日本人作曲家の平和の系譜

 ディランは反戦歌の頂点に立ったが、戦後日本を代表する作曲家たちには、平和の系譜がある。

 「シン・ゴジラ」でいま再びゴジラブームが高まっている。東宝の業績向上につながった。その原点にある「ゴジラ」が世界を驚かせたのは、核実験で生まれた怪獣を表す独特の音楽があったからだ。

 不気味ともいえる迫力あるリズムとメロディが繰り返す。この曲を書いたのは、伊福部昭である。北海道帝国大学(現・北海道大学)林業科出身で林政官だった伊福部は戦時中、無防備の放射線実験による被ばく体験がある。核実験を背景にした怪獣映画の音楽をあえて引き受けたのは、自身の体験が背景にある。

 伊福部は戦後の音楽界を先導したが、北海道時代からの友人に映画音楽で知られる早坂文雄がいる。黒沢明監督の「七人の侍」が世界最高傑作とされるのは、早坂の音楽によるところが大きい。「七人の侍」のタイトルで、ひとりだけで名前が出るのは、俳優の三船敏郎でも志村喬でもなく、黒沢と早坂だけであるのをみてもそれは明らかだ。

 その早坂は核実験を題材にした黒沢映画「生きものの記録」の音楽の構想を描いていたさなかに、41歳で早逝する。早坂の薫陶を受けていた武満徹は早坂の死を悼み「弦楽のためのレクイエム」を捧げる。この曲はストラビンスキーに見いだされ、武満の代表曲になる。

 その武満はベトナム戦争のさなかに、友人の詩人、谷川俊太郎の詩に曲をつける。「死んだ男の残したものは」は、何人もの歌手によっていまも歌い継がれている。

 「死んだ女の子」(作詞ナジム・ヒクメット)を作曲したのは、指揮者でもある外山雄三だ。NHK交響楽団の戦後初めての海外演奏旅行で「管弦楽のためのラプソディ」を披露して日本音楽を世界に知らしめた。憲法9条を合唱曲にするなど筋金入りの平和主義者だ。「死んだ女の子」は坂本龍一が編曲し、元ちとせが歌ってヒットした。

 日本人の作曲家たちに貫かれているのは平和への祈りである。そこには静かな怒りとほのみえる光明がある。

文明の融合めざすとき ── グラナドス没後100年

 音楽は平和への祈りを超えて、「文明の融合」をめざせるのだろうか。これは「文明の衝突」が広がる現代世界に突きつけられる大きな命題である。今年は、スペインが生んだ大作曲家、エンリケ・グラナドスが亡くなって100年になる。

 グラナドスの死は、第1次世界大戦のさなかに起きた悲劇だった。歌劇「ゴエスカス」の初演は、パリで行う予定だったが、戦火のなかで、ニューヨークに切り替えられた。悲劇はニューヨークからの帰途に起きた。

 グラナドス夫妻をのせた客船が英仏海峡でドイツのUボートに撃沈される。グラナドス本人はいったん救出されるが、沈みゆく夫人をみて、グラナドスは死を覚悟して海中に飛び込む。

 グラナドスの音楽が美しいのはそこに「文明の融合」があるからだろう。とりわけピアノ曲、スペイン舞曲集2番の「オリエンタル」はイスラム文明への憧憬にあふれている。

次ページ 移りゆく「聖地」