米加関係は、NAFTA見直しをめぐって決定的に対立した。写真は2018年6月8日、カナダのシャルルボワでドナルド・トランプ米大統領と談笑するカナダのジャスティン・トルドー首相(写真=AP/アフロ)
米国、カナダ、メキシコによる北米自由貿易協定(NAFTA)が存続の危機にさらされている。トランプ米大統領が提起したNAFTA見直しは、米墨間では合意したが、米加間では決着できなかった。米墨合意も数量規制の導入など「管理貿易」の色彩が濃くなった。
9月中に米加合意が達成できないと、NAFTAは空中分解しかねない。NAFTAを前提に組み立てられた自動車などのサプライチェーン(供給網)も崩れてしまう。NAFTAの崩壊は米中、米欧、日米の貿易摩擦に波及する。トランプ第一主義が世界の自由貿易を危機に陥れようとしている。
カナダ離脱の危機
深刻なのは、米国にとって最も近い同盟国であるカナダとの関係が、トランプ大統領の登場によって大きく揺らいでいることだ。米大リーグには、トロント・ブルージェイズが参加する。ニューヨークからシカゴに飛ぶより、トロントに行く方がずっと早い。ニューヨーカーにとって、カナダ国境にあるナイヤガラは最も手頃な行楽地だ。カナダの輸出の4分の3が米国向けであるように、貿易、投資の相互依存関係は極めて深い。
そんな米加関係は、NAFTA見直しをめぐって決定的に対立した。トランプ大統領は「カナダをNAFTAにとどまらせることはない。公正な貿易ができないなら、NAFTAから出て行くことになる」とちらつかせている。米議会が米加墨3カ国の協定を維持するよう求めているのに対しては、「議会が干渉するなら、NAFTAを解消する」と息巻いている。
トランプ大統領の圧力に、トルドー・カナダ首相も屈するわけにはいかない。米国は11月に中間選挙があるが、カナダも2019年に総選挙を控えている。トルドー政権の支持率が低下するなかで、乳製品など農産物問題で安易な妥協は許されない。
そうでなくても、トランプ大統領とトルドー首相の関係はきしみ続けている。トランプ政権による鉄鋼、アルミニウムの追加関税発動に、カナダは即座に対抗措置を打ち出した。先の7カ国(G7)首脳会議では、議長国のカナダが苦心してまとめあげた首脳宣言を、トランプ大統領が「承認しない」とちゃぶ台返しを演じ、トルドー首相の面目を失わせた。
仮に、米加間で9月中の合意が成立せず、NAFTAからカナダが離脱するという最悪の事態になれば、自動車の供給網は分断される。カナダを生産の拠点として米国に輸出する日本の自動車メーカーは、関税の復活で生産体制の大幅な見直しを迫られることになる。
米墨管理貿易協定に変質
トランプ大統領は、就任早々から不法移民の流入を阻止するためだとして、メキシコとの国境に壁を建設する方針を打ち出すなど隣国メキシコに圧力を強めてきた。NAFTA見直しもその一環である。
メキシコとの合意成立で、金融市場には安堵感が広がったが全くの見込み違いである。交渉は合意すればいいわけではない。その合意内容は自由貿易体制の将来にかかわる大きなリスクをはらんでいる。
自由貿易体制の盟主であるべき米国が「米国第一主義」さらに「トランプ第一主義」に陥ったことをはっきり示している。
米墨合意では、焦点の自動車貿易の関税をゼロにする条件として、部材の域内調達比率を現在の62.5%から75%に引き上げる。さらに、40-45%は時給16ドル(約1800円)以上の地域での生産を義務付ける「賃金条項」を導入する。米国からの部材調達をふやすのが狙いだ。
これだけでも十分に「米国第一主義」「トランプ第一主義」だが、これに数量規制が加わった。米墨間で、乗用車の輸入量が一定水準を超えた場合に、最大25%の関税を適用することで合意した。2017年実績の4割増にあたる240万台を上限とする事実上の「数量規制」である。
これは、「北米自由貿易協定」を「米墨管理貿易協定」に変質させるものだ。この数量規制は世界貿易機関(WTO)ルールから大きく外れる。
メキシコのグアハルド経済相は、数量規制受け入れについて、メキシコからの輸出車に25%の高関税が一律適用されるのを避けるためだと説明しているが、トランプ政権の圧力の大きさを浮き彫りにしている。
北米を繁栄に導いたNAFTA
1994年、クリントン米政権下で創設されたNAFTAは、北米に繁栄の時代を導いた。冷戦の終結で鮮明になったのは大欧州時代の到来だった。欧州連合(EU)は市場統合から単一通貨ユーロの創設と質的深化を遂げるとともに、旧東欧圏への東方拡大に動き出した。そのなかで、米国を軸とした北米3カ国の「市場統合」は時代の要請だった。NAFTAの創設には米議会内に異論もあったが、それは歴史の必然だった。
NAFTAは北米に世界各国から投資を呼び込み、経済を活性化させた。カナダはG7の一員としての地位を固めた。メキシコは債務危機に苦しむ他の中南米諸国と一線を画した。NAFTAが創設された1994年に先進国クラブである経済協力開発機構(OECD)にメンバー入りしている。メキシコ財務相を務めたグリア事務総長はいまやOECDの顔になっている。
メキシコはかつての資源国、債務危機国からNAFTAをてこに大きく前進した。筆者は1980年、大平正芳首相に同行して初めてメキシコを訪問した。それは第2次石油危機後の日本の「油ごい」外交だった。
筆者が日本経済新聞社のニューヨーク支局長だった1986年当時、メキシコを訪問したのは、債務危機の取材のためだった。そして2004年に合意した日墨経済連携協定の取材で、再びメキシコを訪れた。メキシコはNAFTAを基盤に各国・地域と相次いで自由貿易協定(FTA)を締結していた。自動車など北米のサプライチェーンの拠点として発展した。NAFTAによって資源依存や債務危機から卒業できたのである。
そして、何よりNAFTAは北米を核とするグローバル経済の拠点として、本家の米国経済の繁栄につながった。それは自由貿易の最先進国としての繁栄だった。
自動車摩擦打開へ日欧連携を
NAFTAが自由貿易から管理貿易に変質し、空中分解する事態になれば、日欧など世界の自動車産業のサプライチェーンは分断される。供給網の見直しでコスト増や生産性低下も避けられなくなる。トランプ大統領がそれを承知でNAFTA見直しに踏み切ったのは、日欧との自動車摩擦が激化することを暗示している。
日欧の基幹産業である自動車にトランプ発の貿易戦争が点火する事態になれば、世界貿易は縮小し、世界経済は停滞することになる。こうした危機は何としても防がなければならない。
問題はどう危機を打開するかである。間違ってもNAFTA見直しの米墨合意を見習ってはならない。数量規制による「管理貿易」を安易に受け入れるのは危険極まりない。一見、摩擦回避のための「大人の解決」とみえるかもしれないが、自由貿易体制の将来に禍根を残すことになりかねない。
危機的状況だからこそ、日欧は自由貿易体制の維持、強化で結束することが求められる。EUが提案している「自動車関税ゼロ」構想は、日米欧が受け入れられるはずだ。
トランプ流保護主義に対抗して、日本とEUが経済連携協定で調印した意義は大きい。その成果を具現化するとともに、政治的意義をトランプ政権にアピールすることだ。
合わせて、2国間の貿易赤字を「損失」と考えるトランプ大統領の思い込みを正す必要がある。日欧連携を軸に国際世論を巻き込むことが肝心だ。
日米FTA避け多国間主義貫け
NAFTAが空中分解の危機にさらされているなかで、試されているのは日本の通商戦略である。北朝鮮問題があるからといって、何から何まで「トランプ追随」になるのは危険である。トランプ政権による鉄鋼、アルミニウムの追加関税に、対抗措置を講じなかった日本は甘くみられても仕方がない。
NAFTAの見直しをトランプ大統領が提起したとき、日本は即座に懸念を表明すべきだった。日本の自動車の供給網が分断されるのを、ここまで座視してきたツケは重い。グローバル経済の相互依存が深まるなかでは、他地域の通商交渉にも、遠慮せず口出しするしかない。
TPP存続だけで満足してはいけない
トランプ大統領が離脱を表明して崩壊寸前になった環太平洋経済連携協定(TPP)を11カ国だけで存続させた意味は大きい。日本の通商戦略の成功例だが、それに満足してはいけない。年内合意に向けて動き出している東アジア地域包括的経済連携(RCEP)との結合をめざすことこそ肝心だ。中国を含むRCEPとTPPが結合することになれば、多国間主義に背を向けるトランプ政権も無視できなくなるはずだ。TPP・RCEP連合に米国を誘い込めば、世界経済を揺るがす米中貿易戦争を緩和することもできる。
間違っても、トランプ大統領が求める日米FTAに足を踏み入れてはならない。日米FTAに応じれば、トランプ政権の圧力に抗しきれなくなるだろう。日本の通商戦略がめざすべきは、2国間主義ではなく、あくまでWTOルールにもとづく多国間主義である。NAFTAをめぐる混迷がそれをはっきり示している。
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