今年のノーベル文学賞は米国のシンガーソング・ライター、ボブ・ディランと決まり、世界に衝撃を与えた。本人との連絡が取れず、世界中をやきもきさせているが、それもディランの反骨精神の表れなのだろう。世界が混迷するなかで、人々を結びつける音楽の役割が見直されている。音楽は世界を変えられるか。そして文明の融合を導けるか。

ボブ・ディランの音楽には反骨精神が貫かれている。(写真:Christopher Polk/Getty Images for VH1)
ボブ・ディランの音楽には反骨精神が貫かれている。(写真:Christopher Polk/Getty Images for VH1)

反骨と反戦

 ボブ・ディランの詩と音楽が美しいのは、枠にとらわれない自由がみなぎっているからだろう。「風に吹かれて」や「時代は変わる」など単なる反戦歌を超えたのびやかさが人々を共感させる。

 そこに貫かれているのは、反骨精神だろう。ハーモニカとフォーク・ギターで登場したディランがフォークシンガーだと決めつけられると、こんどはエレキ・ギターで現れた。ノーベル文学賞の連絡を受け付けないのは、大きな枠にはめられるのを拒んでいるからかもしれない。

 ノーベル文学賞の受賞を辞退したのはフランスの哲学者、ジャン・ポール・サルトルだ。サルトルも枠にはめられるのを嫌った。それが「自由への道」にふさわしい選択だったのだろう。

 ディランには、なぜノーベル文学賞で平和賞でないのかという思いがあるのかもしれない。英国の宰相、ウィンストン・チャーチルはノーベル賞を受賞しているが、平和賞ではなく回顧録「第二次世界大戦」による文学賞だった。

 ディランの態度に、業を煮やしたノーベル賞選考委員会のなかには「非礼で傲慢」と批判する委員もいる。そういわれればいわれるほど、ディランは反骨精神を貫くことだろう。

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