「円安依存症」から抜け切れず

 戦後、日本とドイツはともに「奇跡の経済復興」を遂げた。それは日独両国国民の勤勉性だけでは説明しきれない。戦勝国米国の積極的な支援があったのを見逃すわけにはいかない。米国のマーシャル・プラン(欧州復興計画)は西独経済の再生を起点に、欧州全体の復興をめざすものだった。ドッジ・ラインは日本経済の安定と発展の土台になった。

 第1次大戦後の戦後処理は敗戦国ドイツへの過大な賠償請求を軸にしており、それがナチスの台頭を許す結果につながった。この苦い教訓から、敗戦国支援に重点が置かれた。そのうえに、ソ連台頭による共産勢力の伸長で冷戦が始まる。日独を西側のソ連圏に対する防波堤にしようとしていた。

 米政府が円レートを1ドル=360円と割安水準に設定したのは、日本の輸出競争力を底上げすることで経済復興を急がせるという狙いが込められていた。それが1971年のニクソン・ショックまで続いたことで、日本には「円安依存症」が根付いた。

 一方で、西独では「強いマルク」を望む声が根強かった。敗戦によるハイパーインフレの経験から自国通貨高を求めるようになっていた。1985年のプラザ合意後の政策協調で、日本が超低金利の維持を律儀に守ったのに対して、西独はいち早く利上げに動いた。日本の超低金利維持は、その後のバブルの発生とその崩壊、金融危機と真性デフレの進行につながることになる。

冷戦終結で「第2の敗戦」

 冷戦の終結による世界の大きな転換に日本はついていけなかった。グローバルな改革競争が始まるなかで、日本は過去の成功体験から抜け出せなかった。足元の金融危機の進行をどう食い止めるかに腐心し、世界の大きな潮流変化を見逃していた。

 中国など新興国で市場経済が浸透し始める。そして欧州では、ユーロ創設とEUの東方拡大による「大欧州」への動きが加速する。金融危機、デフレの進行による「経済敗戦」は、冷戦終結後のグローバルな展開に取り残されたことによって一層深刻化した。