2008年9月16日、ニューヨークのリーマン・ブラザーズ本社で窓際に立つ社員ら。各国の中央銀行は米金融危機を受け、この日も金融市場に大量の流動性資金を投入した。(写真:ロイター/アフロ)

 リーマン・ショックから10年。世界経済危機に波及した米大手金融機関の破綻は、2003年のイラク戦争に遠因があった。ブッシュ米大統領によるイラク戦争の「後方支援」のため米連邦準備理事会(FRB)のグリーンスパン議長は、金融緩和を長引かせた。それが住宅バブルの発生と崩壊をもたらし、金融危機につながった。

 米金融当局が公的資金投入をためらったことで危機を未然に防げなかった。この「米国の失敗」を救ったのは、中国による大規模な経済対策だった。金融危機は超大国・米国の後退と新興国・中国の台頭という国際政治力学の変化を浮き彫りにした。

雨のウォール街で

 それはリーマン・ブラザーズ破綻(2008年9月15日)の3日前、雨のウォール街で始まった。金曜日の夕方にもかかわらず、ウォール街は華やいだ雰囲気はなく、ハリケーンの影響で降りしきる雨にかすんでいた。その蒸し暑さには閉口した。米国の金融危機の取材でウォール街を訪れていた筆者は、あわてて傘を買い求め、やっとタクシーを拾ったが、渋滞がひどかった。

 この渋滞に巻き込まれたひとりに、ポールソン米財務長官がいた。ウォール街のニューヨーク連銀に向かう車中から、財務長官はガイトナー・ニューヨーク連銀総裁に電話を入れる。リーマン危機にどう対応するか、その進捗状況を聞くためだ。

 リーマン危機のための緊急会議に招集されたのは、2人のほか、コックス米証券取引委員会(SEC)委員長やJPモルガン・チェースのダイモン会長、メリルリンチのセイン会長ら金融界首脳である。渋滞で財務長官の到着が遅れたため、緊急会議は1時間遅れの9月12日午後7時に始まった。

 リーマン危機への対応をめぐっては、ウォール街では様々な観測が飛び交っていた。リーマンで長くチーフ・エコノミストだったアレン・サイナイ氏は筆者に「リーマンは資産を売って、スモーラー・リーマンとして生き延びる」と語っていた。そんななかでウォール街で「リーマン清算」という衝撃的な見方を聞いた。「すでにリーマンの株価は下がっており、取引先もほとんど手を引いているから清算しても影響はないと米金融当局はみている」というのである。

米金融当局の大誤算

 ニューヨーク連銀での緊急協議は12日だけでは終わらず週末を含め3日間に及んだ。最大の焦点は身売りだった。身売り先として最後に残ったのは英バークレイズ銀行だった。しかし、英金融当局の反対で、最後の希望も絶たれる。こうしてリーマンは破綻に追い込まれる。

 米金融当局にとって大きな誤算は、リーマンが破綻しても、その影響は小さくて済むと読んでいたところにある。金融危機どころか世界経済危機に点火するとは予想もしていなかっただろう。とくにポールソン財務長官は米投資銀行のゴールドマン・サックスの会長を長く務めてきただけに、経営が失敗した投資銀行が退場するのは当然だという思いがあったはずだ。