への大幅減税や補助金拡大などバラマキ政策もうたっており、政策の整合性が問われている。
経済難から脱し切れていないとはいえ、中南米最大の経済大国で「BRICS」の一角にあるブラジルに、極右ポピュリスト政権が誕生した衝撃は大きい。
蔓延するトランプ主義
世界の政治は、いま強権政治家とポピュリストに牛耳られている。トランプ大統領、習近平国家主席、プーチン大統領のほかにも、トルコのエルドアン大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領がいる。イタリアでポピュリスト連立を組むサルビーニ、ディ・マイオ両副首相もそうだ。BREXITを扇動した英国のジョンソン前外相も入れていい。その戦列に、ブラジルのボルソナロ次期大統領が加わることになる。
そのなかで既存の中道政党は退潮を余儀なくされている。米国の共和党もトランプ大統領に乗っ取られたようなものだ。米中間選挙を前に、トランプ人気にすりよる光景を亡くなったマケイン上院議員はどうみていたか。メルケル首相の政治的危機もトランプ主義の蔓延と中道政党の退潮のなかで起きた。
「敗れざる者」への期待
危険なのは、こうした現実を避けられないものとして受け入れ、「ポピュリスト慣れ」「トランプ慣れ」に陥ってしまうことだ。それは世界中を大きなリスクにさらすことになりかねない。
たしかに党首の座を降りるメルケル首相の政権基盤はもろく、レームダックの危険は高まるが、それでもなおメルケル首相の粘り腰に期待するしかない。政治危機を覚悟のうえでの「総総分離」は、最後にみせる高度な政治戦術とみることもできる。
メルケル首相を支えるマクロン仏大統領はじめEU内の勢力はなお健在だ。EUは地球環境問題や個人情報保護などグローバルなルールメーカーとして存在感を高めている。世界に危機が広がるなかで、メルケル首相はトランプ大統領に対して「敗れざる者」であり続けることが期待される。
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